見出し画像

春を憎む

丘の上の古ぼけた病院から放たれると「一日二本まで」という主治医との約束などはな忘れ、実家のベランダで春の突風に吹かれながら、大事に喫んだ三本目の吸い殻を携帯灰皿で折り畳むように念入りに押しつぶした。
かねてからやめろ、やめろと再三言われ続け、まるで喫んでいないかのように振る舞っていた手前、私も喫煙をねだるのをためらっていたが、呂律の回らない舌で獣のように心を熱り立たせながら家族にねだった喫煙だ。フィルターのギリギリ手前まで吸う。はらはらと涙をこぼすような桜のようにもう少し美しく煙草を吸いたかった。春、大好きな季節に私は世界に対して大失恋をした。そして初診日から12年経過した今、精神疾患の診断名が統合失調症という病気に切り替わった。

「お誕生日おめでとう」
誕生日は糞尿の匂いの立ち込める閉鎖病棟で迎えた。給食に添えられたカードはすこし悩んだ後でこっそり捨てた。足跡を残したくなかったのだ。"私にだけ聞こえる声"は皆も共有している感覚だと思い込んでいた。それゆえ、"私にだけ聞こえる声"に対して幻聴、と俯瞰できるところまで漕ぎ着けた今、今まで見たもの聞いたもの全てが幻、という気がしてくる。きっと全部桜のせいだ。すべてがはらはらと舞い散る。「あんたが退院したらずっとあんたに煙草を買い与えなければならないのか?」三本目をねだるときに姉からなじられ、喫煙具をこぼすように与えられると、私はみっともないとはっきり自認していながらも、どうしてもライターを着火せずにはいられなかった。

入院して三ヶ月目に突入し、今は丘の上のひっそりとした閉鎖病棟から降り一時的に実家で生活することを許されている。閉鎖病棟での携帯電話は使用禁止、喫煙は散歩中に二本まで。
三ヶ月開かなかった携帯電話に触れると、特に誰からも連絡も無く、届いていたのは風呂屋のクーポンや化粧品の入荷情報だけだった。突然の入院といい、病気とアイデンティティのあいまいさといい、私は私が誰なのかわからなくなっていた。私だけ切り抜かれてしまったかのような空白(あるいははじめから何もなかった)。海底に沈められたような心地に陥り、横浜の街並みを思い浮かべて無性に淋しくなった。私は一体誰なのだ?病院に入る前に顔を失ってしまった。一般の生活を試みながら、再び老婆しかいない閉鎖病棟での生活を憂う。私の気持ちとはうらはらにうららかな春を謳歌するウインド・ブレーカーを着たランニング愛好家や家族連れを遠巻きに見ながら、一人春を憎んだ。

頭が壊れて以降、洗髪が上手くできない。閉鎖病棟で長かった髪を二十センチほど切ってもらった。この三ヶ月、おばあさんだらけの閉鎖病棟で横になっているだけだった。私は私が誰なのかわからなくなってしまった。退院したとてすべてが無に帰しており、全てを失ったような気さえしてくる。どこへ行き、何をすればいいのかさっぱりわからなくなっていた。本はあらかた読み潰した。西村賢太先生、私はやっぱり因果者です。故郷のベランダでしばし呆けた。まだ冷たさの残る春風が首元をくるくると舞うのを感じながら、姉の言葉を思い出してヒヤリとするのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?