映画『生きる LIVING』を観た日記

※急に、観た映画は感想を書いておこう、と思って書きはじめたけれど、これが3つめだけど、こんなに書けないもんか、と思いながら書く。

いい映画だったなあ。
という感想以外にそんなにない。


上映前。
TOHOシネマズの券売機の横に、簡素なパーカーながら妙に自信に満ちた感じの男と、黒ずくめの短パン黒マスク美女が並んでいた。
「むかしの名作でさ、このおじさんが病気になって、それでこれからの人生を考えるっていう…。ま、名作だからさ、そういうのがあるんだなぁって感じで。これとか」


黒澤明監督の名作映画「生きる」を、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの脚本によりイギリスでリメイクしたヒューマンドラマ。

1953年、第2次世界大戦後のロンドン。仕事一筋に生きてきた公務員ウィリアムズは、自分の人生を空虚で無意味なものと感じていた。そんなある日、彼はガンに冒されていることがわかり、医師から余命半年と宣告される。手遅れになる前に充実した人生を手に入れたいと考えたウィリアムズは、仕事を放棄し、海辺のリゾート地で酒を飲んで馬鹿騒ぎするも満たされない。ロンドンへ戻った彼はかつての部下マーガレットと再会し、バイタリティに溢れる彼女と過ごす中で、自分も新しい一歩を踏み出すことを決意する。

「ラブ・アクチュアリー」などの名優ビル・ナイが主演を務め、ドラマ「セックス・エデュケーション」のエイミー・ルー・ウッドがマーガレットを演じる。

2022年製作/103分/G/イギリス
原題:Living
配給:東宝
劇場公開日:2023年3月31日

「映画.com」より https://eiga.com/movie/96311/


まちがいなくいい映画だった。


観る前

見る前にあった不安は、まず脚本がカズオ・イシグロ。これはすごい! あと主演のビル・ナイがかっこいい、ロマンスグレー紳士であること。
つまりどちらも不安要素だ。
『生きる』のあの笑うしかない無様さ、
”人間って素晴らしい!”
と叫ぶ前に、人間ってもうどうしようもない、という穴を掘る感じを感じられなかった。あけすけな、スラップスティック寸前のギャグを予感できない。『生きる』は、地の底まで一回掘っていき、その「負」のあとに来る「正」に感動するのに。

忘れてる人が多いようだけど、『生きる』はブラックコメディである。

・・・というのは、まあ、受け売りで、これは立川志らく師匠が、いまの感じの志らく師匠になる前に(?)書いた『立川志らくの現代映画聖書』(講談社、2005年)にあった内容です。

『生きる』のリメイクをしたドラマが2007年にあって、それは主演が松本幸四郎(現:2代目松本白鸚)さん。

これは放送当時すでに
「『生きる』はこんな男前のできるもんじゃねえ!」
と思ってしまったので見ていない。
今回、映画を観るんだったら、比較対象として観ておくべきだった・・・。


結果

新たに役所で働くことになる新人の視点から始まり、とても分かりやすい。毎日毎日ひたすら業務をこなしていく役所の「磁場」の危うさを目に入れていき、完全にそのルーティンにからめとられた主人公ウィリアムズの様子。
ところが、今日はなぜか早退。そして病院へ。
鉄板ジョークの「軽い胃潰瘍です」は残念ながらカット・・・。
つづいて、息子夫婦にガンを告白しようとするもちょうど自分のうわさ話をしてるから部屋に入れなかった志村喬の、階段の途中でフリーズしてる後ろ姿もなかった。そりゃ志村喬は出てないが、こういう笑うべきか嘆くべきかというギャグは、やっぱり今回はなかった。

そもそも上映時間が103分だという。
原作は、143分だという。

40分も違うとはどうしたことか! と思ったが、見直してないからわからない。がっつりカットされたくだりも思い出せないから、全体的に描写がスリムになったということなのだろうか。

ウィリアムズは、自分から消え去った「生きる喜び」を体現している若手職員にすがっていく。エイミー・ルー・ウッド演じるマーガレット。小動物的な目、それに前歯がむちゃくちゃいい。「老いらくの恋」に乗り出してもおかしくないわ。このあたりの、主人公が何をしたいのかわからずただただマーガレットを突き合わせるずるずるの時間の気まずさはたまらない。
そうして、自らの現状を告白したウィリアムズは、「自分がやるべきこと」を見つけるのだった。

やっぱりそこでも、あの葬式のブラックコメディはなくなってしまっていて、つくづく「『生きる』をいい話にする会」みたいな活動がおこなわれているのかと思うほどくだらなさ、しょうもなさは駆逐されていく。それでも、帰りの汽車の中で課長代理が堂々と宣言するシーンには、
「こいつは”ダメないい目”をしている!」
と感動した。やってくれないということをちゃんとやってくれるだろう、という目。ここまでのいい話ともぎりぎり接合出来ていて、ギャグを減らしてもいけるものか、と感心した。


主人公の変化について、パンフレットでカズオ・イシグロはこう語っている。

この映画が伝える、自分が一所懸命に努力をしたとしても、周りがそれを称賛したり、認めることをモチベーションにしてはいけないというメッセージに、私は成長過程において影響を受けてきたと思います。
(中略)
主人公の渡辺勘治は、自分の外側にある世界から褒められたり、賛辞を得たいから公園を作ったのではない。彼がやったことは素晴らしくても、その業績は認められなかったり、すぐに忘れられていくかもしれない。でも彼自身は、自分は正しいことを、非常にきちんといい形でやったんだという達成感に満ちながら亡くなっていきますよね。そういう人物を描くのが、黒澤監督作品の特質なのかなと思います。

その、周りからの称賛と当人の意識のずれ、
がむしゃらに人生の何かを残そうとしている、ある種自己満足の極致ととられてもおかしくない部分。だって、公園が完成することで救われる人の気持ちを、勘治はたいして考えてない。人のためになる、というざっくりした感じが漂う。
そこに関して、やっぱり、いい話の方の解釈に、寄せられているように思うのだ。

自己満足の極致なんだけど、感動しちゃう。
そこが、好きなんだけど。



よくわからない2人


映画は終わった。
なぜか自信に満ちた感じのあるパーカー男と、謎の黒美女が先に出ていった。
通りすぎざま、聞こえたのは、
「まあ、こういうのもたまにはね。人生を考える映画」

こいつ絶対人生考えてないだろと思った。


おれも、このあと観た『シン・仮面ライダー』のほうが、自分の人生をよくよく考えた。



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