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ぱるる(島崎遥香さん)についての回想:その1 ― はじめての、AKB48劇場体験記

※以下の文章は、『前田敦子はキリストを超えた』(ちくま新書)の4章を抜粋したものです。校正前の文章なので、書籍掲載内容とは異なる可能性があります。また強調とかは再掲載時に加えたものです。

 2012年1月29日、私は初めてAKBの劇場に足を踏み入れた。AKBにハマったのは2011年の夏のことだったが、それ以来ずっと折を見て申し込んでいた劇場チケットセンターでの申し込みに、ようやく当選したのである。このときの喜びは、筆舌に尽くしがたい。ようやく、あこがれだったAKBの劇場公演をこの目で観ることができる。AKBにハマった者は、必ずといっていいほど周囲の先輩ヲタに、「劇場は絶対に入ったほうがいい」と言われるが、まさにその日がやってきたのだ。

 すでにこの劇場抽選の時点で、AKBにおいていかに「偶然性」が重要な意味を持つのか、その一端が現れている。これはAKBファンの間ではよく知られていることだが、AKBが「会いに行けるアイドル」としてほぼ毎日劇場で公演をやっているといっても、2012年時点でAKBは非常に高い人気を誇っており、その抽選倍率は相当に高くなっている。一説では100倍以上の日もあるという。実際私の周囲でも、一年以上申し込み続けていても当たらない、という人もいるほどだ。劇場でAKBのメンバーを見ることができるというのは、それ自体、「偶然性」に祝福されることを意味しているのである。

 私が当選したのは、チーム4の「僕の太陽」公演。メンバーは入山杏奈・島崎遥香・島田晴香・竹内美宥・仲俣汐里・永尾まりや・山内鈴蘭・岩田華怜・大森美優・加藤玲奈・サイード横田絵玲奈・田野優花・平田梨奈・藤田奈那・武藤十夢・森川彩香の16名であった。当時私は、まだチーム4にも興味を持ちかけたばかりのタイミングだった。正直、名前と顔が一致するメンバーは島崎遥香一人くらいの状態であった。まだこのときの私は、きたりえ(北原里英)というチームB所属(当時)を推しメンにしていた。だからこの公演については、正直、入る前にはそれほど期待もしていなかったのである。「誰もがAKBの劇場は素晴らしいというけれど、本当かな。」そんな軽い疑念を抱くくらいの気持ちで、私は劇場に足を運んだ。

 しかし私は、すぐ後に圧倒されることになる。劇場という「近接性」においてメンバーを見ることのあまりの衝撃については、前章でも触れた通りだ。しかしその前に触れなければならないことがある。それは劇場に入場する順番を決める「ビンゴ抽選」のシステムについてだ。

 AKBの劇場には、約250名ほどの観客が入ることができる。この座席は自由席になっているのだが、当然ながら、先着入場などにすれば混乱が生じてしまう。だからAKBに入場する際の順番を、ビンゴの抽選で割り振る仕組みになっているのだ。劇場の入場チケットには番号が割り振られていて、まず入場前に、観客は番号ごとにロビーで整列させられる。そしてスタッフがビンゴをがらがらと回し、出てきた玉に書かれた番号が1番であれば、チケット番号1〜10までの10名がまず劇場内に入ることができる。そこから先は、空いている席であればどこに座ってもいいという仕組みだ。

 AKBの劇場は、後述する「二本柱」の存在もあり、どの席に入って見ることができるかで、大きく観覧経験を左右することになる。それこそ「最前」と呼ばれるステージに最も近い席に座ることができれば、歌い踊るメンバーを間近で見ることができる。逆にビンゴ抽選での運が悪いと、座席の後ろの方にある立見席で観覧しなければならない。立見席は何列にも人が重なるため、後ろの方になると、よほど背が高い人でもない限り視界も限られてしまう。

 ただ、だからといって立見席が悪い席とも一概にいえず、わざと立見席を選ぶ人もいる。なぜなら立見席はステージ上のメンバーとほぼ目線が一緒の高さになるので、後述する「レス」ももらいやすいからだ。また後列の席ということもあり、サイリウムやペンライトを振ったり、「振りコピ」と呼ばれるメンバーの踊りを模倣する楽しみ方もしやすいメリットもある。

 あえて「柱」の外側のゾーンを選ぶ人もいる。柱の外側というのは、ステージの前にある柱のちょうど外側のゾーンを意味しており、つまりそこに座ることは、ステージの中央が柱に遮られて見えないことを意味する。普通に考えれば、まともに劇場公演を観ることはできない席だ。しかし、AKBの劇場公演では、メンバーが横一列に展開して、ステージの端の方に特定のメンバーが来る場合がある。それが自分の推しメンであれば、ステージの端に来たメンバーとレスなりコールなりを通じてコミュニケーションの機会を独占することができる。だから、あえて柱の外側を選ぶ者もいる。

 このようにAKBの劇場においては、ビンゴ抽選によって、どの席に座るかが「偶然性」によって決定される。これが、極めて大きな――本当にあまりにも大きすぎる――意味を持つのだ。

ぱるるとのレス:「BINGO」的偶然性

 ビンゴ抽選が終わり、私はちょうど7番目に入場することができた。私が座ったのは、前から5列目、上手にある柱から内側に向かって3ズレ(3席目)の席であった。

 そして劇場公演が始まる。

 その近さがもたらす衝撃は、何度も言うように、筆舌に尽くしがたい。AKBの劇場は何よりも狭い。これほどまでに近いのか、という距離である。だからメンバーの動きは手に取るように分かる。カメラ越しの映像には写り込まないような、動きのキレ、微細な表情、汗などといった膨大な情報量が目に飛び込んでくる。AKBの名曲「チームB推し」の歌詞にもあるように、まさに「あまりに近すぎてオーマイガーでしょ」としかいいようがない。近接性こそが超越性であるということは、すでにAKBの劇場公演曲に書き込まれている真実なのだ。

 しばしばAKBのパフォーマンスは「16人もメンバーがいて、ダンスもそれほどうまくないメンバーもいるから、動きがあまり揃っていない」などと批判されるが、いざ劇場に行ってみると、だからこそ逆に魅力があるいうことが分かる。最初私は、顔と名前の一致しているぱるるのことを見ようと思って追いかけていた。しかし、AKBの劇場は、秋葉原のドン・キホーテのビルの構造上、ステージの前に二本の柱があって大変に邪魔である。だからステージ上のメンバーは極めて平面的かつ並列的に構成・配列されており、要は常にどの席から見ても、なんとか均等に見られるように配分されている。だから、次々と目の前に違うメンバーがやってくる。そのたびに、「こんな魅力的な子がいたのか」と発見させられる。

 だからぱるるだけではなくて、様々なメンバーに目移りしてしまう。たとえば劇場でのなかまったー(仲俣汐里)などは見違えるほど魅力的なパフォーマンスを見せてくれる。こうしてしばらくはいろいろなメンバーに目移りしながら、ステージ上のメンバーたちの動きを追いかけるのに精一杯だった。

 AKBの劇場は、このようにメンバー間の「比較」がしやすい。だから、「あの子は真剣にやっているな」「最近うまくなったな」といった点を発見しやすい。つまりメンバーの「マジ(本気)」が可視化されやすいのだ。

 だからそのマジを発見しそれに感染した観客は、そのメンバーを「推し」たくなる。まさに筆者もそうだった。公演も後半にさしかかると、気づけばぱるるの姿ばかりを追いかけている自分がいた。あれこれと目移りしていた自分の目線が、だんだんと特定のメンバーに固定されロックインされてくるのだ。それが私の場合、ぱるるだった。彼女は確かにダンスはそれほどうまくはないかもしれない。しかし彼女は、とても魅惑的な表情をしている。一度その目線に捕まると、もうぱるるから目を離すことなどできなくなる。

 そうしていると、ある決定的瞬間が訪れる。ぱるるとのレスだ。AKBの劇場は狭い。だからある特定のメンバーのことを目で追いかけていると、自分のちょうど直線上にやってくるときが来る。並列的な配置だから、確率的にほぼ必ず来るといっていい。だからぱるるの目をずっと追いかけていると、目線が合ったかのような瞬間が訪れる(AKBファンの間でこの目線が合うことを「レス」という)。

 もちろん、実際には目線は別に合っていないのかもしれない。ステージ上のメンバーたちは公演に精一杯で、正面を向いているだけだから。そこにたまたま自分の目が直線上に重なっているだけだ。落ち着け。目線が合っただなんて、錯覚にすぎない。そう自分に言い聞かせながら、高揚する気持ちを抑えきれずに公演を見続ける。しかし、「それなら他のメンバーの目も見て比較検証してみよう」と思いたち、他の気になったメンが直-目線上(=目線の直線上)にきたとき、こちらも目を合わせようとしてみる。しかし、ぱるるのときのような、「もしや、目線があっているのでは?」という決定的瞬間は訪れない。だから、「やっぱり、もしや、あれ、ぱるる・・え・・?」という感情が訪れる。だからますます、ぱるるを見つめる。そしてまた目線が合う瞬間が来る。そうして、どうしようもなく熱い感情がこみあげてくる。劇場には激情が宿るのだ。

 そしてさらに決定的な瞬間が訪れる。それはアンコール2曲目の「BINGO」で、ステージ上のメンバーが横一列に展開し、向かって一番右(上手)の花道にぱるるが立つのである。しかし観客の大半は、ステージの端に立ったメンバーのことは見ておらず、ステージの中心のほうを向いている。上手席に座っているぱるるに極めて近い距離にいる観客ですら、ぱるるには基本目を向けてなかった。ぱるるは、そんな会場を暖かく見守っていた。僕は、ステージの中心から目を外して、上手にいたぱるるをずっと見ていた。

 その瞬間、目線が合ったのである。あの瞬間は忘れられない。ぱるるは、すぐに目線を外そうとした。しかし自分も恥ずかしいので目線を思わず外そうとしてしまう。でも、また目線を向ける。その数秒後、また合ったような、気がする瞬間が来る……。まるで少女マンガの教室で恋が始まる瞬間のような、つまり「視線が思わず合ってしまう瞬間」に近い錯覚体験を味わえるのが、劇場という場なのである。確率的目線合一空間としての擬似教室。それがAKBの劇場といってもよい。

 さらにいえば、何より少女漫画で描かれるような「一目惚れ」のポイントは、単に「見た瞬間その子が気になって仕方がない」という点だけにあるのではない。「向こうと目があってしまった」、つまり向こうから「見られた」かもしれないという経験とセットになることで、なおさら「惚れやすくなる」というところにある。そしてアーキテクチャ分析の観点からいえば、AKBの劇場は「二本柱」の制約があるからこそ、メンバーの並びは平面的で並列的な構成をとっており、ほぼ確率的に必ず自分の目線の前にやってくるからこそ、視線の衝突にともなう「一目惚れ」が起こりやすいのだ。
 
 しかし重要なのは、ここでぱるると起きたレスは、あくまで私がたまたまビンゴ抽選でこの席に座ることができたからこそ、偶然の帰結としてもたらされているということだ。このときステージ上のメンバーたちが歌っていた「BINGO」という曲の歌詞は、まさにビンゴ入場の仕組みになぞらえて、次のようにありありと描写する。
 

理由(わけ)なんて何もない
紹介された瞬間
稲妻に打たれたの (fall in love)
理想のタイプだとか
ここに惹かれたなんて
思い出せないスピードで…

 まさに理由なぞ何もない。どこに惹かれたかなんて、分からない。ただ目線が合った瞬間、稲妻に打たれたとしかいいようがない。BINGOのごとき、偶然の所業である。

目と目が合うと胸が高鳴る
心の奥で思わず叫んでた (I'm loving you)

 まさにそうなのだ。私はまだこのとき劇場でのヲタの作法に慣れていなかったので、大声でぱるるの名前をコールするといったことは一切していなかった。しかし目と目が合うたびに、「心の奥で思わず叫んで」いたのだ。

BINGO! BINGO!
あなたに巡り会えた (finally)
BINGO! BINGO!
生まれて 初めて
ピンと来た (I'll take a chance)
BINGO! BINGO!
今日まで 脇目ふらず
待っていてよかったわ
運命を味方に… (Love, Love me do!)

 今日まで劇場抽選を脇目ふらず待っていた結果、初めて劇場に入ることができて、ようやくぱるるに巡り会えた。そしてこの劇場で「生まれて初めて」私はアイドルに「ピンと来た」のである。これほどまでに、いま自分が置かれている状況をそのまま歌ったかのような曲があるだろうか。運命がまさに自分に味方したのだ。

 そして「BINGO」が終わると次は「僕の太陽」が始まる。そしてまさに、ぱるるとこのチーム4のメンバーこそが「僕の太陽」であると確信させられる(この曲の意味についてはまた後に言及する)。そして、いよいよ最後のチーム4曲「走れ!ペンギン」で、ぱるるが冒頭に見せる不安げな顔から、ぱぁっと晴れやかな満面の笑みを浮かべた瞬間、私はぱるるへ「推し変」したのである(推し変=推しメンを変えることの意)。
   
 以上が、私の初の劇場体験レポである(AKBヲタの間では、こうした劇場や握手会で起きたことのレポートを「レポ」と呼ぶ)。ここで重要なのは、AKBにおいてまざまざと「偶然性」が作用している点である。なぜなら、こうも考えることができるからだ。「もし私が、BINGO入場でもっと別の席に座っていたとしたら」「いやそもそも、私が別の日の公演に当選していたとしたら」ぱるるとはまた別のメンバーに魅了され、推し変していたのかもしれないのだ。つまり、別様でもあり得た(=contingent)かもしれないということ。AKBにハマるということは、このBINGO的「偶然性」に開かれることを意味している。

(以上、抜粋終わり)

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