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小豆の人生~人の一生の縮図

小豆は6月頃種まきをします。
小さな芽は虫にも負けず、風にも負けずに大きくなって行くのを見たら
希望を感じます。
赤ちゃんが産まれて大きくなってゆくのと同じです。

そうして雑草に負けそうになりながらも伸びてゆき
青々とした葉っぱに成長してゆきます。

荘厳だなと
壮大な景色に胸を打たれます。
そのようにして秋を迎えると
葉っぱも皆枯れ落ちて、茎も枯れたようになってしまいます。
サヤを触ると、弾けるくらいになります。

脱穀機にかけると
葉っぱも、茎も、全部風に吹き飛ばされ、ゴミのようになります。
あの可愛かった葉っぱ、あの青々とした茎・・・
それなのに…最後の結論は、
みんなゴミのように吹き飛ばされてしまいます。


小豆の人生は
もし結実である「小豆の実」が無かったら
「何だったのかなぁ」
となってしまうでしょう。

もし、自分が幹だったら。
「あぁ、自分はこの小豆の実を残す為に、幹だったんだ!」
自分が葉っぱだったら。
「あぁ、自分はこの小豆の実を残す為に、葉っぱだったんだ!」
「この小豆を残すために、自分は生きてきたんだなぁ」
「だからもう、自分は今、屑になって捨てられるよ。捨てられて消えてゆく。。。
一体今迄の私の小豆としての人生は何だったのかな?」
そう、ふと小豆は思うんです。


心の支えはただ一つ、
小豆の実があるから、希望がある!実りになる!結実する!

人生も同じだなと思います。
生涯ローンを組みマイホームを建て、それを子供に遺したとしても、
一億年もつものではありません。
お金(=紙屑)も価値の実体そのものではありません。

愛する子や孫に何を遺すのが最高のプレゼントでしょうか?

モデル都市建設(国家の金型づくり)は、この循環型社会を築きました。

小さな核家族では、
両親が経済的に豊かな場合は、子供に再挑戦が可能ですが、
二度と立ち上がれないという悲劇も起こりやすいのです。
でもモデル都市が故郷なら問題ありません。
親世代が全員両親です。
立ち直るまでゆっくり過ごせば良いのです。

親世代が知恵や資金を注いでプロジェクトを再検討します。
そして又、成功するまで 楽しい挑戦が続きます。
何と刺激的な挑戦でしょうか!
失敗したからと言って人生をはかないものと感じる必要はありません。
試行錯誤しながら、いつか本物に出会えば良いのです。
簡単にうまく行くよりも、挑戦、挑戦を繰り返して成功する方が
楽しいではないでしょうか!


●若者たちへ~*
ここで味わう苦労は、苦難というよりは刺激であり快感です。
このプロジェクトに挑戦する有志を募ります。

鮭は、故郷の川へ帰り未来の子孫へ希望をつないで死んで行きます。
木は、根が、暗い地面の中で成長に必要な栄養や水分を大地から吸収し、
幹は日々風雪に耐えながら枝や葉に送り続けます。
その苦労の意味は… 花や実であるあなた達の結実にあります。
高齢世代が人生で培った全てをカプセルに詰め、
若い皆さんに継いでゆく責任があります。

新芽の育たない山に希望はありません。
老木は若木を育ててからでなければ倒れてはなりません。
自分は屍となって次の世代に全希望を託します。
実りの秋には その屍のように見えるさやの中に豆が一杯詰まっています。

私も、死ぬ時には培った技術、知恵、過去の財産…の全てを次の世代に
継承してこの世を去りたいと思います。

モデル都市建設は壮大な実験に施設レベルで取り組み、
十年を経て手ごたえを感じています。
助け合い理念の完成度の高さを提示出来たと自信を深めています。
事実は論争で決着が付くのではありません。
事実の結果で実証されます。
事実こそが最も説得力を持ちます。
ご関心のある方はご研究ください。


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