女子プロボクサーになった理由①
あの時しっかり心に穴が空いていた。
自由奔放に動き回る2歳児に手を焼きながら、
寝不足なのか泣き過ぎたのか、重い目のまま12時間。
帰国した、ニッポン・羽田空港。
それから1年後、プロボクサーになりました。
初めまして、アダムス・ハナコです!
プロライセンス取得年齢制限ギリギリの34歳でプロボクサーとなりました。
コロナの影響もありなかなか試合が決まらず、初試合は35歳の誕生日前日。
現在プロ2年目。そんな私ですが、恥ずかしながらも自分の話を勝手にさせてください。
そして少しでも、1㍉でも、
この話で、私の試合で。
読んでくださった、観てくださった皆さんの心が動き、明日の勇気と活力に繋がると良いな、と。
そんな事を生意気ながらに考えています。
スポーツの「ス」の字もよぎらない、そんな女でした。
学生時代はギャル。適当で、面倒なことからは逃げてばかり。
そんな中途半端な毎日を過ごして迎えた20歳。
突然、妹が死んだ。
医療事故でした。
2歳下の、仲が良かった妹。
思春期で居場所がなく感じたあの時も、
妹には何でも話せた。妹も、そうだった。
悲しむ前に襲ってきたのは恐怖。
「死」に対する恐怖です。
肩を組んで笑いあった妹が、
次の瞬間、冷たくなって、まるで蝋人形になって横たわる、その「現実と死」への恐怖。
初めて思った。「人ってこんなに簡単に死ぬんだ」と。
残念ながら、妹は苦しみながら死んでしまいました。
怖かった。
18歳の妹は私と違って頭も運動神経も良かった。真面目だった。
どれだけの事をやり残して、悔いているだろうか。まだまだこれからなのに。
諸々端折りますが、それから私は人生初の鬱を経験し、家族全員がしばらくは事あるごとに突然、溢れ出たように涙する日々を過ごしたのを覚えています。
その時決めたことがあります。
「ちゃんと生きよう」。
逃げないで、地に足をついて、後悔のないように。一日一日を大切に、丁寧に。
そして一人では生きられないから、周りに感謝をして生きよう。
わたしの物事への見方や姿勢はここで大きく変わりました。
続く。
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