古戦場公園🌳
長久手の古戦場へ行って来ました。
長久手古戦場は、
大河『どうする家康』でも描かれた。
秀吉vs家康の大切な戦いでした。
関ケ原よりも前の天下分け目の戦い。
教科書では、小牧長久手の戦いとして学んだかと思います。
ちなみに小牧山城の攻城日記はコチラ💁♀️
さて、
長久手古戦場ですが。
行ける日は何度もあったはずなんですよ…
でもなかなか実行しなかったんですね…
やっとこさ行けたんですよ。
そしたらこれです\(*T▽T*)/
2024年1月19日からの着工…( ˙ㅿ˙ )
こないだじゃん…
下調べだと、
長久手の戦いの舞台となったこの辺一帯の地形の縮景を作っていた公園だったらしいのですが…
入れませんでした😂
今から2年かけて整備されるようです。
え?2年っ!?
先は長いっ😂💦
でも綺麗になったらまた来ます!!
公園には、無料で入れる資料館もありました。
小牧長久手の戦いジオラマがありましたが…
残念ながら年代物のようで。
説明は大音量で流れるけれども、、
電気系統がダメになってる感じでもう壊れそうでした😂
今回の整備で、
こちらのジオラマも綺麗にされるといいなぁ…
(願わくば小牧山城みたいに綺麗に…🙏
2階には鎧や銃などが展示されていました。
この長久手古戦場公園は、
長久手合戦の激戦地だったようで。
秀吉軍の池田勝入恒興が討たれた地とのことで、
『勝入塚』がありました。
そして、
ご嫡男池田之助(庄九郎)も、
討たれたので塚があります。
同じ公園内(陣地)でも、
親子離れた場所に塚があるということが、
本当にココで討たれたのかな?
と考えてしまいますね。
ちなみにこの庄九郎さんの弟は、
歴史詳しくなくても名前は聞くであろう池田輝政。
播磨姫路初代藩主で、
現在の姫路城の姿に改修した方です。
ということで池田家は、
小牧長久手の戦いでは秀吉方だったけれども、
その後は東軍徳川方というわけですね…。
(西軍派としては複雑…
この長久手古戦場公園は、
遊具もなく散策するための公園で。
(散策といっても広くはない…
冬の工事中ということもあるけれども、
公園にしては寂しいところでした😂
少し歩けば、
森長可の塚、『武蔵塚』もあるようで。
行ってみました🚶♀️
すっっごい住宅街なので、
道が合ってるのか不安になりました😂
住宅街の中に突然現れる武蔵塚。
看板、綺麗だからわりと最近のもの?
手前は民家の駐車場…
もう少し設置場所はなんとかならなかったのだろうか…笑
そして、ひっそりと民家の横に塚はありました。
この辺りで森長可さまが討たれたんですね…。
森家の美濃金山城も攻城してるので、
そのうちレポ書きたいな😊
ある意味、
この武蔵塚の広場は古戦場公園よりは綺麗でした(笑)
さらに歩けば、
血の池公園や長久手城跡もあるようでしたが。
そこまで何かが遺っている感じもしなかったのと、
寒かったので(ココ重要)断念しました。
ちなみに血の池公園とは、
長久手合戦にて徳川方が刀などに付いた血を洗い流した池があったところだそうで。
血の色に染まった池…
激しい戦いだったのがわかりますね…
いまは埋め立てられて公園になっているようです。
それにしても…
古戦場だから派手にしろとはいわないけども。
もう少しなんとかできないかなぁ😂
なんだか勿体無い…
私みたいに大河の影響で観光に来る人もいるわけだし。
この日ももちろんいました。
なぜ、、
どうする家康が始まる前に整備をしなかったのか…。
大河終わってからって😂
(ジブリパークで忙しいのかな?
せっかく長久手古戦場駅もあるのに…。
目の前には長久手イオンもあるのに…。
関ケ原、小牧山、岡崎と色々と回ってきた者としては物足りなかったです😐ザンネン
軍旗をたてるとか、
もう少し説明板を改善するとか…
2年後に期待しますか⭐︎
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