[コラム 2] 宇宙人(生命体)について考える

 2100年になっても地球人が火星や金星に移住するようなことはないだろうと予想されている。しかし、人間ではなく、ロボットたちが惑星探査に出かけ、われわれ太陽系の属する銀河や隣のアンドロメダ銀河を目指しているはずだ。

その中で有力視されているものにマイクロロボットがある。このマイクロロボットは無機物とも有機物とも判断できないものでできており、ごく小さなエネルギーで宇宙空間を飛び、惑星に到達すると周りの材料を使い、または分解し再構成しながら自己複製を無限に繰り返し、記憶されていたものを再構成するそうだ1。

 特にこの考え方の後半の部分、「周りの材料を取り込みながら自己複製する」とは、まさしくわれわれの知る細胞そのものではないだろうか。つい最近では、猛威を振るっているコロナウイルスではないだろうか。

地球に生命が誕生したとき、RNA(リボ核酸)がアメーバーのような核のない原核細胞を作った。そしてミトコンドリアと融合することにより核を有する真核細胞ができ、これらが分裂して多細胞生物へと発展していく。やがて多様な生命体が誕生するカンブリア爆発につながっていく。

これらの生命現象を誘発させた小さなRNAもミトコンドリアも宇宙の果てから放たれたマイクロロボットだとしたら……。

 そして、カンブリア紀の生命が幾度となく被った大絶滅の危機を乗り越え生き残った生命のひとつが、32億年後に幾度となく幸運に恵まれながらホモ・サピエンス(新人類)に進化した。そして、われわれ新人類は自身の脳を発達させ、やがて自分たちをはるかに凌ぐ人工知能を創り出そうとしている。

人工知能は新人類と合体し、DNAをデザインした超人類を誕生させているかもしれない。

 ところで、自己認識は人間独自のものと主張する人たちがいる。自己認識は自由意志を与える。ある存在が自由意志を持っているかどうかを、どのようにして判断できるだろうか。もしあなたがエイリアンに遭遇したとして、それが単なるロボットなのか、それとも独自の心を持っているのかをどのように判断すればいいのだろうか?

これらの技術革新が進められた2100年とはどういう時代なのか。わずか79年先のことだ。日本の歴史を今から79年遡った1942年(昭和17年)は、真珠湾攻撃から1年、ガダルカナル沖海戦で日本空母の4隻が撃沈され、そのため制空権をなくし、その後制海権も無くし、敗戦へとなるターニングポイントになった年である。

科学技術ではクルマ、鉄道、飛行機、テレビ、冷蔵庫、洗濯機など、今の製品から見れば機能は劣るもののすべてが揃っていた。ヒトの外見も現在のわたしたちとほとんど変わらない。ところが今日から同じ79年後の2100年はその様相ががらりと大きく変わると予想されている。

ある未来研究者は今後100年の文明の進化は、これまでの1万年の変化に相当するという。また別の未来学者は10万年に相当するとも発言している。

ここで1万年だろうが10万年だろうと、2100年の人びとから2021年に生きる我々を振り返れば、われわれが言う3万年前のネアンデルタール人か、2万年前の旧石器人の文化と同じレベルだろうということだ。
 
 参考文献
1.ミチオ・カク著、斉藤隆央訳「2100年の化学ライフ」(NHK出版、2012年)
3.リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳「悪魔に仕える牧師」(早川書房、2004年)
                      つづく
【コラム3 人工知能の誕生】予告
 人工知能が誕生させ方法に、うまくできれば「褒め」、逆に失敗したら「ダメじゃないか」と叱ったというのだ。まるでわれわれの子育てに似ているのだが…。

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