小娘、バンドマンになる 前編〜小娘編3〜

前話はこちら

本気でバンドをやりたい、と欲を持った小娘は、常連のスタジオの店長に相談します。

見るからにハードロックが好きでしかないボサボサパーマ爆発頭のそのおっちゃんは、カウンターの向こうで自慢のギターをいじりながら
「それなら俺たちのバンドに入るか?」と言いました。

…勘弁してくれ。そう小娘は思いました。
その深く凹んだ指板のギターでヴァンヘイレンをブイブイ掻き鳴らすおっちゃんのバンドは、小娘のやりたいバンドではありません。
それ以外で、と尚も食い下がる小娘にヴァンヘイレンはギターを置き、ゆっくりと座り直して話します

「ハム子ちゃん、気持ちはわかる。でも焦ってクソなバンドなんか組んじゃダメだよ。君はいいギタリストだ。もっといいギタリストになるよ。同年代の子を紹介するのは簡単だけど、君の今の時間はすごく大切なんだよ。だから俺はそれはしたくない。もっとライブしてちょうどいい人を引き寄せた方がいいと俺は思う。」

そう真剣な顔で言いました。
でも小娘は生意気ぬかしてコピバンもクビになり、このスタジオでライブをすることすら難しい状況でした。

おっちゃんに感謝を伝え、予約していたスタジオへひっこみ個人練習をするでもなく考え込んでしまいました。

練習も真面目にしない、仲間もいない、特別技術があるわけでもない。こんな自分がいいギタリストなんて到底思えない。それに私にはそんなこと言ってる時間がない、と小娘は焦ります。
実は小娘は超ビビりな上、勢いで動くことなど滅多にない石橋は叩いて壊して組み直してから渡る慎重なタイプなのです。

そんな自分が就職もせず、このままただフリーターとしてギターを弾くことは自分が許せませんでした。
小娘は自分の中で、25歳までにプロとして通用していなければ音楽はすっぱり辞めるという決心を固めていました。逆算していくと、もう動き出さなければ時間がないのです。
鼻の奥がツンときて、いつもの感覚が襲ってきました。
嫌だと思っても涙がぼとぼと落ちてきます。
う〜…と惨めな声を出しながら、白い年季の入ったマーシャルを睨んでしばらく泣きました。泣いてる時間なんてないのに、何もできなくて泣いている自分が本当に憎らしくて悔しくてたまらなくて、足元に横たえたフェンダーが可哀想で、涙がなかなか止まりませんでした。

顔を洗いに外へ出ると、スタジオの壁にはメンバー募集の手作りのチラシが所狭しと貼られています。チラシの下部に連絡先が書かれた部分があり、切り取って持ち出せるようになっているものがほとんどです。
そのうちのいくつかを、ヴァンヘイレンにバレないようこっそりポッケにしまいました。

他にも音楽雑誌の後ろの方のページには、たくさんのメンバー募集が掲載されていました。
足繁く通うライブハウスの壁、バイト先の人の彼氏の友達のバンドマン、いろんなところに可能性を求めて情報を探し、また人のライブをみては悔しくて羨ましくて夜通し泣き、日曜日にはファンキーの元へ通う毎日を過ごしました。

そんな中、部屋でネットのメンバー募集を徘徊していたときでした。

当方ボーカル希望。その他メンバー募集。
追記、ドラム、ベース決まりました。ギタリストのみ募集。

よくある募集記事ですが、小娘が惹かれた一文がそのメッセージにはありました。

[ボーカルの自分以外、全て女性を希望しています]

怪しさ満点、ただの出会い厨かもしれない。もしかするとアダルトなビデオに無理やり引っ張られるのかもしれない。いや待て、ただの変態かもしれない…いやたぶん変態だろ…

そう思いつつ、どうしてもその募集記事は何だか引っかかって仕方ありませんでした。

超ビビり、超慎重、フットワーク激重な小娘は、一晩寝ずに考えました。いつもの自分なら絶対にあり得ない、焦らずよく考えろと自分を叩きまくりました。
そして翌日。小娘は初めてメンバー募集の相手にメールをしました。

待ち合わせは新宿の東南口。自分より5つ上の男性とのこと。
小娘はかなり早く到着し、相手の示した目印の服とバッグを物陰からジッと探します。

あ、あの人っぽい…

その人はギターを背負ったごく普通の男性でした。
特に悪そうにも見えない、変なところへ小娘を売り飛ばしそうにも見えない。学校生活も普通に友達や彼女と楽しく過ごしてきたような、ごく平凡な男性です。

…いってみようかな。

意を決して小娘は男性の近くに姿をあらわします。

「はむ子さんですか?」

男性は嫌なほどすぐに私を見つけ、声をかけてきました。
もう後には引けない。大袈裟ではありますが、この瞬間、優しく笑うファンキーやヴァンヘイレンの顔が頭に浮かびました。

ここで違いますと言えばまだ引き返せる。またチリを買ってファンキーを待って、ヴァンヘイレンのギターうんちくを楽しんで、いいギタリストになると言われながらあのあったかい所にずっといられる…
一瞬でグルグルと考えがごった返し、気圧され、全てをぶわっとくるまれてしまいそうになります。

初めて渋谷のライブハウスで感じた絶望感、たくさんの人の後頭部、遠くに見えるギタリスト、隣のねーちゃんの香水、硬くなってじんじんと痛む指先……意識が飛びすぎてどこが現実なのかわからなくなるくらいの渦でした。もうこのまま逃げ出したい、早く私もあそこに立ちたい、怖い、帰りたい…

もうよくわからなくなって、小娘は放棄しました。

怯えている様子を気取られぬよう、男性の目をしっかり見てしっかり答えました。

「はい、はむ子です。はじめまして」

続く




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?