結婚したら、急に人生の脇役になった気分。

いままで「自分が人生の主役よ」がモットーっていうくらい、自分の道を自分の行きたいよう突き進む系の人生だった。

自分でいく塾も、高校も、大学も、バイトも、仕事も、ぜーんぶ自分で決めたし、仕事をしていて、「勉強が足りない」と感じて職を辞して大学院に入るっていうのも自分で決めたし、止められたからって止まるわけないくらい自分の判断だけを信じてたイノシシ系の人生だった。

そういえば書き忘れたけど、大学時代の留学から帰国した時、遅ればせながらの就活をはじめ、流れに乗ってそのまま残っていた会社に就職しかけたのだけど、やっぱり挑戦したかった分野に挑戦したい!(留学から帰国した時には、もうすでに募集が終わっていたので、もし挑戦したければ一年またなければならなかった。)ということで、家族に意志を伝えた時、当たり前のように「そんな事言わずにとにかく今の場所で頑張れ」と言われた。

その反対意見も正しいと分かっていながら、「やっぱりあきらめきれない」って自分の意志をつらぬいたのは、結局その選択肢の方が優れてるのかどうかなんてのはもう関係なくて、自分で決めないとあとで後悔するから、っていうことだけだった。

そこで結局誰かに説得されて、その人の出してくる理由に納得して、じゃあ、ということで自分の意志を曲げたとして、(わたしの場合は絶対)

あとで、
何かうまくいかない時、「やっぱり自分で決めた方にいけばよかった」って絶対思う。結局そこでしかない。

自分にとって選んだ選択肢と相手の勧めてくる選択肢の違いは、優れているか劣っているかの差じゃなくて、「自分で選んだのかどうか」の差でしかないというか。

頑固すぎるけど、とにかく自分で決めるだけ、それで大失敗しても、それのほうがいい、っていうかんじだった。

そうやって、「自分で決める」ことだけを方針に掲げ、もはや自分の宗教かなっていうくらい「自分で決める」教だった。

そんなイノシシ系の私も少し前、結婚し、相手が仕事の都合で海外にいくことになった。

そのときにどうするか、自分で決めることはできるんだけど、自分だけの人生じゃなくなるっていうか、相手の人生に自分が組み込まれちゃうっていう感覚があった。一生そのひとと一緒に暮らしていく前提でいろんなことを決めていかないといけない。当たり前のようですごい変化だった。なんていうか地殻変動レベルに自分の「自分で決める」軸を揺さぶられた。

相手はまったくコントロールしてくるような感じの人ではないんだけど、(むしろ、こっちは気にせず自分がしたいようにしな、といつも言われる。)

海外で働く相手といっしょにいるためには、相手のいる場所に限定して仕事を探さないといけないということで、ビザがもらえるような仕事でなければできないので、日本にいたときよりもずーーーっと選択肢は狭まる。

でも二人いっしょにいれればいっか、と思って、海外で働くことにして今日本から遠くじゃなれた場所で、あまりしたくない仕事と、友達もゼロの土地で新生活を送っている。

ことあるごとに、やっぱり相手は自分のしたいことのためにここにいて、自分と共通するやりたいことをもった仲間たちと楽しく戦っているのを見ると、あーあって感じになる。自分はいっしょにいるために、純粋に自分がいたい場所、したいことからは離れたから、妬ましく感じちゃっているのを自分で感じる。

ここにくることも、ここで働くことも自分で決めたんでしょ?
と言われるけど

自分で決めたけど、自分のためだけに決めたわけではないというか
それを決める時には相手も要素に入っていたわけだから、自分の気持ちだけできめたとは言い難い。

むずかしくてどうにもまとめられませんが、
だったら、いっしょにいたいとか生ぬるい事言ってないで

自分で日本にいるって決めればよかったんだよって
自分をビンタしたい感じです。

でもさ、自分が妥協しない限りは一緒に生きていけないってむずかしいよね。

長話を読んでくれてありがとう。



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