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留目弁理士奮闘記! 番外編       ゑれきてりせいりてい

物語は、うらぶれた留目(とどめ)特許事務所に香織(かおる)がひとりで留守番しているところに、ねずみ色のフードをかぶった男が入ってきます。男は得体の知れない物を持ち込んできます。この男はいったい何もので、何しにやって来たのか・・・。
 これより留目弁理士奮闘記! 番外編の始まり、はじまりー・・・・


第一話(全十話) 『ねずみ男』

 
 K駅は都心から急行で三十分ほどのところにある。香織(かおる)は自転車をつきながら西口を出て、左に折れ商店街に入る。バブル期に作られたというアーケードは染みが目立ち、ところどこに錆まで浮いている。建設当時は立派だったのかもしれないが、繁栄した時代があっただなんて信じられない。自転車にまたがると、長い髪を後ろになびかせながらアーケードを通り抜け、その先の二階建ての留目(とどめ)特許事務所を目指す。築四十年は経っていそうなボロ屋だ。以前は畳屋さんだったと聞いたが、この町で生まれ育った香織にもまったく記憶がなかった。香織がこの事務所に来て、今日でちょうど五年目になる。するとせんせーが、
「五年目ですよね。お祝いをしましょう」
 何を思ったか、今朝、急に言い出した。
「場所ですが、いつもの兆治で。お金がないので」
 兆治は商店街の中ほどにある居酒屋だ。いつもそこで飲んでいる。だからいつもと変わらない、と思ったけれど、お祝いをしてくれるだけでも嬉しい。
確かにお金はない。お金の管理は自分がしているのだから、ないことは承知している。せんせーの懐具合も大体わかる。近所の工業団地の小さな会社から特許出願の依頼を受けてはいるものの、大手の佐藤特許事務所の先生からの請負仕事がなくなれば、たちまちにして干上がること間違いなしだ。
 いま、せんせーは福田マスク製作所で三(み)月に一度行われる技術検討会に出席している。この会議で、特許出願につながる技術の発見と、新たな検討テーマを提案することになっているが、ほとんどがボランティアみたいなもので、収益につながることはほとんどなかった。香織には、技術屋同士の哀れな慰め合いの場としか思えないのだが。
 でも、みんなが元気でいられるなら、それはそれでいいのだろうと思ったりもする。

せんせー、早く帰ってこないかなぁー、そわそわし始めたときだった。
 ガラガラとガラス戸の開く音がした。
「せんせー、おかえー」
 見知らぬ男が入って来た。お客様だろうか。
「いらっしゃいませ」
男は戸口でガタガタいわせながら古めかしい自転車を持ち込んでくる。
「ちょっと、あなた、ここは自転車屋じゃないのよ。特許事務所なのよ。自転車は外においてください」
香織はぼんやりしていた夢心地から、血相を変え立ち上がると男に言った。
 男はねずみ色のフードを頭からかぶり、薄手のヨットパーカーのようなものを着ている。ズボンは同色のタイツだ。顔はというと目だけがぎょろりと大きく、小さな鼻と薄い唇の口を持つ、ひょろ長い印象の男だ。まるで「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる髭のない「ねずみ男」のようだった。
 薄い唇が動いた。
「これ、発明品。特許、出したい」
 自転車が発明品? いまの時代に自転車に発明なんて、一瞬おかしいと思ったが、以前、カメラ店をやっていた森村さんが旧式のデジタルを改良して、3Dマスクを作るためのソフトを開発したことがあった、そのことを思い出した。自転車だけど特別な技術や装置が工夫されているかもしれないと思いなおした。
「それでどのような発明なんでしょうか」
 ねずみ男は口をもごもごさせ、言い淀んでいた。
 そう言えば、森村さんもそうだった。自分の発明をうまく説明できなかった。それを聞き出すのにどれほど時間がかかったことか、この人もきっとそうなのだ。ひょっとしてとんでもない発明をしているのかもしれないと、自分勝手に期待を膨らませた。男の薄い唇をじっと睨んでいると、口が開いた。
「タイムマシン」
「はい、いまなんとおっしゃいました」
「タイムマシン」
「タイムマシン・・・・・・?」
ねずみ男は、うんと頷く。
「タイムマシンは、SF小説か何かでしょう。からかわないでください。本当は何なんですか」
 香織はどう見てもかなり使い古された旧式の自転車とねずみ男を交互に見た。
「タイムマシン、です。特許、出したい」
「わかりました。でも、ここでは無理です。お引き取りください。他の事務所をお探しください。はい、さようなら」
 香織は、この不審な男に一刻も早く出て行ってほしかった。これ以上関わりたくはない。これからせんせーと五周年記念の乾杯をするところだ。いい雰囲気のまませんせーを待っていたい。 
それでもねずみ男はしがみつくように言った。
「本当に、タイムマシン、です。特許、出してください」
 香織は、タイムマシンなんてあり得ないと思ったが、あまりにもねずみ男の目が真剣で、切羽詰まった様子に、聞くだけでも聞いておこうかと思いなした。
「それで、タイムマシンなんですね。発明した装置の説明をしてください」
 ねずみ男は自転車のハンドルに手をかけるとニヤリと笑い、香織を手招きした。

「これって、ただの自転車のように見えますけど……、それに後ろのタイヤがついてない」
――こんな状態でどこが新しいのかしら。壊れているだけじゃない。
「ただの自転車ではありません。タイムマシンです」
「それはわかりました。でも、これって、どう見たって」
「よく見てください。自転車のハンドルに時代設定装置があります」
 香織は覗き込むように一歩前に踏み出し、時代設定装置なるものを見ると、スピードメータのようなものが二つ付いている。
「この装置で移動時間を設定するのですか」
「そうです。良くわかりましたね。さすがは弁理士先生のお手伝いをされているだけはありますね」
 香織は振り返った。お手伝いじゃない、優秀な調査員、良き相棒と言ってほしかった。でもどうして弁理士のお手伝いだとわかったのかしら。少し疑問がわいた。
「タイムマシンなんでしょ。時代設定装置が付いていればそういうものだと……」
「すごいです。ではこちらの計器はわかりますか」
「帰って来る時間でしょう」
香織はバカにされているようで、ムッとした。
 ねずみ男は香織の反応などお構いなしに、真剣な眼差しでマシンの説明を続ける。
「これはあなたがご存じの時計ではなくて、時代往還設定ダイヤルです」
「時計だろうと何とかダイヤルだろうと、そんな呼び方なんてどちらでも同じでしょ」
「それはまた大胆なことをおっしゃる。弁理士事務所の優秀な調査員のお言葉とは思えません」
 ねずみ男はちょっと呆れて見せる。
「はぁ……、少し言い過ぎました」
ねずみ男の勢いに押されてあやまってみたが、どうしてあたしがあやまらなければならないのか、香織はますますイラついた。
「あなたが発明したというタイムマシンは確かに拝見いたしました。でも、特許とはまったく無縁のものです。お引き取りください」
 香織の剣幕に今度はねずみ男がたじろいだ。
「わかりました」、と出て行こうとするねずみ男は香織にぽつりと話しかけた。
「今日はこれで帰ります。でも、これを置いておきますのでよく調べてみてください。これがタイムマシンだということがわかりますから。明日もう一度来ます」
「はぁ~。そんな大切なもの、お預かりすることはできません。お持ち帰りください、じゃま……」
 ねずみ男は香織をじろりと睨みつけた。
「わ、わかりました。明日、必ず取りに来てくださいね。それまではお預かりします」
 香織は丁寧に頭を下げ、ねずみ男を見送った。ほーっと息を吐くと、こんな大きなもの、入口に置いて、ほんと、邪魔。ブツブツと愚痴をこぼしながら自転車を部屋の隅に運んだ。
――あのねずみ男、タイムマシンとか何とか言ってたけど、変な風貌だったけど本当に未来から来た人だったりして。
 香織はいま出て行ったねずみ男の容姿を思い出すと、くすくすと笑いが込み上げてきた。
『未来から来たタイムマシンです。未来に行ってみたいとは思いませんか』
「そりゃあ、まあ、少しは。えっ、誰がしゃべったの」
香織はキョロキョロと事務所内を見まわした。
『僕です』
「ボクって……、まさかねずみ男?」
『ねずみ男? 僕がですか。僕にはちゃんと名前があるのです。0039のX○○XXの△〇Xの983号といいます』
「それが名前なの」
『昔はあなたのように名前があったそうですが、未来では顔認証と目の網膜認証で個人が認定できるので名前が使われなくなりました。だから僕らの時代では、役所での識別番号だけが残っています。普段は番号すら使いませんけど』
「そう。あなたは983号なのね。そうね……、これから、久弥(きゅうや)さんと呼びます」
『983だから、きゅうやさんですか。お断りします』
「じゃあ、何て呼べばいいのよ」
『そうですねぇ・・……、そうだ。坂本(さかもと)龍馬(りょうま)、龍馬さんと呼んでください』
「りょうま」
香織は素っ頓狂な声を上げた。
――あのねずみ男が、坂本龍馬だなんてありえない。
『そんなつまらないことことより、未来に行ってみる気はありませんか』
「未来って、いつの未来よ」
『手始めに五年先なんてどうですか。この事務所がどうなっているのか、あなたがどうなっているか気になりませんか』
――五年後、あたしとせんせーがどうなっているか、そりゃあ知りたいわよ。気になるに決まってるじゃない。でも、でも、違っていたら、あたし……。
「未来には行きません」
香織はねずみ男に、いや龍馬にきっぱりとノーを告げた。そして、自転車に近づき、時代往還設定ダイヤルをカチャカチャと適当に回し、飛び出ていたボタンをパチンと押した。
『あーあ、セットしちゃいましたね。一七七六年七月七日午後六時二七分に設定されました。いいのですか、過去で。普通は未来を知りたいと思うのですがね。まあ、あなたがそうしたいならそれでもいいでしょう。最初に言っておきますが、現地での滞在時間はふつか、ジャスト四八時間です。過去に行った場合の帰還時間は、現在時間になります。よろしいですね』
 自転車は言った。この場合、ねずみ男、いや、龍馬だろうか。
 香織はハッとし、あることに気が付いた。
――これは特殊詐欺、この装置は盗聴器で、技術を盗み出す産業スパイ装置だったりしたら。事務所の秘密が盗まれる。もう少しで騙されるところだった。アブね~。
 香織は自転車をつかむと外へ放り出そうとした。
『ちょっと、ちょっと。いきなり何するんですか。僕はタイムマシンの人工知能です。だから外に出さないでください。お願いします。カゼを引いたら大変ですから。そんなことよりあなたが設定された時代に行ってみましょうよ。僕はタイムマシンですよ。あなたが設定された時代は江戸時代です』
江戸時代と聞いて香織は躊躇(ためら)った。香織が学生だったころ、図書館秘書になりたいと思っていた。だから趣味は今でも読書なのだが、最近は時代物、特に江戸ものに嵌(はま)っている。本物の江戸時代に行ってみたいと何度も思ったけど。
「あたしが、江戸時代が好きなことを知ってて、そんなこと言ってるんでしょ。あんたやっぱり怪しい。外に出てもらうわ」
『僕は今の時代にはない技術の塊ですよ。それに僕を外に出して泥棒に盗まれたりしたらどう責任を取るつもりですかぁ』
「何を訳の分からないことを言っているの」
『僕の言うことを信じてないんですね。行くのか行かないのか、どうするんですか』
「い、行きますよ。江戸時代なんでしょ」
 香織は竜馬の勢いに押され返事をしてしまった。
『それではここに座ってハンドルを握ってください』
香織は言われるままにサドルに座り、ハンドルを握った。そして、ペダルに足をかける。
『さあ、こいで』
 香織はペダルをグイと踏み込むと、ペダルをこいだ。ペダルを踏むと速度が上がっていく。キーンと微かな音が鳴った。スピードはさらに上がっていき、キーンという音も大きくなり、ジェットエンジンのようなギュイーンと唸りを上げた。すると、目の前がうす暗くなり、幾つもの星が頭の上や体の周りで煌めき始めた。
――ええ、これはいったいどういうこと。
訳がわからない。体中を取り巻いていた星ぼしが一気に糸を引くように後ろに流れて行く。急に真っ暗になり意識が遠のく。正面から突風のような風が吹き、長い髪の毛が巻き上げられ逆立った。香織も龍馬もキリキリと舞い始めると、そのまま暗闇の中心部へと落ちていく。香織は龍馬にしがみついた。
「ワァー」
暗闇から抜け出ると、今度は眼が開けていられないほど強烈なライトを全身に浴びせられ、ビユイーンと体ごと吹き飛ばされた。そして、スーッと暗くなると、ドサッと倒れた。
「いてぇー」
――あたし、どうなったのかしら。
香織は立ち上がろうとしたが、思うように体が動かない。
『僕から手を放して』
 龍馬の声だ。
『ハンドルから手を放してください』
 香織は緊張から自転車のハンドルに抱きついていたのだ。
「ああ、ごめんなさい。この手をこうして、放せばいいのよね」
香織は固く固まっていた指を一本一本ハンドルから放した。そして、抱きついていた自転車から降りた。
――ここはどこ。夢を見ているのかしら。
香織はほっぺたをつねってみた。イテテ! 夢ではなさようだ。
「ねえ、龍馬、ここはどこなの」
『一七七六年七月七日午後六時三九分、いや、正確には九分四七、四八秒の江戸大和町です』
「江戸……、大和町? なに言ってるの。ここは東京都、千代田区……」
『回りをよく見てください』
龍馬の冷静な声が聞こえてくる。
「本当に江戸時代の大和町にいるの」
『はい、間違いございません。僕は未来の人工知能ですから』
香織は右、左とあたりを見廻した。確かに事務所の風景とはまったく違う。コンクリートの床は板張りになっている。
再び自転車から龍馬の落ち着き払った声が流れてくる。
『香織さんは今よりタイムトラベラーになりました。すでにご承知だと思いますが、念のために申し上げておきます。この時代の人たちを驚かさないように、そして歴史的事実を変えないよう、細心の注意を払ってください』
「もし、少しでも歴史を変えるようなことになったらどうなるの」
『場合にもよりますが、香織さんご自身が存在しなくなります。そうなれば、一瞬にして香織さんは、消えてなくなります』
「それって、将来わたしが生まれないということ……」
『そういうことです。ですからこの時代の人たちに影響を与えないようにしてください。これがタイムトラベラーの定め、厳然たる掟(おきて)です』
――なにが厳然たる掟よ。なにがタイムトラベラーよ。
香織は、これは悪い夢だ。何かのトリック。こんなこと絶対にあり得ないと自分自身を納得させていた。

    つづく


第二話 『平賀源内』 予告
 香織と龍馬は平賀源内の屋敷にタイムスリップします。そこで源内にまつわるある事件に巻き込まれて行きます。香織と龍馬はいかにしてその事件を解決するのでしょうか・・・

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