見出し画像

競馬、シルクの歴史を追ったら深かった。

イクイノックスや
アーモンドアイの馬主として有名な
シルクレーシング。

この馬主の内実を調べていたら、
深すぎる人間ストーリーが見つかった。

(以下、私の勉強記録の面もあり、長い)


まず、水色に赤玉霰(たまあられ)の勝負服が
印象的なシルクレーシングとは、何者か。

正式名を「有限会社シルクレーシング」といい、
これがいわゆる法人馬主で、
中央競馬の馬主資格を持っている。

そして、この法人馬主へ
競走馬を現物出資しているのが、
有限会社シルク・ホースクラブらしい。

こちらはクラブ会員の出資を募って
資金を集め、競走馬に投資する愛馬会法人で、
法律上は、投資ファンドとみなされる。

※クラブ法人は、馬主資格を持っている方でした。


投資ファンドとは、投資信託と似た金融商品で、世界中の投資家から集めた資金を様々な資産に運用してリターンを得る基金のことをいいます。ファンドの資金を運用する担当者のことをファンドマネージャーといいます。ファンドマネージャーは、投資対象をあらゆるモノに向けています。上場している企業に対して資金を振りわけることもあれば、ゴルフ場等の資産に投資することもあれば、様々な国々の発行する国債に投資することもあります。

東海東京証券「証券用語集」より

つまり、シルク・ホースクラブは、
投資対象を「競走馬」とする投資ファンドで、

クラブ会員から「一口いくら」
という形で集めた資金を
生産者からの競走馬購入にあてている。

そして、購入した競走馬を
馬主であるシルクレーシングへ現物出資し、
最終的には
シルクレーシングが馬主として機能する。

そんな構図らしいのだ。

購入した馬が必ず活躍するとは
限らないので、出資は投機的と言える。

ゆえに、投資信託に類似した
「投資ファンド」とみなされるのだろう。

最初の出資者であるクラブ会員は、
シルクの馬が獲得した賞金等の利益から
進上金やクラブ法人・愛馬会法人への手数料など
差し引いた額の分配を口数に応じて受ける。

ざっくり言うとこんな仕組みっぽい。

実際には、馬の維持にかかった実費も
口数に応じて追加で継続的に出資するらしい。

(経験者ではないので、
詳細の真偽は不明だ)



さて、人間ストーリーはここからである。

この馬主シルクレーシングや
シルク・ホースクラブの前身は、
「有限会社シルク」といって、

福島県で絹糸(=シルク)事業を営んでいた
阿部家(阿部製糸株式会社)が立ち上げた
クラブ法人(=法人馬主)だそうだ。

この前身の代表は、
当時から個人馬主だった阿部善武氏。

阿部家は、ひょんなことから
同じく福島で生産を行う「早田牧場」の
早田家との縁を持ち、

同牧場が北海道新冠へ進出するにあたって
支援を行う事を契機に
クラブ法人を立ち上げたらしい。

より具体的に言えば、早田牧場の生産馬を
シルクが集めた出資金で買い、
レースに使うのである。

人間的な縁が始まりとは、
すでに人間臭い展開だ。

前身は、冠名(かんむりめい)「シルク」
を用いており、
特に新冠支場で生産された馬が好成績を上げた。

例:シルクジャスティス(1997年有馬記念)
例:シルクプリマドンナ(2000年オークス)

しかし、馬の活躍の一方で
早田牧場の経営は危機に瀕していたらしい。
主な理由は、以下の通り。

・1990年代のバブル崩壊による大不況
・福島県天栄村に建設した育成牧場
 「天栄ホースパーク」にかかる負債
 (これは現ノーザンファーム天栄)
・強力なライバルの出現
 (サンデーサイレンス導入後の社台ファーム)

今や有名なノーザンファーム天栄の源は、
この時にできた事を私は初めて知った。

早田牧場は、2002年に経営破綻。

その前年に、有限会社シルクは
グラスワンダーの馬主として知られる半沢らと共同で
「天栄ホースパーク」を買収し、
そこでシルクの馬を
育成調教するようになったそうだ。

しかし、その後のクラブ成績は降下。
会員数も減る中、
クラブの貴重な稼ぎ柱だったのは
シルクフェイマスという牡馬。

早田牧場から購入した
最後の世代の馬だそうで、
同牧場を代表する繁殖牝馬だった
モミジダンサーの血が入っている。

この馬の戦績を調べたところ、
43戦9勝で、
獲得賞金は、約4億7300万。

主にG2で勝ち星を上げ、
2002年の3歳新馬戦から
2009年の天皇賞・春まで出走し続けた。

ゲームの話だが、
ダビスタでの私の牧場にも
彼のような存在がいて、

レースを走りまくり、
次へ繋げるお金を
稼いでもらっていた。

丈夫で回復が早く、その上で
重賞レースを勝つ実力まで持つ馬。

そんな馬のおかげで
私の牧場も食い繋いだ感がある。
本当にありがたかったし、
その特徴ある走りは今でも印象深い。

(タイキシャトルに似た走りでした)

私の経験はあくまでゲームの話だが、
シルクフェイマスもそんな
逞しい存在だったのだろう。

シルクの恩人。他にもいるだろうが、
胸アツのストーリーなのだった。

2000年代の有限会社シルクは、
経営回復のために様々な改革を行う。

しかし、2010年に金融庁の指導で、
クラブ会員を繋ぎ止めるのに
一役買っていた補償制度を
廃止せざるを得なくなったり、

2011年の東日本大震災で、
天栄ホースパークが物理的な損害だけでなく
放射線の風評被害までも受けた事で、
競走馬の受託で稼ぐ方面も苦しくなったりと、

シルクは更なる追い討ちを
かけられたのだった。

今でこそ輝いて見えるシルクだが、
大きな苦労もあったようである。

そんな中、同2011年、
シルクはノーザンファームに
天栄ホースパークを売却。

「ノーザンファーム天栄」が
新たにスタートした。

加えて、ライバルだった
社台グループとの提携も強化。

これ以降のシルクは、
主にノーザンファームの生産馬を
扱うようになった。

また、シルクは更なる内部改革を続け、
手数料を引き下げるなど
配当額の増加にも尽力したそう。

(この時期の改革は「アベノシルク」
と呼ばれることがあるらしい)

以上の結果、クラブの成績は
長い道のりを経て
やっと改善したようだ。

そして、2014年、
法人名が「有限会社シルク」から
「有限会社シルクレーシング」へ
変更された。

この馴染みある名前は、
案外に歴史の浅い名前なのだった。

ちなみに、2023年時点で、
有限会社シルク・ホースクラブの代表は、
ノーザンファームの吉田勝己代表の娘さん。

そして、有限会社シルクレーシングの代表は、
その娘婿さんだそう。

前代表は、最初にも出てきた阿部善武氏が
変わらず努めていた。

ここも人間味が深い。


さて、長々とイクイノックスの馬主
「シルクレーシング」を探ってみた結果、
私が心得たのは2つ。

・競馬は、人間味のある世界
・競馬に安泰はなさそう

盛者必衰とまで言えるかは
わからないが、
人物と馬への愛情がコアとなって
かなり人間らしく動く業界らしい。

どの業界もなのかな?


ではでは。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?