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親の命日に想う


 命日に思いを馳せる対象は人により様々でしょうが、親の命日というのはやはり特別と感じる方も少なくないと思います。時とともに日常では忘れている時間が増えてくるでしょうが、やはり喪失の悲しみは何度も蘇りますね。

 中には命日を特定できない場合もあります。その場合、命日として祈りを捧げて良いものかどうか、落ち着きの悪さを感じますが、そうであったとしても自分の人生において最も大切な人を失った痛みと、共に過ごした貴重な日々を思い出す機会を与えてくれる日です。命日を特定できない場合でも、その人がいなくなったことの実感と、その存在が私たちの人生に与えた深い影響を感じることは変わりません。

 親との記憶は、私たちの心の中で生き続け、時にはその記憶が突然蘇り、心を揺さぶります。見送れなかったこと、もっと共に時間を過ごしたかったという後悔、そして何よりも、言葉にできないほどの感謝の気持ち。これらはすべて、私たちが親に対して持つ深い感情の一部です。

 子として時に反発したことがあったとしても、考えるほどに生前には気づけなかった多くのお陰様を感じるようになりますね。諭されたこと、敢えて言葉に出さなかったのだろうなぁということ、多くの支え、そして常に守られていたのだというありがたさ。手を合わせて感謝しますが、その気持ちを生前にどうしてもっと伝えられなかったのか、人として今より未熟だったことに悔しさを感じます。

 親を失うという経験は、私たちの人生において避けられないものですが、親との関わりの中で育まれた様々な経験や感情は、私たちが引き継いでいる貴重な宝なのでしょう。親が私たちに与えてくれた経験は、私たちの中に生き続け、私たちを支え導いてくれます。

 命日が明確でなくても、私たちの心の中で彼らを偲ぶことに変わりはありません。親と過ごした時間、彼らから学んだこと、そして共有した愛は、時間が経っても色褪せることはなく、かえって輝きを増してくるものですね。親への深い感謝を込めて、彼らの生きた証を大切にし続けることが、私たちにできる追悼のこころでしょうし、それが残る人生を生き抜く支えになるのだろうと思います。

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