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【映画鑑賞記録】「怪物」大人の不安と子供の見る世界の異空間

信じているはずの身近な人物に何かちょっとした、でも見過ごせない小さな"違和感"を感じた経験ってないだろうか?

それを得体の知れない「怪物」と呼ぶとしたら?

映画のタイトルから、これはサスペンスなんだろうと予測して劇場へ足を運んだ。

そして誰もがどこかでうっすらと期待するように、怪物(犯人)は誰なんだろう?と頭で予測して。

映画を観終わると、その期待は見事に裏切られる。

怪物が"怪物"として登場しないことへの理由のない焦燥感と、「じゃあ怪物はどこにいるんだ?」という不安感が、投げかけられる無言のメッセージとともに最後には自分に向けられるから。

人は誰しも周囲や社会、他者に対して"それ"を見ている時ばかり認知したがる。

そして「あなたのこういった面が間違っている」と、提示したがる。

でもこの映画はそういった視点をぐるっと揺さぶるようなストーリーで展開する。

そして、自分の深い部分にある不安を煽る。

じゃあ一体誰が怪物なのか?
自分に被害を与える怪物は何(誰)なのか?

どこに怪物がいるのか?と。

物語の中で子供がこう呼びかける。

「怪物だーれだ?」

***

※内容はネタバレを含みます。

安藤サクラさんが出ている作品は最近どんなものでも観てしまうのに、永山瑛太さんとタッグということで期待して観た。

是枝監督も坂元裕二さんも大ファン。
これはもう、劇場で観ないわけにいかない作品。

鑑賞してあまりに素晴らしかったので2回劇場へ足を運んだのだけど、結果、最初はまったく未認知だった子役の二人が圧倒的存在感を魅せた。

さらにこの作品で大人顔負けに素晴らしく光っていたのは星川依里を演じた柊木陽太くん。

どこか得体の知れない依里を、はかなく、悲しげに、それでいて美しく演じ、観るものの目を惹きつけてやまない。

母親不在で父親に虐待を受けているにも関わらず、どこか飄々と自分で自分を守る静かな世界で、現実から目を背けるような、依里。

小さな脆い背中に錘を抱えたまま、それに気づかないように、軽やかにステップする、依里。

依里の存在に、年齢や性別を問わず、人はどこかで自分の内在的な孤独を重ねずにはいられないのではないかと思う。

そして依里の存在はどうしようもなく感情を揺さぶってくる。

映画は母親沙織の視点と、担任教師である保利の視点、最後に子供たちの視点からの三部構成となって、この構成がとても興味深い着眼点となる。

それは言葉としてはとてもありきたりだけど、"人は自分の見たいものを見ている"というどうしようもない、客観的な事実なのだ。

そして大人は大切なものを守るためにいつも不安で、理解しているはずの対象が自分の理解の枠を超えた時、内なる怪物と対峙することになる。

混乱と不安、静かな恐怖。

人間の中にある、信じているものが崩れる時の絶望に似た諦めが、目に見えない"怪物"として認知され、形のない思念として映画の風景に溶け込んでいる。

とにかく劇場で観てほしいのだけど、不安感漂う物語の展開を払拭するように、後半の子供の世界を彩るパートはとても情緒的でどこか懐かしさを感じ、とにかく美しいフィルム感ある映像になっている。

閉鎖的で孤独な子供の世界を、美しい地方都市の自然と湖に囲まれた静かな街を舞台にノスタルジックな世界観で描かれている。

それはどんな大人にも思い出にあるような、幼少期の甘くはかない記憶と交差して、観るものの胸をぐっと惹きつける。

子供の世界では受け入れ難い小さな絶望も、世界の一部なのだ。

まだ未熟な自分の内側にある違和感や戸惑いを、どこに向けていいかわからずに不安と孤独を感じながら、それでも世界はそこに存在し淡々と時間が流れていく、そんな日々の一部。

その一部を映画を通して寄り添いながら見守る、大きな視点。

***

坂本龍一さんのピアノの音色が世界全体を優しく包むのも心地よい。
ぜひ劇場で体感して欲しい。

まるで母親の子守唄のように聞こえる、静かで安心感漂うあたたかい音色。

そして純粋無垢な子供が、観ている大人たちにこう問いかける。

「怪物だーれだ?」



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