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専門家は,科学技術のためには多少のリスクは仕方がない,問題はその頻度だと考える.
しかし,生活者はどうであろうか?自分や家族にとって,たった一回の損害で生活が揺らぐと,立て直すには,長い期間と苦労が必要となる.生活者にとって損害の大きなリスクは頻度が低くても,深刻な問題となる.
専門家と生活者は立場が異なるのだ.
私が,情報セキュリティの教育に疑問を持った初期のころ,教育は技術的な側面ばかり取り上げられ,ルーターの設定やポートの管理ができるようになれば良しとされていた.それは,通信機器の管理の話であり,立場の違う一般ユーザがそれを知っても何の意味も持たない.(もちろん技術側面も重要ではある.と書いておく)

情報セキュリティは生活者の活動範囲で,生活者が直面する問題が語られるべきである.生活者が被る損害はデータの一部ではなく,ひとりひとりが抱える困難である.そして,そんな生活者が危なかったところから直前で踵を返すことができた事象をもっとオープンに話していくべきである.

実際,社会人にヤバかったー話をしてもらうと,「それ,聞いたことがある」,「私も,そうやりそうになった」など,共有されていなかっただけで,同じような危機に直面した話を耳にする.
生活者のリスクを共有する.そんなことができたらいいと思う.

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