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ゆがんでいる(2)

自分の顔はゆがんでいる。
そんなこと、認めたくない、だから自分の顔を見たくない。

そういうことだったんだ。
辛いと思っている自分を見ないようにしていた。
本当はつらいのに、自分の気持ちに蓋をしていた。
平気なふりをしていた。
だって、自分の顔が嫌だなんていうのも悲しいし、認めたくない。

こんな葛藤を毎日抱えているから、私は何も見えていなかったのだろう。
何も、というのは語弊がある。
くすんだ灰色のサングラスを、いつもかけていた感じだろうか。
そうすれば、自分の顔をはっきりと見ることもない。
ゆがんでいる事実を認めたくなかったから、目を逸らしていた状態だ。
一生懸命、前を見ようとしていたのだろうが、どうしても見えてこない。
前が見えないのは、怖い。
そしてイライラが積もっていく。

自分を見ようとしても、もはや自分が素直になれていなかった。
そして自分を認めていないから、前に進もうにも、進めなかったのだと思う。

本当の自分の言ってる声も聞こえていなかった。
「私をちゃんと見て。認めて。愛して。」と自分が言っていたのだ。
本当は自分を愛したいし、認めたい。

私は自分に謝った。「ごめんね。ちゃんと見てあげなくて。」

ここで私は気が付いた。
「私をちゃんと見て。認めて。愛して。」というのは、幼い頃母に向かって、心の中で言っていた言葉じゃなかったか?

私は母を恨んでいるのだろうか?
今現在の私は、年老いた母に感謝して、穏やかな関係を作ることができている。

しかし幼い頃の自分の心が置き去りになっているとしたら…
ゆがんでいる顔、の現実を受け入れるために、
今に続く自分の心を、幼い頃まで深く深く見に行ってみようと思う。
勇気を出して

つづく



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