いつか本を書きたいと思って25年

いっこうに果たせないでいる。

とにかく日々の研究があり、研究のことは間違えてはいけないというプレッシャーがある。そして家庭がある。家庭は自分も含めた家族のひとりひとりの健康と幸福とを賭け金にしている。そもそも幸福というものがなにか経済的なものや自己実現というよりもむしろ人間と人間との間のつながりをベースにしたものであるという声も耳のなかにちらついている。

そうなってくるともう書くの書かないのという話ではなくなる。思い返してみれば、研究をし始めたというのはそもそもなにか本が書きたいといって書くことがなけりゃ始まらねえじゃねえかという心があった。そうするには学究が手っ取り早いわけだが、最初に興味を持っていたのは哲学とかヘーゲルだったのに、哲学で学究するというイメージが杳として掴めなかった。その20年前の印象は正直に言って、もちろんまぢかに目の当たりにしたわけではないのだが、半分アタリ半分ハズレというところか。哲学もやるはやったでなにかやりようはなくもなかっただろうと思うという意味ではハズレなのだが、結果として自然科学の徒として得たことは手応えを感じている。

そうやって考えて思って観察してきたことをとりどりに書いていくとたぶん本になるのだろうというところは思う。誰が読むかはさておき本の体裁はとるだろうと思うがとにかく時間というか余裕がないというほかない。余裕があったら職探しをしたほうがいいのだと思う。

職探しと言うて履歴書だの業績書だののフォーマットも言うて気合を入れてなんとか出来ないこともないのだろうと思いながら出せないでいることも多かった。そもそもの研究計画からしていくつかのパターンでしかなく、分量も梗概ぐらいしか書きようはない。何を二の足を踏んでいるのかと思う。情けないものである。

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