hanahanayurie

またの名を、とっぴんしゃんと申します。

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最近の記事

ひさびさに表参道歩いたら猫背がすこし伸びて、脳内に色彩がもどった。

    • note投稿のフォントをゴシック体に戻したらやっとしっくりきた。内容とか気分でフォントイメージもめちゃくちゃ変わる。ほんとは記事によって変えたいくらいだ。

      • ようやく、2024の願い【春】

        タイトルを「今さら、2024の願い」にしようと思ったけどやめた。 ポジティブが正義!なんてさらさら思っていないけど、ここ数年の私はあまりにもくよくよしすぎていた。ので、ちょっとだけ言い回しもポジティブに変換しておく。(“ようやく”も別に100%前向きって言葉ではないけど、このくらいがちょうどいい) ごはんを作って食べる。人と会う。メイクする、お酒を飲む。最近、やっと、かつて好きだったことを、また「楽しい!!!」と思える感覚が戻ってきた。こんな気持ちを何年も忘れていたなんて。

        • ふりんのこども2

          前回の続きを書こうと思っていたのに、随分時間がかかってしまった。 祖母のことはずっと考えてきたので書けるけれど、父のことについては、深く考えないことで自分を保ってきたので、難しい。 子どものころ、私は父が好きだった。 たくさん旅行に連れて行ってくれた・・・とか、そういう、いわゆる“マイホームパパ”(死語)とはまた違うけれど、朝から晩まで家事に仕事に忙しく、パタパタと動き回り、背中しか見えなかった母とは違って、休みの日は山仕事や自分の買い物などに、「一緒に行くか?」と声を掛

        ひさびさに表参道歩いたら猫背がすこし伸びて、脳内に色彩がもどった。

          積み木が1.5ミリずれて泣き叫ぶ、いつもと違う時間帯に私が着替えると癇癪、毎日しんどかった1歳頃のHSC子育て。最近は「ハンドソープつめかえてくれた?ありがとう」「足のつめ塗るのやめたの?かわいかったのに」とか、小さな変化の気付きに救われまくってる。息子4歳。敏感さはギフト。

          積み木が1.5ミリずれて泣き叫ぶ、いつもと違う時間帯に私が着替えると癇癪、毎日しんどかった1歳頃のHSC子育て。最近は「ハンドソープつめかえてくれた?ありがとう」「足のつめ塗るのやめたの?かわいかったのに」とか、小さな変化の気付きに救われまくってる。息子4歳。敏感さはギフト。

          乳児の壮絶子育て期は、夫に求めるものが「体力」とか「行動力」とか、より動物的なものになってて何かしんどかったけど、少し手が離れた今は、「あ...この会話でこんな面白い切り返ししてくるんだ、、好き」と付き合いたての気持ちを思い出させてもらってる。よかった...

          乳児の壮絶子育て期は、夫に求めるものが「体力」とか「行動力」とか、より動物的なものになってて何かしんどかったけど、少し手が離れた今は、「あ...この会話でこんな面白い切り返ししてくるんだ、、好き」と付き合いたての気持ちを思い出させてもらってる。よかった...

          ふりんのこども1

          “蛙の子は蛙、そんな風には言わせない。あなたを生涯愛します” そんな恋文を書き、母と結婚した父が、数十年後、他の女性とままならぬ関係になっていたことを知ったのは、いつだったか。 当時の私は、深く傷つくとか、そういうのはなく、「えーーーー」くらいの感情だったと思う。 まずは一匹目の蛙のお話。 父の父、つまり私の祖父は、この世にいないことになっていた。 小学5年生くらいのある日、兄と一緒に父の車に乗っていた私が、 「ねぇ、そう言えばおじいちゃんっていつ死んだん?たしか戦死・・

          ふりんのこども1

          打ちのめされ、書き始める

          あまたの者もすなるnote投稿といふものを、我もしてみむとてするなり。 と、いきなりカッコつけている場合ではない。 というかカッコついてないし、ダサい。なんかもう、ダサい。 しかし、このダサい自分を認めざるを得ない日がやってきた。 noteに登録し、ここまで、およそ8年半。 これは、小さな小さな私の、大いなる一歩なのだ。 きっかけは、先日行われた、類稀なるエッセイスト・スイスイさんのイベントだった。こんな私の記事を読んでくれている人は、きっとスイスイさんのことをよく知っ

          打ちのめされ、書き始める