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信用できる人は、信用したい人。

芸能界の5名

道重さゆみさん、指原莉乃さん、秋元康さん、マツコ・デラックスさん、坂上忍さん。

年齢や性別に関係なく、その人の一部の特徴を僕が憎からず思う方々の一例を挙げてみた。探せばもっといるのは分かっているけれど、とりあえず思いつくところでこの5名。

一見すると「なんだこの異種格闘技は」的な面々。その人のすべてという訳ではないが、どこかで好意的に感じているこの5名の共通点は、人間の狡さや醜さを隠さない潔さだ。それは言い換えれば、"どこかで腹を括っている"様子が見て取れるとも言える。
分かっていながらあえて晒している人と、故意でなくダダ漏れてしまっている人との違いはあるのかもしれない。開き直りと覚悟の違いもまた然り。

補足すると、例えばひろゆきさんのような特例はこの人選に加えていない。あそこまでいくとそもそもどこをどう比較して良いか分からないし、ちょっとレベチというか、もはや領域が違う気がするから。あれほどはっきりものを言えたら痛快だろうな。

人と嘘

ところで以前、「こういうことする人 (嘘を打ち込む人) は信用しない方が良いかもな」という私見を動画の中で織り交ぜた。

「ここでこういうこと言うのかぁ」
「え?そこで嘘ブッ込みます?」

時に何気ないようでもあり、その実とても大事な見極めになる瞬間。その判断はあるいは反射的にその人から発せられる。何をするか何を言うか。人を見る時の判断基準にしている。講釈を垂れる気は更更ない。自分だけがクリーンに生きている訳ではないのだから。

自分も含め、嘘がどこにもない人なんていない。
でも、それでも。

大事な場面で嘘をつかない人が、僕は好きだ。
好きだからこそ、自分にも言い聞かせる。
ここぞという時に笑顔を作って本心を隠すような真似はしたくない。

内面が表に出やすいタイプではないと自覚している。
なかなか心を開かない。ミステリアス。不思議な人。
100人いたらその中で僕の内面を読み取れる人数は数名レベルかもしれない。それだけにコアとなる部分だけは分かる人には分かるように、どこかで気付いてもらえるようにモールス符号の如く何らかの形でサインを示し続けたいと思う。

とは言いつつも実際に関わる人も少ないし、多くの人と関わりたいとも思わない性分なのでなかなか難儀ではあるのだが、そのぶん深く関わる人にはガチでいたい。熱苦しいのは苦手だけど、対面するからには無駄にしたくないのだ。

理想的には「この人だけは裏切ったらヤバい」とか、
さらに噛み砕けば、「この人は裏切りたくない」
狙わずともごく自然に、もしもそんな意識を持ってもらえたとすれば、それはもうでき過ぎなぐらいで、堂々の満点と言えると思う。その中には「でも結局ミステリアスでよく分からない人だな」みたいなことがあっても良いと思う。分かりづらい実像と告げられる頻度も昔から低くはないので…。

人や物事の本質を見抜くのは正直言ってわりと得意な方で、審美眼にはそれなりの自信があるし、またそこを評価していただく機会もある反面、知人に「なんだかすべてを見透かされそうで恐い(笑)」などと膝を付き合わせる場面で冗談交りに恐れられた経験からすると、そうは言っても常に万事を洞察している訳でもあるまいし、いやいやもっと気楽に構えてもらいたいのだけどな…と思ったりもする。しかし同時にその恐さはきちんと持っておくべきだと感じている。時には人生を生き抜く術や武器になるような個性は自分にとってとても大切なものだと思うのだ。

気を遣うことが短所?

少し話は逸れるが、最近ある人からこう言われる機会があった。

「あなたはこちらの顔色を伺うけど、それはしなくて良い。やめてほしい。」

当然こちら側には何の悪気も無かった。なるべく相手の意見を尊重しながら、意向には添いたいし、相手を不快にさせたくない。

「大丈夫?」「快適に過ごせている?」

そんな相手を思っての気遣いも場合によっては顔色を伺うと捉えられるということを知った。言うまでもなく、個人的には不本意だった。

しかし結果的には相手を傷つけてしまったかもしれないという申し訳なさと、そう思うことによって自分をも傷つけてしまう痛み (自爆) によって、脳が一瞬フリーズした。スルーされるぐらいの予想はついても、まさかそんな返しが後頭部あたり斜め45度の方向から時速150kmで飛んでくるとは。まさに想定外の出来事だった。”気ぃ遣い”が過ぎる結果とも言えるのかもしれない。

加えて、もっとも結果論からすると、その人がちょっと特殊な人だったということと、二者間の人間関係を前提とした相性が最悪だったので、今になって冷静に思えばどちらが悪いという問題ではなく、関わり方や距離感を間違えたなという反省ありきの解決こそしているものの、その時は「なるほど…これはある意味自分の欠点なのだろうな」と直感していた。解釈によっては自分のために取っていた言動とも言えるし、事実そんな側面はあると思う。

自分が安心したいため。自分が納得したいため。
その人にとっては自己中心的なものに感じたのだろう。もちろんその人がどういう意味・どこまでの意味で、尚且つどんな意図でもって思いを伝えたかったのかという真意にもよるし、果たしてそれは長所なのか短所なのか、打算目的なのか気遣いの範疇なのかも重要で、いずれにしても今となってはそれが発動される局面次第な気もしているが、少なくともその時に相手に与えた印象はネガティブなものだったのだろうなという感触がある。

受け取り側によってはある意味欠点?とも言えるそんな特徴がある一方で、片やさっきの”ミステリアス”や”実像が見えづらい”ことは、必ずしもネガティブに考えてはいない。そんな特徴をポジティブに変換する場面は日常の中で沢山あると感じているのだ。ぶっちゃけどっちもどっちかもしれない。が、顔色を伺う件に対し、なんとなくこちらの方が相対的にその比率は上がるのではないかと。自己分析の得意不得意が人によって違うのは難しいものだと思う反面、面白いとも思うのであった。

自分にとっての信頼できる人

改めて冒頭の5名「人間の狡さや醜さを隠さない潔さ」

もちろん5名全員が同じ度合いということはない。ちょっとだけだったり、もろ完全にだったり、各々そこには度合いの差があるのだけれど、そんなものを晒け出せる、あるいは晒け出そうとしている正直さを僕は信用する。シンプルに気持ちが良いし、尊敬ができるし、感服もする。つまるところこのケースに限って言えば、僕の中では信用できる人=信用したいと思わせてくれる人というところが重要だ。

一方では今回の5名のような特徴がある人というのは、同時にちょっと狡かったりもすることが往々にしてあるものだと思っている。それは賢いが故のことなのかどうか。そしてこの場合の狡いは、決してネガティブな意味での狡さだけとは限らない。いずれにしてもその狡さや、見方によっては醜いとされるようなところを一定量晒け出している潔さや人間の本質的な部分にとても惹かれる。あり得ないこととはいえ、もしその5名と仕事をしたとすれば、自分側からは一方的かつ自動的に信用できてしまうのだろうなと思ってしまう。

終わりに

さて、もはやハロプロの話でもなくなってきたこの話。何が言いたかったのか自分でもよく分からない(笑)。ここで挙げた5名は動画にもちょこちょこ名前を出したりしているけど、ハロプロチャンネルという性質上、坂上忍さんの話は動画で話す機会も無かったよな~と坂上さんのインタビューを見ながらボーッと思いつつ、そうかnoteに書いておこうと思い立った今日この頃なのでした。坂上さんは本当に人間としての中身が男前で大好きです。

ちなみに今回のテーマのようなことからは無縁のところで生きているので本筋からは逸れますが、以前YouTubeのコラボ対談でご一緒させていただいた北のアリョーナさん。彼女に関してはよ〜く見るまでもなく無条件に、ほぼ直感で一瞬にして信用しちゃいました。そして予想通り素晴らしい人間性の持ち主でした。終わり。


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