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留目弁理士奮闘記! 番外編      ゑれきてりせいりてい 作/黒川 正弘

 【これまでの経緯】
香織がひとり留守番をする留目特許事務所に、壊れた自転車を持ち込んだ不審な男が訪れた。男は「この自転車はタイムマシンだ。特許を出したい」と言った。香織はこの男とともに、平賀源内のいる江戸時代にタイムスリップした。不審な男は、坂本龍馬だと名乗った。
   

第二話(その1) 『平賀源内』

 香織は冷静になろうと思った。
うす暗い部屋をゆっくり見廻した。そこは二十畳ほどの広さのフローリングの部屋で、家具一つなく、ガランとしている。


部屋の片側のすべてが障子で、薄明りが射している。ということは、その向こうは庭なのだろうか。障子の反対側は板壁で、壁には何本もの棒が掛けられている。正面は床の間で掛け軸がかけられている。暗闇に目がなれ、近づいてみると、何やら字のようなものが書かれていたが、まったく読めなかった。板壁にかけられていた棒は木刀だった。

――ここは、どこかの剣道場だろうか? 
「ここはどこなの?」
龍馬に恐る恐る訊いてみた。
(平賀源内(ひらがげんない)さんの屋敷内のどこかだと思いますが……)
――冗談じゃないわ。誰がそんなこと信じるのよ。
香織は心の中で毒ついた。
――しかし、ここは明らかに留目特許事務所ではない。イル―ジョン? ねずみ男はマジシャン? でも何のためのマジックなの? 見も知らぬあたしにマジックをかけてどうするの。まさか、あたしを誘拐する気? そんなバカな……。
考えれば考えるほど訳がわからない。


  龍馬の声が聞こえてきた。
(わたしはマジシャンでも、ましてや誘拐犯なんてとんでもないです)
「えっ、どうしてわたしの考えていることがわかったの」
(テレパシーです。これからは言葉を出さずにテレパシーを使うことにします。香織さんの声でこの時代の人を驚かすといけないでしょ、だからです。僕と話をするときは、頭の中で念じてもらえれば通じますから)
――あー、あー、聞こえますか。感度はいかがですか。
(ははは。上手いです。その調子です)
――テレパシー……ねぇ。
香織は小さく頭を振った。


(とにかくここを出ましょう。その前に自転車を庭に隠しておきましょう。見つかると厄介です。それと時代設定装置を外して腕に付けてください)
香織は龍馬にいわれるまま、時代設定装置を右腕に巻き、自転車を庭に下ろし床下に隠した。
(いいでしょう。では行きましょう)

一方、こちらは源内屋敷の玄関から少し入った応接間。
源内と杉田(すぎた)玄(げん)白(ぱく)、そして弟子の森(もり)嶋(しま)中(ちゅう)良(りょう)の三人が丸いテーブルを囲み、何やら重苦しい雰囲気で顔を突き合わせている。


源内は色白で当時としては背が高く、美男子であった。そのせいかどうかはわからないが源内は美しい男を好んだ。玄白は源内と一緒に医学書を書いたほどの無二の親友で、背が高く丸顔だった。中良は源内の戯作(げさく)の弟子で、小太りの男だったと伝わっている。


源内は眉間に深い皺を作り、ふたりを前にしてしきりに、困った、困ったと口にし、相談に乗ってほしいと切り出したところだった。
「聞いてくださいよ。今から二年前の安永三年(一七七四年)に三度目の長崎遊学をしたときのことなんだけどさ、阿蘭陀(おらんだ)語(ご)大通詞の西善三郎さんの倉庫で、二本の角(つの)がにょきっと出た四角い箱を発見したのさ。見た瞬間にね、ピンと閃(ひらめ)いたのよ。ひょっとして、これは『ゑれきてりせいりてい』、じゃないのかなと」
「ゑれきてりせいりてい……」


玄白は反芻(はんすう)した。
源内は玄白に頷き返した。
「でもね、箱を開けてみると、中はぐちゃぐちゃ、完全に壊れていたのさ。それでもこれが欲しくなって、西さんに、これをくださいな、と申し出たの。そしたら西さんは、壊れているし、何をするものかわからない。そんなものでいいならあげるよ、と言ってくれたんだよ」
「♪げんないさんは~、 ♪エレキテルをもらいうけ~え~ ♪しゅうふくしようとぉ~、躍起になったのでありました」
中良は都都逸(どどいつ)風に歌いながら踊りだした。


 源内は中良のおちゃらけなどおかまいなしに続ける。
「箱の中は壊れたガラス瓶だの、歯車や金属の板や金属線などがバラバラになっていて、いったいどうなっていたのか、知りたくなってね、修理してやろうと思ったのさ。ガラス瓶は平戸のビードロ屋に頼んで、歯車は長崎の建具職人に、金属部品は鋳掛屋(いかけや)に頼んだのさ。あとの部品はあたしがね、何とかして作ったのよ。あのときは勘が冴えてたわ。それで『ゑれきてるせいりてい』を完成させたの。設計図もちゃんと書いておいた」
「♪源内先生は~ ♪職人達に~、♪活を入れえ~ ♪悪戦苦闘の末に~ ♪かんせ~え~え~ ♪したのでした~」
またもや中良は、立ち上がると踊りだした。


「最後の歯車を組み入れて、箱の外側には阿蘭陀(おらんだ)唐草(からくさ)模様(もよう)を油絵具で描き、格好いいものにしたのよ」
「エレキテルを江戸に持ち帰り、玄白先生の診療所でエレキテル治療を開設したのよね」
中良が源内の後を引き継ぐと、玄白は顔を曇らせた。


「源内さんのエレキテルはとにかくすごい評判ですよ。痛みが取れる、気分が爽快になる、と大評判でね、待合室はいつも患者さんでいっぱいでした。エレキテル診療所も順調にいくと思っていたのですが、先月の初め頃から悪い噂が耳に入ってきました。どうやら偽のエレキテル診療所ができ、そこでも治療をやっているらしいのです」
「そうらしいですねぇ、玄白さん。それに、あたしの方も偽エレキテルが出回り、大いに迷惑をしているのよ」
源内は頬を赤く染め、興奮している。


「源内殿、エレキテル診療そのものに嫌な噂が広がり、われらの診療所にもめっきり患者が来なくなりました」
「そうですか。あたしが作ったエレキテルも売れなくなって、これからどうしたものかと……。中良さん、なんとかならないの」
 中良は源内を師匠と仰ぎ、師匠の苦境を何とかしたいと思っていた。その中良は戯作のネタを町中で探すうちに情報通となり、ある噂を聞き付けていた。


「その偽のエレキテル診療所をやっている医者の名前は清(せい)庵(あん)というらしいです。それなりに流行っているようですが、実のところは助手をしているお甲(こう)という女が目当てらしいです。ところが先ごろ、その清庵という医者が居なくなったというのです」
 それを訊いた源内の顔がスーっと青ざめると、あわてるようにして訊き返した。


「そ、それでその清庵とかいう男の風貌はどうなんだい」
「色白で、小柄の優男(やさおとこ)のようですが……」
中良は語尾を弱めると、源内の顔色を窺った。
「やはり、そうなのね……。その清庵というのは清(せい)次郎(じろう)かもしれない。長崎でエレキテル診療所をしていたとき、あたしの助手をしていたの」
源内はそう呟くと、誰の目にもわかるほどガックリと肩を落とし、しくしく泣き始めた。


 玄白と中良は肩を落とし小さくなった源内にかける言葉もなく、じっと見つめていた。そんな中良だったが、迷ったあげく、耳に挟んださらなる噂話を口にした。
「そのう、源内せんせー。清次郎さんらしい男、いや、その清庵とい男は捕らわれているみたいなんです」
「エーっ。そ、それで、清次郎はどこにいるの。無事なのかえ」
 居てもたってもいられなくなった源内はよろよろと立ち上がろうとした。
「先生、落ち着いてください」
「こんなところで、じっとなんてしていられない。せいじろ~」
 源内は震える声で叫んだ。


「まだ清次郎さんと決まったわけじゃありませんよ」
玄白は静かに話す。
「そうですよ。それにその男は橋本町の幽霊屋敷に囲われているとか……。あくまでも噂ですからね、確かかどうかは……」
「幽霊屋敷に……」
源内は気が抜けたように椅子にバタンと腰を落とし、しばらく考え込んでいたが、再び立ち上がると、
「やっぱり清次郎を助けなければ……。なにがあったのか聞いてやらないと。清次郎」
「先生! せんせー一人では無理ですよ」
中良は源内の袖を掴んで引き止めた。玄白も源内を見上げ、首を大きく左右に振った。


二人に止められた源内は意気消沈し、再び椅子にドサリと腰を落とすと、ひじ掛けにもたれ込んだ。
 近ごろの源内は喜怒哀楽が激しく、弟子の中良とて手に負えないほど興奮したり、落ち込んだりすることがあった。今でいう躁うつ病の初期症状で、玄白も源内の気うつ症を大そう心配しているところであった。


 みなが思案に暮れていると、源内の前の襖がすぅーっと開き、源内と香織の視線がパチンとぶつかった。
「お、おまえさんは誰だい」
源内は驚いて、大きな声を出した。
「わっ、わたしは、弁理士助手の朝井香織です」
「べんりし、それってなんなの」
「えーっと、弁理士と言うのは、発明の特許を書いたり、権利を取ったりする人のことです」
「とっきょ。とっきょ、ってなんなのさ」
源内は怒りを忘れ、いきなり目の前に現れた女に興味を持った。玄白と中良は突然のことに唖然としていた。


「特許っていうのは発明したものに一定の期間、独占的に製造や販売をすることが許される権利のことです」
「それをあなたがしている、というのですか」
「まあ、そういうことになりますでしょうか……」
今度は香織が尋ねた。
「ところでここはどこなんでしょうか。時代劇の撮影所か何かですか」
「はぁ、あなたはさっきから何を訳のわからないことを言っているの。ここはね、平賀源内せんせーのお屋敷です」
 中良が半ば呆れながら答えた。


「平賀源内先生……って、江戸時代の。そんなバカな」
「なにがバカですか。バカを言っているのはあなたでしょ」
中良は真面目な顔をして怒った。
「本当にそちらが平賀源内さんですか」
「そうよ」
源内は鷹揚(おうよう)に頷く。
(香織さん。源内さんは本草学から鉱石学、蘭学(らんがく)や医術に詳しく、戯作者でもあり、浮世絵から油絵まで習得した日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ的天才ですよ)
龍馬が耳打ちした。


「そして、こちらが蘭学医の杉田玄白先生。わたしは戯作者の森島中良。おわかりですか、不審者殿」
 中良は澄まし顔で紹介した。
――本当に江戸時代にいる……。まさか。これは、きっとなにかの間違いよ。


香織は自分のほっぺたを両手でパンパンと叩き、もう一度尋ねた。
「本当に、そちらが杉田玄白さん? 」
「そうだ。わたしが玄白だ」
(杉田玄白は、オランダ語のドクトルアナトリアを翻訳し、解体新書を出版した医学者です)
「それであなたが中良さん……??」
「そうよ」
 中良は源内や玄白を真似るように鷹揚に頷き返す。
 香織は、は~っと嘆息した。


――本当にタイムスリップしたのね。
(やっとわかってくれたようですね)
 今度は中良が香織に問いかけた。
「それでお前さんは誰の許しを得てここに居るんだい」
「実は、わたしは……」
香織はちょっと迷ったが、正直に答えることにした。
「あたしは未来から来ました」
 一瞬、部屋の中が静寂に包まれた。そして、次の瞬間、中良が、ワッ、ハッハッハー、と呵々大笑(かかたいしょう)した。
「われらをからかいに来たのかい。この世は過去も未来もないの。ただ、現世(うつしよ)があるだけ。それとも何かえ、お前さん、エレキテルを盗みに来たんじゃないだろうね」
「違いますよ」
 源内は立ち上がると、香織に近づき、香織の周りをぐるりと回りながら、上から下までまじまじと眺めまわした。


「確かに怪しいわね。妙な服と髪の毛がないわね。そなたは尼さんかえ。それともキツネが化けているとか」
 源内はホホホと口を押さえ笑った。
 玄白も興味津々に香織に近づき眺めている。
「確かにに頭も服も日(ひ)の本(もと)のものではないようです。阿蘭陀や葡萄牙(ポルトガル)の男子(おのこ)が着るような服を着ていますよ」
「この服はね、ピンストライプのパンツスーツ。ブランド品だから高いのよ。それにこのヘアスタイルは、カールストレートボブヘアっていうの。二百年後の日本で流行(はや)っているわよ」
 阿蘭陀語に通じている玄白も香織の言った、パンツスーツだの、ヘアスタイルだの、カールス……なんとかなどの言葉は全く理解できなかった。阿蘭陀語すら知らない中良にはちんぷんかんぷんだった。


「あなたは欧羅巴(ヨーロッパ)、いや待てよ、英吉利(エゲレス)の人ですか」
玄白は興味深げに聞いた。
「わたしは、ヨーロッパやイギリス、アメリカ人でもインド人でもありません。れっきとした日本人。二百年後の未来から貴方(あなた)がたを助けるためにやって来た弁理士助手です」
「二百年後の女子(おなご)は、そのようなボサボサの頭と男のような衣装をまとっているのか。気の毒な世の中じゃな」
香織は、このヘアスタイルはボサボサじゃないわよ、と言いたかったが、黙って頬を膨らませていた。


龍馬のくすくす笑う声が頭に響く。
――黙れ、ねずみ男。
(坂本 龍馬です)
「なるほど、そういうことね。わかったわ。神さまがあなたを、あたしたちに遣わされたのね。そういうことなんでしょ」
 源内は香織の言葉をそう解釈すると、大いに納得したのか、手のひらで膝をポーンと叩いた。そして、源内はにやりとすると香織に尋ねた。
「香織殿は某(それがし)を助けるために未来から来たと申したな」
香織は言った手前仕方なく、こくりと頷く。
「実は、わたしの知り合いの清次郎という男が、悪い奴らに捕まっているというのだ。力を貸してもらえないかしら。その男を助け出したいの」
「えっ、悪い人に捕まっている。助け出すって。弁理士助手にはちょっと……」
(大丈夫。わたしが付いています。引き受けましょう)
龍馬からテレパシーが届いた。


「わかりました。清次郎さんを救出しましょう」
香織は何だか面白そうだと大胆にも口走っていた。
「そうしてくださる。うれしい。中良さん。香織さんをその幽霊屋敷に案内してくださいな」
 源内は半信半疑だったが、おとこ女のような未来から来たという娘が、何とかしてくれるとすっかりその気になっていた。
 言われた方の中良は、
「いやですよ。こんな夜分に。幽霊にとり憑(つ)かれたらどうするんですか。ご免こうむります」
「頼むよ、中良。お願いだから」
源内は目に涙を溜め、中良の前で手を合わせている。


「せんせー。そんな芝居がかったことやめてください。手を合わせて拝まないでください。あたしは仏じゃありません。まだ生きてんですよ」
 それでも源内は中良に手を合わせ、なんまいだー、と呪文を唱え拝んでいる。
「もう、わかりましたよ。行けばいいんでしょう、行けば。その代わり、せんせー、あたしの戯作を市村座にかけてください。それが」
「わかった。わかったから、約束するよ。行ってくれるんだね。ありがとう」
すでに源内は相好を崩すと、にやけている。


 中良と香織はその場の成り行きで清次郎の救出を請け合うことになった。
「ところで、清次郎さんはどうして幽霊屋敷に捕まっているのですか。いったい、何があったのですか」
 香織は源内に尋ねた。
 玄白も中良も頷いた。声だけの龍馬も、うん、うんと首を縦に振っていた。
つづく

第三話 『ゑれきてりせいりてい』 予告
 源内先生が長崎で『ゑれきてりせいりてい』を見つけ修復し、改良した経緯が判明するが、そこには悲しい物語があった。

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