「ごめんね」と「ありがとう」が心を削る
親のしつけの影響だろうか。
私は「ごめんね」と「ありがとう」をよく言うようにしている。
コミュニケーションを円滑にする、魔法の言葉だと思う。
癌による苦痛には、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、そしてスピリチュアルペインがある。
もちろん身体的にも精神的にもかなり辛かったが、私にとってはスピリチュアルペインが一番苦しかった。
「家族や職場の人に迷惑をかけている」
「自分は何もできなくて無価値だと思う」
生きる意味、というほどたいそうなものでなくてもいいのだけれど、誰かの役にたっていたかった。
「休職することになりました、ご迷惑をおかけします。」
「私の入院中、はやく帰ってきてもらわないといけないと思う。ごめんね。」
「抗がん剤治療中、子どもの面倒など手伝っていただきたいです。いつも頼ってばかりで本当にすみません。」
「私の病気のせいで旅行キャンセルになって、申し訳ない。」
「ママ、少ししんどいから寝てるね。遊んであげられなくて、ごめんね。」
職場に、夫に、親に、家族に、子どもに。
何度謝ったかわからない。
「すみません」「申し訳ありません」「ごめんね」「ありがとうございます」をただひたすら繰り返した。
繰り返すたびに、自分の自己肯定感が削られていった。
ただ、申し訳なさを感じることに釈然としなかったことも事実だった。
私だってなりたくて病気になったんじゃない。
なんなら私が一番辛い。
自分が一番辛い思いをしているのだから、その悲しみに浸らせてほしい。
周りに気を遣って、心をすり減らしているのがなんだか不思議だった。
私は病気になって苦しんでいる側でもあるし、家族を巻き込んで迷惑をかけている側でもあった。
この、相反する状態が自分の心を混乱させた。
謝りたくないわけではない。
けれど、自分も被害者で一番の悲劇のヒロインなのに、ただ病気になったからというだけで圧倒的弱者になってしまったのが悲しかった。
癌になった瞬間から、誰かに助けてもらわないといけない存在になった。家族に、職場の同僚に、医療者に。助けてもらわなければ、自分は生きられない。自分の病気のせいで家族の生活をめちゃくちゃにしている自覚もあったし、下手に出て、謝罪と感謝を伝えることしか私にはできなかった。
人は支え、支えられて生きている。
仕事と育児の両立で忙しかったときは、子どもの急な発熱で職場に迷惑をかけることも多かった。けれど、自分のできることは積極的にした。それで「ありがとう」を受け取ったから、心を保っていられたのだと思う。
癌患者になって、助けてもらう場面しかなくて、支えてもらってばかりで。
私が誰かを支えている瞬間は存在していなかった。
私が「ごめんね」と「ありがとう」を伝える相手はたくさんいても、私に「ありがとう」と言ってくれる人はいなかった。
私は、つくづく誰かの役に立っていたい人間なのだと思う。
どうしたらよかったのか、周りにどうしてほしかったのかはいまだにわからない。
どうしようもない悩みなのかもしれない。
周りから気が付かれにくい悲しみだからこそ、自分でががんばるしかなくて。
あのときの自分に会いに行って抱きしめてあげたいな。
がんばってるね。大丈夫。生きてるだけで偉いよ。病気になったのは誰のせいでもない。謝らなくていいんだよ。
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