「わからない」の先へ

「わからない」ものに出会ったとき、人は一度立ち止まる。その後あなたはどうしているだろうか。



野球を見ていると「わからない」ことがたくさん出てくる。それは試合中のプレーだったり、選手たちの言動だったり、継投や代打代走起用だったり、スターティングメンバーだったり、一軍登録抹消についてだったり、新戦術についてだったりする。

「わからない」がゴールだと、そこでもう全てを諦めてまうか気分を損ねてしまう人が多い。自分が理解できないものが上手くいく想像ができないのだ。それに苛立ち攻撃的になり文句を言うようになる。自分が考えうる範囲の最善策を押し付ける動きをする人もいる。よくある公式クソリプである。そこがゴールなので、その人の考えがそこから進むことはない。

「わからない」がスタートだと、世界は広がる。まず否定から入るのをやめてそのまま受け容れてみる。なんの理由もなくその選択をすることはまずないだろう、ではその理由とはなんだろう?と考えはじめる。自分の考えだけでは答えにたどり着けないので他の人の考えを気にするようになる。過去にヒントがないか探し始める。これから起きることの中に答えがないか今を注視するようになる。未来のことを考えるようになる。

だいたいプロ野球なんてものは全てが希望で出来ている。実際にはうまくいかなかったとしても、その起用にはこれでうまくいってほしいという願いがこもっている。そういうプラスの要素を(たとえ自分の妄想だったとしても)拾い上げてみる。マイナス要素だけの起用はプロ野球には存在しない。そういうスタンスで考えるようにしている。

こうやって考えていって、少しでも「わかった」ような気になると一気に楽しくなる。実際のところ正解は大抵わからないままなのだが、たまにインタビューや記事などで答え合わせができたりする。自分の予想が当たっていたときはとても嬉しいし、全く見当違いなときだってマイナスにはならない。そうきたか!と膝をうち、足りない知識や考え方を補い次に繋げる楽しみがある。


これは野球に限ったことではなく、普段の生活で出会う様々な「わからない」や学校の勉強での「わからない」も同じことだ。「わからない」をゴールにしてしまうのはもったいない。明確な答えがあるものもそうでないものも、周りの力を借りながら考えることの楽しさ、「わかる」ことの気持ちよさを感じてほしい。

今は便利なものがたくさんあって「わからない」ものは検索すればすぐ出てくるようになり、自分で探して考えて「わかる」体験をする機会が少なくなった。だから「わからない」をゴールにしてしまう人が増えてしまったのかもしれない。昨今、リアル脱出ゲームやクイズや脳トレの番組が人気なのはみんな「わかる」体験をしたいからなのかなと考えている。前述の通り、「わかる」ことは気持ちがいい、まぎれもない快感なのだ。


何を隠そう、自分自身もこういう考え方ができるようになったのは最近のことである。数年前は『ぼくのかんがえたさいきょうのすためん』なんかやっていたり愚痴や文句を垂れ流したりして、完全にゴール側の人間だった。それがもう一歩踏み込んで考えるようになってから見える世界が、物事の見え方が、扱う言葉が変わってきた。そしてそんな今の自分のほうが圧倒的に好きなのである。だからこそ多くの人に「わからない」を越えたその先を知ってほしい。騙されたと思ってまずスタートラインに立ってみてはくれないだろうか。ハマればとっても楽しいよ。





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