際限ない膨張(預言者の群れ)
膨張するのは欲望ではない。
明日も俺は変わらず生きているという確信。どのような突然の悲劇、災難、災厄を想定したとしても、生命の危機に晒されて、ただ生きるためだけに泥水をすするような境遇に陥っている確率は相当に低い、との自信。でなければ一瞬にして死んでしまっているだろうし、それならそれでしゃーない。
予測の根拠もある。天気予報で巨大台風が接近しているなんてニュースも入ってきていないし、2011年にあったような巨大地震が起こる確率、生死を左右するような交通事故に遭遇する確率は十分に低いはずだ。自分の生活を一変させるような事象が発生した場合、それはまさに不可抗力。自分の責に帰されるべきことではない。
なぜこうしたごくごく当たり前とも思える自信・確信の無限膨張が問題なのか?
それよりも、どういう仕組みで無限膨張するのか?に答えるのが先か。
・未来予測
・決まったルール。
・ほとんど論争の余地がない定義。
以上は現代人がほぼ無意識に「良い方のもの」として求めているものども。
これらが決まれば各々何を憂うことがあろうか。どう憂いても喜んでも、これらが全て決めてくれるのだから。
いもしない設計者に責任を丸投げして安心しようという魂胆が見え隠れ。極めようとすればするほど己の存在が薄くなる。
歯止めをかけられるはずの己。限界があることは容易に理解できているはずの己。
真剣にやってるんだから別にそれでいいじゃん?で済ませられるか?
済まないよね。いろんな意味で。
各自のコミットメントってやっぱ大切だし。
「運命と思って諦めな」って言っていいのはやっぱ自分自身に対してだけだ。確率的にまず間違いなかろうが「みんな一緒に」なんてことは言えない。言っちゃいけない。
それが分からなくなるほど、自然法則の類が及ぼす影響力はバカでかい。実際モノゴトがそれに沿って起きたりするのだから。。。
簡単に乗っとられる。
とある法則があり、その仔細を正確に理解したとして、それで「私は何が起こ(ってい)るか分かっている」と言えるだろうか?百歩譲って「Yes」だとしても、とある事象を支配しているように見えるのは法則であってアナタではない。
それなのに、何かを分かったという人は、どういうわけかとある事象を支配しているかのように見えるルールのようなものに自分自身が成り代わって人々に忠告でもしているかのような物言いをする傾向がある。
より普遍性の高いルール、法則などなどは、アナタが分かっているかどうか?とは無関係に、ただそうあるだけである。
ましてやアナタに「スンマヘンけど、他の人たちに諭してやってくれまへんか?」なんて頼んじゃいない。
そういう忠告紛いという余計なことをしてしまうエゴが抑えきれていないくせに、みんなに忠告するのはあくまでもみんなのためだし、(ルールとか法則とかは)そういうことになってるんだからしゃーないってことで価値中立性・客観性を主張もする。
「己の存在が薄くなる」というのは、自己顕示欲は膨らむのに、そういう強烈に目立ちたがるエゴをシンプルに認めるというぐらいの責任感すら感じない。責任感がないならエゴはどこまでも膨張できる。という悪循環。
膨張し切ったエゴは「中立公正・客観的合理性の使者」を気取って、そいつら(価値中立性・合理性・客観性という神話)に公共の福祉への貢献を代弁させる。自身のエゴなんてものは全く晒していないつもりでも、社会貢献に対する報酬はちゃっかりいただいて、それは当然の権利と信じ込んでいる。
自分の頭で考えるということは、言うほどシンプルじゃない。
ルールや法則、モノゴトのより厳密な定義などについて一生懸命勉強しても、そいつらに乗っとられているようでは何にもならない。「乗っ取られてなんかないよ」と思い込んでいるようだけれど、何やってんの?とよくよく見てみると、客観的事実に語らせているつもりでいるだけ。
客観的事実があるとしても、それを万人に対して代弁することなんてできない。つまり、全員漏れなく客観的事実と理解するなんてことが起きないのが当たり前で、別に理解しないヤツがバカなんじゃない。
預言者を名乗ってさえいなければ預言者を騙っているわけではない。というわけではない。
肝に銘じておきたいものだ。
預言者気取りって、、、罰当たりっていうより、、、バカっぽいからな。
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