親父という名の兄的存在の親父


おはようございます。

濱脇宏太です。 

今日は、うちの親父について書きます。

うちの親父は、実の親父ですが、私にとっては、親父的な感覚ではありません。

私にとっては、約30、歳の離れた兄みたいな感じです。

前回も書きましたが、父は、じいちゃん(親父の父親)と一緒にいる時間がほとんどありませんでした。

なので、親父は、ちゃんとした父親像を知らず育ちました。

その寂しかった思いを私にさせたくなかった親父は、親父という感覚を知らぬまま、とにかく、一生懸命、私と一緒に遊んでくれました。一緒にいてくれました。

キャッチボールをしたり、江井ヶ島まで走ったり、釣りにいったり、魚について教えてくれたり、魚の捌き方を教しえてくれたり、林崎松江海岸に泳ぎにいったり、モリ(ヤス)で魚を釣りにいったり、旨いものを教えてくれたり、ラーメン屋に連れていってくれたり、将棋、オセロ、サッカーをしたり、ドライブにいったり、パチンコ屋に景品を換えにいったり、何でも一緒に遊んでくれました。

その結果、私にとっては、親父ではなく、兄みたいな存在になったのです。


親父は、私が生まれる前に「男の子が生まれたら何でもする」とおかんに誓った後、私が、産声をあげました。

言うことを聞いてくれない時は「生まれる前に、男の子が生まれたら何でもするって言ってたんやろ?笑」と言って、親父に何でも言うことを聞いてもらう、わがままぶりでした。

本当に、私に尽くしてくれた、親父という名の兄的存在の親父、本当にありがとう。

私も、親父のような、寄り添える親父でありたいです。

この話は、続きます。

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「一生懸命、誠実に、愛を持って関われば、いつか、想いは届く。」

ありがとうございます😆✨