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ロスの空の下で彼女は 

(以前書いたものの改訂版)

今からだいぶ前のお話です。

彼は、エコノミー席の窓側に座っていました。
長い足を持て余しながら、狭い座席に小さく縮こまって、窓の外を見ていました。
ちらりと見えた横顔だけでも、かなりかっこいい人だとわかりました。着ているものも派手ではないけれどセンスよく、質の良いもの。
恵まれた人生を歩く人のオーラをふわりと纏っていました。

私は、ロスで面接を受けた帰りでした。
いつものように通路側に座りました。
窓際の席の彼との間の真ん中の席は空いたままでした。

日本まであと2時間ほど、という時。
窓際の彼が突然話しかけてきました。
「おひとりですか?」
はい、と答えた私に彼は「ご旅行ですか?」と尋ねました。
「いえ、仕事の面接でした」と答えると、彼は一瞬固まり、少し何かを考え、そして言いました。
「あの、僕の話を聞いていただけますか。あなたなら、わかってもらえるかもしれません」

彼の家はいわゆる富裕層でした。
高級住宅地に家を構え、父親も兄も名のある大学をでて、名のある企業で働き、彼自身もその道を迷いなく歩いているところでした。
彼には姉がいました。
姉も名のある女子大を卒業し、これまた名のある大企業に勤め、ずっとつきあっていた人との結婚を控えていました。
その姉がある日突然婚約を破棄し、会社を辞め、アメリカに留学すると言い出しました。
家族全員、いったい彼女に何が起きたのかわからず、両親は激怒、兄も話してくれた彼も、何を馬鹿なことを言っているんだと、彼女を責め立て、止めようとしました。
けれど彼の姉は頑として譲らず、怒り狂う家族をそのままに、ひとり渡米してしまったそうです。
それから数年、彼は大学卒業を前に、姉に連絡を取りました。
そして姉の誘いで、今はロスで働く姉の家へ行きました。
フライトはその帰りでした。

「なんて馬鹿なことをやったんだ、頭冷やして日本に帰ってこいと言うつもりでした。でも、言えませんでした。言うことができませんでした」
彼の姉は自分で貯めたお金だけでカレッジを卒業し、ロスで仕事に就いていました。
そして、同じようにロスで働く日本人女性とふたり、小さな家をシェアしながら猫と暮らしていました。
その生活は、日本での暮らしとは比べ物にならないくらい質素なものでした。
「でも、姉はとても楽しそうでした。活き活きしていました。そんな姉を今までみたことはありませんでした」

昼間、姉たちが仕事にでた後、彼はその小さな家で猫と遊びながら過ごしていたそうです。
ディズニーランドにもハリウッドにも、買い物にも行かず、彼は姉とその友達の生活を見つめて日々を過ごしました。
みんなでいっしょにご飯を作り、壊れかけた家具を修理してあげて、安いビールを飲みながら家で一緒に映画をみたり、ドラマを見たり。
そんなふうにして、彼のロスの数日は終わりました。
「姉を見ていて、ああ、彼女が求めていたのはこういう生き方だったんだなって思いました。あんな生き方があるなんて、僕は考えたことなかった。でも、なんとなくだけれど、なぜ姉がそうしたかったかのか、わかるような気がしたんです。なんて馬鹿なことをするんだと、さんざん姉をなじった自分が恥ずかしくなりました。ものすごく後悔しました」

「お姉さん、きっと今、とても幸せなんだと思いますよ。そういう姿を見て欲しくて、アメリカに来れば?と言ったんだと思います」
そう言うと彼はうなずいて、「あなたが隣に座った時、姉の姿と重なりました。慣れた様子で、なんか颯爽とした感じがしました。僕が知らなかった、知ろうとしなかった生き方をしているって思いました。今、ここであなたに会ったのは偶然じゃないって思えて」と言いました。
彼には恋人がいました。
その彼女はとても可愛い人で、でも、彼の姉や私とは真逆のタイプの人なんだ、と彼は言いました。
卒業後、大手銀行に就職が決まっている彼との結婚を彼女は願っているのだと彼は言い、そして顔を歪めました。
そう、彼は変わってしまっていました。
ロスで過ごした数日は、彼の人生を、価値観を、生き方を、根底から変えていました。

飛行機を降りる時、彼は笑顔で言いました。
「面接、うまくいくといいですね」
私たちは名乗ることもなく、どこの誰かもお互いに知ることなく、そのまま別れました。

結局ロスでの仕事はだめになりました。
面接には通りましたが、ビザがおりなかったからです。
私には、アメリカで仕事するご縁はないのだなとその時思いました。
今でも時々、その時のことを思い出します。
会ったこともない、名前の知らない彼のお姉さんに想いを馳せます。
ロスの明るい空の下で彼女が、自分の力で得た新しい道を、今も笑顔で歩いているといいなと思います。

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