私たちが編んでいるストーリー(連載になるかな???)

正確な未来予測とはいかないまでも、誰もがこの先どうなっていくのか?ということは考えてみたことはあるだろう。考えなくともぼんやり「どーなるかなぁ」と気になることぐらいはあるにちがいない。

先のことが気になる。これがちょっと具体性を増していくと、大体私たちはどうするかというと、既に起こっていることに注意を向け、過ぎ去ったことの中でも関連の有る物事について探り始める。
未来予測にはやはり材料が必要で、その材料というのは既に起きているところから取って来る。
言われてみればごく当たり前のように思えるけれど、案外見過ごされていることもある。例えば、気になった未来のことから現在そして過去と時間を遡るように考えを巡らすというのは何もずっと一方向というわけではなく、過去からもう一度現在に戻って、そして気になる未来がどう見えるかを確かめてみるというように、何度も何度も時間的な範囲も色々変えつつ行ったり来たりをしていることなど。
この行ったり来たりについて考え直してみて面白いのは、事の始まりは非常にぼんやりとした未来が気になっただけであるとしても、その未来のほぼ無限とも思える広がりに比べて、自分自身はそんなに無限になんて存在し続けないだろうということに思い当たるものらしい、ということ。

え?
何が面白いのかって???

現在の医療、科学技術環境を踏まえると、おそらく誰もがいつか死ぬのは間違いないと思っていることだろう。ただ、いつ死ぬのかまではほとんどの人には分からない。死ぬというのはいつか分からなくても、どこかの時点に終点があるとは思っている。面白いというのは、終点が正確にどの時点であるか?ということではなく、ともかく終点をどこかに置いて、そこから時間を現在そして過去へと後戻りしていくというプロセス。砕けた言い方をするなら、終点があるとかないとか露も気にならないというノー天気な状態であるうちは、現在を改めて見直すとか、ましてや過去の出来事について詳細に調べてみるなんてことは全くやろうと思わないということだ。

え?
まだ面白さが分からない?

例えば「ストーリーには必ず始まりと終わりがある」と言えばどうだろうか?

つまり、私たちは日常から、自分たちなりにストーリーを構成し、読んでは編集したりしながら生きているということだ。

その根源にごくごくありふれた漠然とした将来に対する不安のようなものがあると聞けばちょっとは面白味が湧いてこないだろうか?

「ストーリーを構成」とは書いたけど、おそらく多くの人はそのようなことを明確に意識したことはないだろう。なんとなく終点が定まったところから適当と思われるところまで過去へ遡る。それをストーリーだと言われても、そもそも順序が逆さまじゃないか。まあそうなんだけどね。結局何度も行ったり来たりを繰り返すと言った通り、やっぱり何度も読み直すということでストーリーっぽいことに違いはなかろう。また、出来合いのストーリーとは違って、結構自由に編集できるし、スタートも終点も色々変えたりできるので、根本的に新しいストーリーを書くこともできる。そう考えると中々楽しそうな感じがしない?

なんといっても私たちが日常どうやって過ごしているのか?に関わることなので、それがちょっぴりであっても楽しそうというイメージが与えられるならそれだけでも大層意味のあることではないか。
ということで、私たちが日常的に構成し、編集し続けているストーリーについて、もう少し詳しく一体どうやっているのかなど、なるべく楽しそうに見えるように探索してみたいと思う。

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