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終わり始まり

 これは墓場です。

 皆さん初めまして。浜月詩鉄と申します。本日よりnoteを始めることになりました。
 初投稿ということで、なぜ私がこれを始めることにしたのか、綴りたいと思います。
 私は2020年、中学3年の時に詩を書き始めました。当時はコロナ禍初期で、休校時の何もない時間と休校明けからの多忙さのギャップや家庭内に降りかかった不幸などが災いし、完全に心が折れてまともな精神状態でいられなくなったのを覚えています。死や自分の身の破滅すら願ったその時、中原中也の詩に出会いました。幸福を求めながら、憂鬱に悩まされる中也の思い。それを詩という枠の中に散りばめる素晴らしさ。思わず紙とペンを手に取る。そこからは拙いながら、精神の暴走もそのままに詩に落とし込みました。これが私という詩人人生の始まりです。
 そこから時を経て今、とうとう外の世界に詩を載せていくこととなりました。これまでは特に信頼を置く人だけに詩を見せていました。しかし、いつかは不特定多数の人にもお見せしたいと考えていました。このタイミングになったのは、受験が一区切りついて暇ができたからというのもあります。ですが一番の理由は違います。それは、

「一番大切なものが自己の中に定まった」

からです。それが何かを明かすことはしません。それを知っておいてほしい人にはいつか伝えるとは思いますが。
 人は一番大切なものに出会ったとき、最も己と向き合い、身を投げうってそれに全てを捧げるのだと思います。それは自分の命とそれが強烈にリンクするからなのでしょう。私はその「一番大切なもの」の為に詩を書きます。命を削る思いで詩を書きます。
 これができるのは長くても2,3年の間でしょう。さらに来年一浪するともなればもっと短い。そんな時間の中で残さねばならぬのです。そもそも詩人や小説家の中には短命な者も少なくないので、そうなったとしても悪いことではないと思います。とはいえ、自分の命をぞんざいに扱うことなど私にはできやしません。だから、今は目の前のブンガクに情熱を燃やすつもりです。
 2,3年後、私の理想の未来はそこにあるのでしょうか。無ければ、そこで終わり。今はそう思う以外にない。
 令和6年3月5日。今日は終わりの始まりの日です。
 終わりに向かっていく詩の数々を見ていただければ嬉しいです。


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