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巡礼の日々で得たもの、失ったもの

Camino de Santiago、日本ではスペイン巡礼と呼ばれる巡礼路を歩いた。
ゴールのSantiago de compostelaまでは、ヨーロッパ各地から数種類の巡礼路があるが、フランスのSan JuanからスペインのSantiago de compostelaまでの700km以上の道、いわゆるフランス人の道と呼ばれるルートが1番メジャーだ。
今回はそのフランス人の道の途中、LeonからSantiago de Compostelaの315kmの道を歩いた。

1人での巡礼ということもあり、毎日8時間、2週間弱歩く間、色んなことについて1人で考える時間が有り余るほどあった。

その中での気付きが自分の心を軽くしてくれた。

巡礼中、携帯にはsimカードを入れておらず、基本的にネットは使えなかった。宿でも使えない時がたまにあった。そんなこの2週間で疎遠になったものが1つある。
そう、SNSだ。

SNS、特にInstagramは自分が思っていた以上に自分のことを毒していたようだ。

皆が投稿するキラキラとした日常が、彼らの日常のほんの一瞬でしかないことを知っているのに、それに憧れ、羨ましがり、負けじと自分の旅の充実っぷりを見せつけようと観光地の写真を投稿する。
そんな日々に疲れていた。けど辞められない。いわゆるSNS中毒というやつなのかな。

以前は写真を撮っている時、自分でも気づかないうちに、いい写真が撮れた、Instagramにあげようという思考回路に陥っていた。

風景を自分の目ではなく、Instagramの投稿画面の枠越しでか見ていなかった気がする。

とある人のnoteを読んでいる時、こんな事が書かれていた


みなさんは旅行に行く際に、事前に下調べをするでしょうか。
せっかく行くのだから、観光名所と呼ばれるものはすべて見ておきたい。そんな思いから、事前にどんなところか調べて行く人が多いのではないでしょうか。近頃はSNS上にいろんな写真があがっていますから、ああこんなところかあ、なんて感心してから行って、ああ、やっぱりこんなところかあなんて言って帰ってくるなんてことは多いでしょう。まあ、つまりは確認作業ですね。そして、InstagramやTwitterにどんな画を載せようかなんて考えながらスマホで写真を撮って……なんてこともするでしょうが、これ、本当に目の前の風景を見ているんですか? っていう話。「SNSという亡霊」に憑かれた目で、僕たちは風景を見ているのではないですか? 風景のさきにあるスマホの画面を見ているのではないですか? というのが、中島敦の話していることなのです。


読んだ瞬間、少しドキッとした。
次の瞬間には、ドキッとした自分を恥じた。

自分の目で見ることはせず、画面越しでしか見ていなかった。

なんて無意味で浅はかな感情を抱き、なんて勿体ないことをしてきたのだろう。と今では強く後悔している。


巡礼の道中、山の中や畑、川沿いを1人で歩く機会が多くあった。

インターネットが無いと、必然的に外の世界に目を向けることになる。

目を開き、耳を澄まし、風を肌で感じ、胸いっぱいに空気を吸い込む。

目に飛び込む、青々と生い茂る木々
肌を撫でる優しい風
葉が揺れる音と時折聞こえる鳥の鳴き声、川のせせらぎ
自然ならではの完成されていない"自然"の匂い
小学生以来食べた、道端に生えている木苺の味

文字通り、五感で自然を感じた瞬間、なぜか鳥肌が立った。

懐かしいようで、新しい。
そこにはいつでもあったのに、見えていなかった
私はいつからリアルを直視していなかったのか。

鳥肌は久しぶりに感じた大自然へのものだったのか、
それとも気づきを得た自分へのものだったのか

その時の私の頭に、Instagramのことは欠片も無かった
ただ、目の前に向き合っていた

巡礼を終えた今、SNSとは程よい距離感を保てている
見ている時間もほぼ無くなったし、何かを投稿する時も別に他意は無く、感じたこと経験したことを載せるだけ。

他人が何をしていようが、どう思われようが関係ない。
すごくストレスから開放された気分だ。


タイトルの通り、巡礼の日々で得たものと失ったものがある。
得たものは、大きな気づきとかけがえのない大切な仲間、楽しい思い出。
失ったものはストレスと色んなものへの執着心。

ただひた歩き、自分のために時間を取り、仲間と楽しみ、目の前に向き合う。

この旅の中で1番不便で、田舎で、過酷な毎日は
この旅の中で1番思い出深く、気づきが多く、出会いに溢れた毎日だった。

#旅日記 #世界一周 #スペイン巡礼 #sns

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