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私はどこから来てどこへ向かうのか

空想に夢中になる子供だった。

庭には、祖父がていねいに育てていたクチナシの花があり、むせかえるようなニオイを放っていた。私はその匂いが大嫌いで、いつもクチナシの近くに行くときは息を止めなくてはならなかった。

ヒステリー気味な母とギャンブル好きな父を持ち、小学校2年生のときに両親が不仲だということを確信した。幻をよく見るようになり、悪夢が怖くて夜眠れない子供になった。

頭が痛くなるようなクチナシの香りと、幻覚と悪夢の詰まった一軒家から逃げ出したいと、いつもそう願っていた。


家にはアップライトの黒いピアノがあり、母のシュミでピアノ教室に通わされていた。私は練習を一切しない最低品質級の生徒で、講師の女性を何度も泣かしたことがある。

ある早朝、目覚めると、両親が段ボール箱に荷造りをしていた。
「ちょっと遠くに行くから早く支度をしなさい」
といわれ、目をこすりながら服を着た。

たくさんの荷物がトラックに積まれる中、だれもピアノを運ぶ気配がないのに気が付いて、母に聞いた。

「私のピアノは持っていかないの?」
「ピアノは置いていくのよ」

私は自分がピアノを弾くのが好きだったことを思い出して、

「最後にちょっとだけ弾いてもいい?」
と聞いた。母は
「こんな早朝に、近所迷惑になるからやめなさい」
といった。

黒く閉ざされたままのアップライトピアノとクチナシの強烈な香りをあとに残し、私たち一家は、その朝、その町から消えた。


私が学生を終えて社会に出たとき、すでに日本のバブル経済は崩壊して木っ端みじんだった。日本の某有名英会話スクールで事務職員として就職したものの、肌に合わず3か月で退職した。

日本では働けない体質かもしれない、とウスウス感じていた私は海外に目を向け、9年半続いた香港生活は私の人生におけるバブル経済絶頂期だった。

でも、私は11歳のときに経験したことを忘れない。お金が無くなれば大人は離れていく。それまで「社長の娘」としてちやほやしていた大人たちが、手のひらを返したようにそっけなく豹変したことを。

「女の一生は男で決まる」

―――海外に居ながらにしていつまでも昭和から抜け出せないセンパイ女性たちを後に、私の香港バブルは終わった。


そして、10年近い香港生活の後、私は自然の中に戻ってきた。今はカナダの森に囲まれた家で暮らしている。

趣味で野菜や花を育てているが、庭仕事をしているときに思い出すのはあの古い家と強烈なクチナシの香り、そしてその花を丁寧に手入れしていた祖父の後ろ姿だった。

同時に、幻想と白昼夢も取り戻したみたいだ。

カナダの森の中に居ながらにして、私の精神は自由に放浪する。そして、そこからあふれる何かを書き留めようと、指の間をすり抜けようとするコトバたちを相手にしながら。

・・・

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