見出し画像

人に悩みを打ち明ける時、心得なければいけないこと。

「友達に〇〇のこと相談したら、こう言われてんけど、どう思う?」

悩み事を友人に相談したら、想像していたのと反する答えが返ってきて、さらに悩んで、また別の友人に相談。

人というのは悩み事が尽きない。
どれだけロジカルに考えても、相手ありきなので、決着がつくかどうかはまた別の話だったりする。決着をつけたくても、相手が決着をつけようとしないのなら、そこで生じるのがまた悩みであり、延々とループになる。


男女の脳の違いを読み解いた本には、女性は話すことで頭の中身を整理し、男性は一人で考え事に耽り解決しようとする傾向にある、というのが一般的だ。でも、実際には100%そうではない。

男性が仕事帰りに夜の街へ行くのも、オヤジの下心だけでなく、聞き上手のホステスに話を聞いてもらうためだろう。会社での嫌な出来事を口説き文句で忘れようとする人もいるのだろうが。人と会話もち、ストレスを軽減しようとしていることに代わりはない。

人は悩み事を抱えて消化しきれずにいると、他者に伝えて解消しようとする。話した相手が自分の辛い現状に痛く共感してくれれば、不思議なことに自分の悩みは軽減する。まるで1点の悩み事の半分を請け負ってくれたかのように錯覚することもある。

ただ、全ての物事が同じように進むとは限らない。

相手が真逆の意見を口にしたり、自分の考えを否定した場合はさらなる負担を課されたような気分になる。元々の悩みの上に、自分の考えが正しいのか間違っているのかわからない状態になるのだから当然だ。そこでまた、別の友人に悩みを打ち明け、、、 更なる深みにはまっていくのだろう。


恋愛の相談事などは、一定のルールを持っておいた方がいい。

まず、自分を知っておかなくてはならない。
相談事をしたい時は、自分の中で答えが定まっていない。

そして、相談事には2つの意図がある。

一つは、話をすることで共感してもらい、心の負荷を軽減させたいというもの。モヤモヤを吐き出したいというのもこの部類だろう。

もう一つは、言葉にすることで頭の中を整理し、他人の考えと自分の考えを比較し、答えを得るというもの。

どちらか一つを得るために、人は他者に相談する。

では、アドバイスは不要なのか。
当然そうなるのだが、実際にはアドバイスは参考程度のものだ。

相談する相手は、自分達のことをずっと見ていたわけではない。お互いの考え方を知っているわけでもない。お互いが置かれた環境や、その他諸々影響を及ぼすことがあるのだが、そんなことは全く知らない。話して伝えられることなどごく一部であり、自分に成り代わって考えてほしいなどということは現実的ではない。

それでも、自分自身は悩んでいるのだから、別の経験則に基づいた知見を得たいのだろう。自分の考えと、他者の考えを複合的にみて、自分の中で折り合いをつけようとする。

残念な事実だが、「自分はこう思う」と確固たるものを持っていたとしても、他者からみればそうではないことは多く、なぜ相手があのような答えを選択してしまったのか、考えあぐねるようなことは多々あるのだ。

抑えておかなければならないのは、他人に解決の糸口を求めることをやめる事だ。解決に至らなかった時、裏切られたようで落胆するのは、元々自分の勝手な期待があるからだ。自分自身で答えを見つけなければいけないのに、ヒントや参考事例を得るだけでなく、答えそのものも他人に期待すること自体が間違いなのだ。

仕事を進めて行く上で、周囲への相談事は日常だ。仕事上であれば、目指すところが同じ人達の集まりだ。解決策を提示してもらえたり、権限を行使して助けてもらえることも多々ある。

が、個人間の相談事となると全く違ったものになる。お互い属するコミュニティが違うため、権限を行使することも出来ない。自分が想像し得る範囲でしかアドバイスも出来ない。そして、相談者本人が選択するのを見届けることしか出来ないのだ。

私は人の考え方を知るのことが好きだ。
他人ならばどう考えるか。
複数の選択肢を持った時、自分が出す答えも変わってくるはずだ。

自分が出した答えが、悪い方向に進んだ時、あなたは他人を攻め立てたりしない。自分で出した答えだから、自分で責任を負うだけだ。

人の悩みは尽きない。

だからこそ、相談事は聞いてもらうためのもの。そして、参考にさせてもらうためのもの。答えは自分で出すもの。

そう心得ておくと、誰も傷つかない。

信頼する人に、時に甘える。
責任を負わせないよう、甘える。

自分の心得方次第で、着地点が全く違うものになるかもしれないから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?