矛盾:偶像崇拝は諫め続けることはできても阻止することはできない。

 

「領域国民国家」=サイン

「ヒューマニティ」=サインを使わずには生きられない存在

正しく生きたいと思う。

でも、その確信を得るためにはとあるカタチが必要。その中に正しさが込められているような。

矛盾というのは、では、込められているはずの正しさがどうもあやふやになっちゃうというところにあるのでは?

込めたつもりの人、適当にカタチを使って安心するだけの人、悪意を持って利用する人などなど。。。

だからサインは危ない。

絶対的な意味を持つものと見てはいけない。(偶像崇拝の禁止)

生きていく上で仕方なく使わされているもの。

数量を頼みにした手段ってやっぱりアカン。数もサインなんだけど意味絶対って勘違いされやすい。というか勘違いとさえ思われない。。。

でもサインは要る。

動きで表現するってのは代替案にならないだろうか?述語を連ねる言語。詩?(ボルヘス)

メモライズしたいっていう欲求もある。(これってマズローだと何欲求?)

象だって驚くほど長いメモリーを持って活用している。

ただ繰り返しているだけではなく、明らかに身の安全群れの安全を図るように。

いや。多分繰り返し観察される行動パターンだから生き残りに役立っているように見えるのだろう。(繰り返し観察される=事実生き残っている)

人間の場合は、明らかに記憶しておこうという意思をもって記憶する。

「偶像崇拝はいけない」って言葉で伝えている時点で矛盾なのでは??だってその言葉が理解できるってことはサインに依存していることの証明だもの。ありとあらゆるサインを偶像と考えるのは行き過ぎ?でも、そうなると、ケースバイケースの判断が求められる。だから誰か間に立つ人間が必要ということ?でも人間は人間だからなー。どんだけ「この人は違う」なんて言い募っても。。。

どうせ信じないんだから預言者信じとけと???

無理あるよなー。

唯一絶対ってやっぱり無理がある。

人間の思考というか感じる機能というのは唯一絶対を信じるようにはできていない。

もしも”絶対”があるとするなら、人間の認識するモノゴトには”絶対”唯一無二性と交換可能性の二義が併存している、ということでは?

これらが常に両方ともある、というのは難しそうだけど、事実としてはシンプル。受け入れるより外ないという意味で。

そんな曖昧でも世の中回っているのは人間が一人じゃないから。

私としては、このへんのシンプルな事実を、賢げな人々に認識しながら生きていってもらえれば、とりあえずはいいかな。。。

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