たまかく

今日部活に行ったら先輩達がなんだか気まずそうにしていて。私が着替えていてもずっと先輩たちは着替え始めないから、なんかおかしいなと思って私だけ体育館に行ったけど、全然先輩が来ない。
結論から言うと部室で先輩同士のいざこざの和解が行われていたらしい。小学校を卒業してもう4年。喧嘩というワードを久しぶりに聞いたので少し動揺した。
体育館で一人で先輩達が来るのを待っていたら,二人の先輩が、私を心配してきてくれた。そして練習をせずに3人であぐらかいて話す時間になった。

そこで一人の先輩が、私の事を「たまかくが高い」と言ってくれた。たまかく?と聞き返すと、先輩の造語で、魂の格のことを「たまかく」と呼んでいるらしい。先輩のたまかくの説明は分かるようで分からなかった。とりあえず、私の柔軟性や適応力の事を認めてくれていることは分かった。私はどうやってそれを身につけたのだろうと考えると,私が今までの人生で親や友達に呆れられながらもやってきた事が、今になって自分自身に良い影響をもたらしているのではないかと気がついた。
例えば小学生の時,自分が嫌なことを言われた時、周りの皆は「なんでそういうこと言うの」と言い返していたが,私は頑なに「え,やっぱり私ってそう?」と否定しなかった。何を良いと思ってそうしていたのかは全く分からないが,これを親に自慢げに伝えると,やめなさい、自分が損するだけよ、と怒られた。当時は自分なりに大人な対応をしたつもりだったのに、誰にも認められず,アホだねと笑われるだけだった。確かに今考えると、間違いなく自分が損をするし,本屋に並ぶコミュニケーションの本にも、自分の嫌な事ははっきりと伝えるべし!と書いてあった。そりゃそうだ。しかし,この対応を繰り返してきた事で、相手に合った返答を柔軟に考えられるようになったと思う。そのおかげで、人を傷つける回数も減り,自分のメンタルも強くなった。私が先輩の中で一人の一年生として上手くやれているのも、そのおかげなのではないかと思う。これが全てにおいて正しいやり方だとは全く思わないし,我慢がストレスになるくらいならやめたほうがいいと思うが,私はこのやり方に慣れてしまったし,他の人には出来ないことをやっている気がして,優越感すら感じているのだ。少し話が逸れたが,簡単に言うと,昔に損を選んできた事が、今に少し良い影響を与え,それを認めてもらえた事が嬉しかったのだ。
先輩は他にも、アッパーコミュニケーションだの、ダウナーコミュニケーションだの、かっこいい横文字と造語を織り交ぜた独自の理論を話してくれた。そして最後に、
でも理論で解決できないこともあるんだよね,ハートの問題。
とまさに今、部室で行われている和解タイムが終わらない理由をまとめた。

今日の出来事で、この先輩のように自分で思考して自分で定義づけて人を品定めしたり、たまかくの高さで自分もランク付けされていると分かり、厳しい目で見ている人がこの学校の中にもいる(つまり社会には嫌というほどいる)という事の怖さと自分もそういう目を持ちたいという強い願望を感じ,自分がたまかくが高いと思う人はどんな人なのか、たまかくの高さは何で決まるのか,を自分で考えていきたいと思った。また、人からなんと言われようと自分がその行動をとる理由をはっきりと言えるようになりたいなと思った。

一言で言うと、私に1番足りていないのは自省である。



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