つながっちゃってるからなー

真面目に生きててそれ以上何が求められるのか?

確かに真面目に生きていれば文句言われることなんてないのだろう。

でも生きてると変わるからね。

「真面目」なんていうと実は敷居が高い。でも「真面目」とか「他人に迷惑かけない」とかではなくても、こだわりのようなもの、「難しいことは考えまへんねん」みたいなのも含めて、ある人は注意した方がいいんじゃないか?と感じる。変わるからさ。諸々。いろんな状況変化に応じて。

やっぱり個人に何もかんも負わせ過ぎなんよね。。。

立派にかなりなものを負えているって人であってもね。。。そうであるからこそ余計に注意が必要だ。「こんなに負えている」という自負しかり。知らず知らず「お前らもこの半分ぐらいでもやれ」とか、他人はここまではやっていまいなんて思い込んだり。

好きにさせてよとか放っておいてよってのもね。。。絶対言っちゃダメなんてことは思わないんだけど。。。ずーっとは無理よってことかな。

言うことばっかりご立派で行動が伴わない、ではなくて、わりかしちゃんとやってるけど評価はお任せ。これでいいんじゃないのか?ダメなのかな??一体何がそれを妨げるのか???いちいち一人一人が自分だけのお手柄求めなくたってよくないか???そんな生き方に全く違和感がないのは、お強い証拠。ならばさらにもっと為すべきことはあるのではないか????だってさ。そういう強さだって運が占める部分がおっきいから。たまたま得意なことが社会でメリットが大きいとされていたり、高いブランド認定されていたり、仲間づくりが簡単だったり、生まれや育ちもそう。どんなに努力して望んでいてもないところにはないわけだしさ。。。ポンポンとではなくても考えれば話が通じるなんて境遇では、それって通じやすいところばっか選んでいて、それが許される環境にいさせてもらっているんだって考えた方がいいと思う。

人間は人間として見る。

様々な違いは適当に整理して分ったつもりになるんではなくて、きちんと自分という人間に照らして理解する。そうでもしなきゃ、物扱いの誹りを受けても仕方がない。

まあ他人にどーこー言われるとかいうよりも、人間を人間として見ることができなければ、時とともに微妙にではあれ変わっていく自分って見ていないってことだから。。。それって結構アブナイよね。だって車体感覚誤ったらぶつかっちゃうでしょ?いろんなものに。



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