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フィールドノートでの味噌玉作り

 映画「タイマグラばあちゃん」でその名を知った戦後の開拓地岩手県川井村にタイマグラ。
昭和の終わり頃、最後に電気が通じた集落だと聞いています。
 開拓民の皆が山から降りて行った中、向田久米蔵さんとマサヨばあちゃんだけが残り暮らしていました。

 そこへ山小屋を開くことを夢見て、大阪から1人の青年が移り住んできたのでした。それが山小屋「フィールドノート」の奥畑充幸さんです。

山小屋の常連客だった陽子さんと結ばれ息子さん達と私達を迎え入れてくれています。
http://www.taimagura.com/yama/fieldnote.html

 奥畑一家はマサヨばあちゃん直伝の玉味噌を現在も作り続けておられ、私が南部玉味噌を初めて口に出来たのも家族旅行で訪れたフィールドノートでした。(2017年5月)
Tumblrブログ
https://hanakouchida.tumblr.com/post/617331741427908608/%E5%8D%97%E9%83%A8%E7%8E%89%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%81%AE%E7%8E%89%E6%89%8B%E7%AE%B1%E5%88%9D%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%AE%E7%8E%89%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%81%AE%E5%91%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%A9%E5%B1%B1%E5%B0%8F%E5%B1%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88-%E7%8E%89%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%81%AE%E5%91%B3%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E3%82%82%E3%81%AE

 そしてその3年後の昨年春、奥畑家の味噌玉仕込みに参加するという念願がついに叶ったのです。
今回はその時のことを綴ります。

大豆を踏む

 高校に上がる春休みの息子を伴って早春の山小屋を訪ねました。
到着すると既に大豆を炊き上げる甘い匂いが立ち込めていました。

 先ずは行うのは煮上がった大豆を熱いうちに潰すこと。
そう、映画「タイマグラばあちゃん」の冒頭シーンでマサヨばあちゃんが専用のゴム長を履いて木桶に入った大豆を踏み潰すあのシーンの体験です。

 奥畑さんの指導の元、息子が味噌を踏む。泥田を歩いたことことがある方はその感覚が分かると思うのですが、とにかく足が重い。
他に女性陣が3人おられましたが、息子を連れて行って良かったと思いました。
 味噌作りで大豆を潰すのにはミンサーというミンチにする道具やフードプロセッサー、マッシャー、瓶や麺棒でビニール袋の上からローリングして潰す等々ありますが、電動ミンサー以外の人力では足で踏むのが一番早いように思います。

 マサヨばあちゃんの味噌仕込みは乾燥大豆で壱石五斗。18ℓの一斗缶が15個分。その大豆を育て脱穀選別する作業を考えても昨年初めて一通り経験した私にとっては驚きの量。
大豆は煮ると約2倍になりますからそれはそれはとんでもない仕込み量なわけです。
それをほぼ一人で踏んでいたかと思うと、とてつもなく凄いことで到底真似できることではありません。

玉造り

 大豆が潰れたらいよいよ玉にしていく作業です。
味噌玉の形状には丸や釣り型、地方によっては球体、円筒形、円盤形、韓国のメジュは煉瓦形等様々あるのですが、マサヨばあちゃんの形は四角錐に近く奥畑さんも自ずとそうなります。
 この形は後で十文字に縄で結ぶのに理にかなった形状だと思います。
ばあちゃんの仕事には無駄が無いなぁと映画の中でも感じるのでした。

実にリズミカルに形を整えていきます。

三男の生さんが制作した動画です。
その作品性の高さ、写真の世界観も素晴らしいので是非ご覧下さい。
https://www.facebook.com/100014009627608/posts/1083563165453994/?d=n

形を整えた味噌玉は一晩寝かせます。

山小屋のお楽しみ

 フィールドノートのお風呂は薪で炊いた芯まで温まる木桶風呂。
「湯加減どうですか?」と壁の向こうから声が掛かる今ではなかなか見ることのないお風呂です。
 その風呂桶を作っているのが近くに暮らす奥畑さんの弟さん。
南部桶正製の味噌桶は私の宝物です。
https://m.facebook.com/nanbuokemasa/?locale2=ja_JP

 お風呂の後は皆で薪ストーブを囲んで楽しみにしていたお夕食をいただきます。
今回息子にとっても良かったのは、奥畑さんの息子さん達ちょっと年上のお兄さん達が居てくれたこと。
 陽子さんを筆頭に家族全員で夕飯の支度を整えてくれました。
長男の大木君は料理に造形が深く、丁寧に煮込まれたシチューと雛豆のカレーその味わいは何も優しく、作り手の人柄を伺い知ることが出るのでした。

 山の草木を漬け込んだ美味しいお酒も並びタイマグラの夜は更けていきます。
勿論、奥畑さんの石コレクションも見せていただきましたよ。

縄綯い(なわない)

 翌朝は一晩表面を乾燥させた玉味噌を藁を綯って縄にし、二個を対にして吊るせるようにする作業です。
 私と息子は縄綯い技術を習得しているので、とても楽しみな作業でした。

 この味噌玉は、薪ストーブのある部屋に1ヶ月程吊るされます。
家に住み着く麹カビを付けるのです。

 マサヨばあちゃんの南部玉味噌が奥畑家によってしっかりと受け継がれている。二十歳前後の息子さん達は生まれた時からこの味噌で育っているわけです。そのことを肌身で感じることが出来たかけがえのない体験でした。
我が息子は何か感じてくれただろうか。

 誰にも知られないで失われてしまうのではないだろうか。岩手の玉味噌を知りたい味わってみたいから、作り残したいと思うようになっていた私は何か変な気負いがあったのかもしれません。
 早春のタイマグラを案内していただきながら、ふっと肩の力が抜けるような安堵に包まれたのでした。
福寿草がキラキラと輝いていました。

https://note.com/fieldnote_

#タイマグラ #フィールドノート  
#味噌玉作り #南部玉味噌 #タイマグラばあちゃん

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