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打ちのめされ、書き始める

あまたの者もすなるnote投稿といふものを、我もしてみむとてするなり。

と、いきなりカッコつけている場合ではない。
というかカッコついてないし、ダサい。なんかもう、ダサい。

しかし、このダサい自分を認めざるを得ない日がやってきた。
noteに登録し、ここまで、およそ8年半。
これは、小さな小さな私の、大いなる一歩なのだ。

きっかけは、先日行われた、類稀なるエッセイスト・スイスイさんのイベントだった。こんな私の記事を読んでくれている人は、きっとスイスイさんのことをよく知っている方だろうけど、念のため、スイスイさんが書いた、私のお気に入りの記事を貼っておく。

はぁ。。もう、、、好き。
こんなに、人生の、青春の、かさぶた部分をえぐられるような、胸がきゅうううっとなる、切なくて痛くて、みずみずしく、でもどこか乾いた、美しい文章を書く方かと思えば、


こういうのも書いちゃう人。(※注・8年半前です)

(しかし、この記事なくして私の出産はあり得なかった。あとちょっと!というところで自分の股の間からのぞく子の頭を「わぁ〜!ぷるってしてる〜!」と触る余裕すらあった!これから出産する人はマタニティヨガよりまずこれを読むべし!です)

本当はもっと読んでほしい文章がたくさんある。
中でも、忘れられない元彼(ラスボス)さんの話は、他人事ではなく、ずっと、ずっと(勝手に)自分の人生の一部ではないかと思うくらい感情移入してきた。そんな私だったので、2020年に出された書籍のあとがき(なんと書いたのはその元彼さん)などは、それはもう、ドキドキしながら、何度も呼吸を整え、やっとの思いで、読んだものだ。

そう、私がスイスイさんの言葉に出会ったのは、忘れもしない、
2015年10月のことだった。

それは『【みんなが言いづらいと思うから】ママのママによるママのためのママ神格化現象がおこってますよね?【私がいうね!】』という、子育てに関する記事で(後日談とかいろいろあるので、こちらはリンク割愛します)友人のFacebookのシェア投稿から。

「え、、、なにこのめちゃくちゃ面白い人・・・」

電車内のスマホで何気なく文字を追っているうちに、どんどん鼓動は高鳴り、友人の投稿に迷わずいいねボタンを押すと、「よし・・・一旦落ち着こう」と、降り立った駅の壁側に寄って体を預け、一気に彼女の書いた記事を読み漁った。その時の静かなる興奮は、今もはっきりと覚えている。

家路に着いてからは、初めて知った“note”なるコンテンツに、コメント書きたさに即登録。
(当時の私は勢いあまって3つもコメント。スイスイさんのことを『自ら炎に飛びこんでくださった勇者』とも表現している)
あまりにも気持ちがはやっていたこと、臆病さゆえ身バレを防ぎたかったことから、この変なアイコン(たまたま撮っていた東京駅の天井...?!)と、自分でも忘れていて人に聞かれても答えられない意味のないnote名(hanahanayurieって...何?)をつけ、、、そこからは、ずっと、noteでは、ずーっと変なアイコンとよく分からない名前のまま、“読むだけの人”でやってきた。

あれからスイスイさんの身にも、それはそれはいろんなことが起こり、毎度読み応えのある文章を見せてくれる中、私自身の人生も、いろんな変化があった。
激務の制作会社員からフリーランスに転身、出産、育児、思い返せば産後うつ期(この時だけ少し読めなくなっていた)と、いろいろある中で、noteからcakes、書籍、そしてまたnoteとスイスイさんの書いたものを読んできて、ようやく、ご本人に会えたのが、4日前のイベントだったのだ。

イベントに参加したいろんな方が「すごく楽しかった!」と口々に言って、noteにも書いている。
それはもう、かけがえのない時間・・・私ももちろん楽しかった。

スイスイさんはもちろん、サポートされていたりよさん、bar bossaの林さん、その日出会った、スイスイさんのnote購読者の皆さんが、本当にそれぞれ、優しく、あたたかく、愛らしく、かっこよく、魅力的で。。
たくさん笑ったし、救われたし、嬉しかった。
イベントレポートも書きたかった。

はずなのに、気づけば、ずっと、ぼーっとしている。

そして、なんだか、ふとした瞬間に、落ち込んでいる。
家族に「大丈夫??」と聞かれる。

、、、、なぜだ。。

確かに私は憧れの人と対面して、緊張しまくって、全然伝えたいことが伝えられなかった。
スイスイさんのおかげでnoteやcakesを知り、おもしろい人や世界に魅せられ、人生を変えるきっかけをもらったと言っても過言ではないのに...!

それだけではなく、私が何者かも、ほぼ知る由もないその人に、いろいろ飛び越えた、意味不明なことばかり喋ってしまっていたと思う。
(ほんとすみません、ほんともう、距離感バグりまくってました)
でも、たぶん、それだけじゃなかった。
自分でもわからなかったが、そこにしっかり向き合わないといけない時が来たのだ、と思う。

なんだろう。

失敗を認めたくなくて、本気になれなかった自分。
核心を突かれることを恐れ、へらへら笑ってごまかしていた自分。
いつの間にか、行動力を失ってしまった自分。

まっすぐで、魅力的な人たちを目の当たりにしたことで、そんな自分をまざまざと見せつけられたのかもしれない。
逆に言えば、これって、まだまだ自分への期待を失っていない、、、ということなのか。
というか、お前ごときが落ち込むなんて、逆におこがましいぞ?!

イベントの日から、いくつものため息をついて、やっと、そう思えるようになった。
ダサい自分を乗り越えて、脱ぎ捨てて、ちゃんと好きな自分になりたい。
なんか、切実に思った。

「書いてください」

久しぶりに、そう言ってくれる人がいた。
会った瞬間から、ああやっぱり好きだな、と思った人たち。

そうだ、私はかつて、書くことが好きだった。というより、書かずにいられない人間だった。
なのに、いつしか、守るべき(と思い込んでいた)ものが増えて、大それた何者でもないのに、こわくなって、ずっと、自分のことが書けなくなっていた。

やるなら、最初からすごいと思われたかった。
〝そんなにやる気ないのになんかできちゃってる人〟になりたかった。
謙虚な態度を取りながら、ああ、なんて不遜で恥ずかしい自分。。
そんな情けない自分をどこかで見透かされる気がするから、いつからか、魅力的な人を前にすると、ますます、つぎはぎを繕ったような、ちぐはぐな自分になっていた気がする。

本当に行って良かった。今、心から思う。

もういい。これから、少しずつでも書いてみよう。
とりとめがなくても、ダサくても。
カッコつけるの、やーめた!!!
さっそくじめじめしたこと書いちゃったし。
でも、もしかしたら、これを読んで、わかるよって人もいるのかな。
博多華丸・大吉の大吉先生も、cakesの連載で、ダサかった過去の自分の内面をさらけ出してくれて、ずいぶん救われたこと、あったしな。
ああまたこうやって、すごい人を引き合いに出しちゃってる。

とかなんとか、わざわざ小洒落たコワーキングスペースに出向き、MacBookを開くやいなや、Wi-Fi設定に手こずりまくっていた今日の自分。

いちいち自分に突っ込んでいてもキリがない。

でも突っ込みながら生きていくのもまたありかもしれない。

なんだかんだ、道は険しく、楽しそうだ。


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