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早稲田から箱根へ、そして世界へ〜ニューヨークシティハーフ遠征③

3月17
『…ふぅ〜ン、よく寝た…いま何時だ?』

枕元に置いたスマホを見ると、まだ1時半を過ぎたところだった。
そうだ、The Ten(ロスで行われている10000mレース)の結果は?と速報ページを開くと、26分台は多数出たものの、日本人選手でパリ五輪標準突破者はいなかったようだ。(日本人トップは太田智樹選手で27分26秒41)
まだ時差ボケが解消されていないためか、その後は深い眠りに入ることはなく(横で寝ている伊藤を起こさないように忍足でトイレに行ったりもして)うとうとしているうちに、3時25分の起床時間を迎えた。
朝食の前に少し散歩したいというので、伊藤とホテルを出てほど近いタイムズスクエアまで歩いた。
昨夜はSaint Patrick’s Dayのパレードがあったせいか、それともいつも通りなのか、この時間でも街には割と人がいた。ビルに映し出された巨大なスクリーンの明るさもあってあまり危険な感じはしないが、15分ほど歩いてホテルに戻ることにした。

夜中でも煌々と輝くタイムズスクエア


4時前に部屋に戻ると、昨夜食べた日本食レストランで特別に用意してもらったお弁当と、私が日本から持ちこんだインスタント味噌汁を朝食として食べた。
そして、5時には大会側が用意したバスに乗ってスタート地点へ向かった。
大学駅伝ではこうした早起きはよくあることで、また時差ボケも手伝って(日本時間だと夕方)身体がよく動く感じがする。伊藤もこのレースに向けて良い練習ができていたのでレースが待ち遠しい感じだ。
6時前にスタート地点に着くと、エリート選手待機場所と用意されたジャッキー・ロビンソン・スクールに案内された。ジャッキーロビンソン氏は、1947〜56年にかけてアフリカ系アメリカ人選手として大リーグで大活躍した選手である。
廊下の壁画には、その時代にロビンソン選手が人種差別で大変な苦労をされたことが書かれてあった。

ジャッキーロビンソン選手の壁画

『アップが終わる頃にはカメラ車に移動しないとだから…大志は積極的に行ってもいいけど後半もしっかりね。山口はこの後もあるので前半は無理せず慎重に。』
アップに出かける前の2人にそう声をかけた。
山口はあまり状態が良くないのと、この後に世界クロカンも控えているため、このレースをどう走るかはニューヨークに着いてから何度となく話していた。ニューヨーク入りしてからは、現地での治療やマッサージのおかげもあり、ここ数日では一番状態は良さそうだ。

『Let's go!』
そう声をかけられて大会役員の女性についていくと、スタート地点から300mほどいった場所にカメラ車が控えていた。

カメラ車の荷台にセットされたソファ

『No seatbelt?』
私の問いかけをジョークと思ったのか(そんな感じでは言ったが)カメラマンも女性も笑っている。

『防寒をしっかりしておかないと無茶苦茶寒いですよ!』
ニューヨークに経つ前に相楽さんにはそう脅されていたが、この日の気温は11度。この時期としては近年になく温暖な日となったので心配はなさそうだ。

…と思ったのも束の間。
レースが始まって車が走り始めると、撮影用にスマホを持った手は常に風に晒されてかじかんできた。
レースを間近でよく観れると思ってブレットさんに大会側に頼んでもらって乗せてもらったカメラ車だが、安全のためか先頭集団のはるか前方を走っているため選手の顔の判別も難しい状況だった。
前半こそ先頭集団の中の臙脂色とその動きで伊藤は確認することができた。しかし、マンハッタンブリッジの大きな坂をものともせず上っていくA・キプチュンバ選手ら先頭4人のペースに、伊藤も付いて行けなくなり全く見えなくなってしまった。
選手の位置情報が確認できる大会オフィシャルアプリで、キプチュンバ選手と日本人3選手の位置やラップを確認しているうちに、カメラ車はレース終盤となるタイムズスクエアに差し掛かっていた。

『花田さんー!』
予想もしない掛け声に、一瞬空耳かと思いつつ、通り過ぎた通りに目をやるとこちらに手を振っている人が見えたので手を振り返した。

タイムズスクエアには多くの観衆が

セントラルパークに入ってゴールまであと400mあたりのところで、カメラ車は右に曲がってコースを外れて停車した。

『Can I go to the goal?』
『of course!』

そう答えた女性スタッフを、先に荷台から降りた男性カメラマンと私とで手を差し出して降ろした後、私はゴール地点付近まで小走りで向かった。
先頭のキプチュンバ選手が通り過ぎて2分半近く経ったところで、遠目に臙脂とわかるユニフォームが見えてきた。動きから山口とわかった。

『ラストー!』
通り過ぎる際にそう声をかけると、山口は笑顔でこちらを見た。少し心配だったが、事前に話していた形で最後まで走り切れたことで本人的にも安心したに違いにない。
山口の後ろ姿をスマホで途中まで撮ったところで振り返ると、伊藤がこちらに向かってくるのがちょうど見えてきた。

『はいッ!ラストー!最後まで最後までー!』
伊藤の表情にはやや悔しさが滲み出ている。
今年の箱根駅伝はインフルエンザ感染の影響で欠場。レースでハーフの距離を走るのは昨年2月の丸亀ハーフ以来であったことや、想像以上にタフなコースであったことが後半の失速に繋がったのかもしれない。その後、しばらくして松永選手もゴールに戻ってきた。
3名とも本来の実力からすると、少し残念な結果であったと言われるかもしれない。しかし彼らの成長を考えた時には貴重な経験であり、財産となるレースであったと感じた。
日本国内にいるとフラットなコースばかりで、つい記録を意識しがちだが、こうしたタフなレースの経験こそが強さを身につける糧になるはずだ。