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ハナラボと社会と私ー第一話:私がNPOハナラボスタッフになった理由

〇これを書くにあたって
もうハナラボとの付き合いも7年目。IT企業でデザイナーをやっていたので、ハナラボに近い活動をずっと続けてきたわけでもなく、なんとなく出会って、なんとなくスタッフに。
そこから実に色々ありまして、今年から縁あって代表を務めることになりました。この連載では、3回にわけてスタッフになるところから、理事を経て、代表になるまでに、何が起きて、どう考えてきたかを綴っていきたいと思います。振り返ったときにこんなこともあったな~と思えるように、そしてこんな生き様もあるのだなと小説の1ページに出てくる人みたいに思ってもらえたらとおもってもらえたら幸いです。

〇ハナラボとの出会い
ハナラボとの最初の出会いは、会社のイベントでした。後から知ったのですが、社内のメンバーの一人が、たまたま社外のソーシャルイベントで代表の角と出会ったのがきっかけで会社のイベントの手伝いをしてくれていたのだそうです。ちょうどその時は、私自身がプロダクトデザインをこのまま突き詰めるのかモヤモヤしていて、少しデザインの幅を広げようと決めて動き出したばかりの頃でした。まだ所属もプロダクトチームにいたし、イベントでハナラボとワークショップをやるよと聞いても、はっきり言って、「ふーん」くらいでした。2015年というと、ワークショップという言葉はだいぶあちこちで聞かれるようになってはいましたが、まだ聞かれる程度。ワークショップというと、なにか工作でもするの?というくらいで、ビジネスにワークショップというのはまだまだ日本で浸透していなかったです。当然私の反応は、「ふーん」ですから、なんかイベントに若い女の子たちきてるな~珍しい光景だな~くらい。そのくらい印象がなかった・・・でもこの次の年、サービスデザインのチームにジョインすることになって、ここではじめてちゃんと、前向きに関わることになりました。

〇ハナラボに入ってみる
プロダクトからサービスデザインの分野に身を完全に移した2016年。今度はプロジェクトを推進する立場として、ハナラボとの再会をはたしました。今度はちゃんと代表の角の顔も声もしっかり覚えることができました笑 だからといって、やっぱりまだただのパートナー感覚です。女の子たちのキャリアのために、企業とコラボするということをハナラボではひとつ大事に実践しているのですが、もちろん参加してくれる彼女たちのキャリアの足しになればとはもちろん思っていたけれど、キャリアに対しての機会も提供できるし、こっちもハナラボさんのアイデアほしいから一緒にやろうくらいでした。
私自身はというと、サービスデザインに関わるようになって新しいことだらけで、わりと刺激的な毎日。デザインの幅広さを知って、おもしろくなってきた時期でした。そんな時期に一緒にハナラボとプロジェクトをひとつ実施し終わって、そこからパートナーとしてではなくハナラボとしての活動を一緒にやってみるということになりました。今思うと、単純におもしろそうだから、その1点だったんじゃないかなと思います。プロダクト、サービスときて(といってもまだ1年とかでしたが)、このままもっと広げてみたいと思ったんだと思います。その当時はスタッフも1,2名みたいな組織だったので本当に気軽に。何か私にできることない? ただそれだけでした。なので今だから言います。そんなにジェンダーギャップがとか、女の子がとか、そういうことにちゃんと向き合ってジョインしたわけではないです。当時は本当に男性ばかりだった職場とはちがって、女性が中心というのが新鮮にみえたくらいです。これが今後のわたしにだいぶ影響を与えるとも知らずに・・

〇NPOという組織と働き方
会社と違ってNPOという組織のハナラボ。男性はほとんどいないハナラボ。こんな世界がこの社会にあったんだ~という小さなオドロキの連続でした。やっぱりいちばん違うのが、社会に対しての組織の在り方でしょうか。NPOなので当たり前ですが非営利なんです。じゃぁ、何を最大の価値にするの?という疑問が企業にいた私の最大の疑問でした。企業にいると、やはり資本主義社会を生き抜くためにも、利益を出さないといけない。じゃないと成り立たないですから。でもNPOは利益を出すわけではないんです。ここを理解するのにとても時間がかかりました。働くのに利益を出さないって何なの?って半年くらいはずっとなっていました。でも縁あって他のNPOの代表の方に話を聞いたりする中でやっとこの霧が晴れたんですよね。NPOはミッションを達成するためにあって、そのための手段としてだったらいくらでも稼いでも良いと思ってると言ってくれた方がいたんです。この一言で、やっとわたしもNPOの一員になれたと思いました。そうか、ちゃんとハナラボのミッションを成し遂げなきゃ、と。
今の時代でこそ、パーパスとかビジョン、ミッションとちゃんとお金の前に価値を考えようというのがスタンダードに見えますが、それでもやっぱり利益に関しては切り離せないのが企業。それに対して、ピュアに社会課題解決のために“こうあってほしい世界”にむかって動くのがNPO。このピュアな体験は企業では出来ない。そう感じました。そして、代表の角だけで動くのは限界だし、もう少しハナラボ組織を大きくしていきたいというのがこの時期。組織としては申し訳ないですが、わたしから見ても、大丈夫?という感じでした。このあたりで、乗りかかった船をちゃんと目的地に連れて行こうと、ナゾの決心をして、プロジェクト推進と組織の変革をはじめるのでした。

〇スタッフと肩書き
NPOのスタッフとして、ハナラボのミッションと真剣に向き合えるようになったある日。そういえばみんなの肩書きないね~という話になってみんなの肩書きが作られました。その時はクリエイティブチームまとめていたので、その名もクリエイティブディレクター。随分とたいそうな名前です。でもこの名前って意味がないようであるのかなとも今となっては思っています。名前なんてつければいくらでも自由なのですが、でもなんとなく名前のバイアスって社会にあるなと。この時期は特にキャリアに悩んでいたので、今思うとこの名前に助けられていたかもしれないです。些細ですが、自己肯定感が1点くらいは上がっていたと思います。まだまだ次にいける、もう少し自分信じていいかもと思えたのは、仕事とは別にハナラボで活動していたからなのは間違いないです。いろんな道もあるし、いろんな考え方もある。そう気づかせてくれて、あなたが必要だよと感じさせてくれたのは他でもないハナラボ。そして、ハナラボを通してできたのが、社会と企業の価値交換。この価値交換という言葉を覚えたのもこの時期でした。社会課題の解決を通して、新しい居場所ができて、自分の価値をちゃんと人に伝えられる。これ、社会と自分との価値交換でもあります。そんなことに気づいたからこそ、ハナラボスタッフとしての日々を送っているのでした。
〇スタッフ再考
最初はただの好奇心、途中は社会活動の価値、最後は自分のキャリアと向き合い、社会と自分の価値交換をするところまでをスタッフとして経験させてもらいました。それと同時に女の子たちに対して、私に何ができるのかを真剣につきつめる度合いも増して。今思うと完全にモヤモヤ女子ですね。だからこそ出来たのかなとも思います。モヤモヤを晴らすために、何かしてみよう。そんなきっかけをハナラボがくれました。そして、自分の持っているものを使ってみるから、ハナラボとして何をしていけばいいのかに移ったタイミングで私の活動は理事としての活動になってゆきます。

続きは第二話で!

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