はなにまめ

大阪万博の年の産まれ。気がつけばどうもしっくりこない思いを抱えたまま、自分を押し殺し、…

はなにまめ

大阪万博の年の産まれ。気がつけばどうもしっくりこない思いを抱えたまま、自分を押し殺し、隠し、騙しながら生きてきたようだ。しっくりこない自分に折り合いをつけるべく、この世に生まれてからの道程を正直に書き連ねてみたい。正直な気持ちを吐露した自分を受け入れてあげるために。

最近の記事

親父とお袋 4

親父はいわゆる婿養子ではない。 じいちゃんと養子縁組をしているわけではなく、お袋と結婚してお袋が親父の籍に入っている・・・なんていうのかな? だから苗字もじいちゃんの苗字は名乗っていない。 お陰で自分が産まれたとき、養子にしたいとの申し出があったそうだが、お袋よりも親父が断固反対で頓挫したそう。 じいちゃんが創業した商売を親父が専務ということで後を継いだ感じになったのだが、いきさつを考えてのことだろうか、じいちゃんと親父はお互いかなり気を遣って同じ屋根の下にいたように

    • 親父とお袋 3

      亡くなった兄妹もいるそうだが自分が生まれたときは四姉妹だったお袋。 満州産まれで危うく残留孤児になるところだったらしく、子供の頃、お盆だったかにテレビの残留孤児の家族を調査する番組?を見ていたのを覚えている。 そして、”私なんか産まれてこなかったらよかったのに”って子供の自分に聞こえるような独り言をつぶやいていた。 子供の頃は親父から守ってくれる優しいお袋のイメージがあったが、なんとなく言葉の端端に違和感があって、素直になれなかった気がする。 家の中で騒いでいると、『

      • 親父とお袋 2

        親父は田中角栄の後を追うかのようにその数日後、ガンで亡くなった。 そんな親父のこと、私は大嫌いだった。 何から何までダメで、中学時代には親父と一緒に暮らしていることすらイヤで地元以外の高校を選んだほど・・・顔を合わせるのも苦痛だった。 でも、親父の独身時代の東京の話はとても面白かった。 東京オリンピックの話、首都高が出来た時の話、当時住んでいた麻布十番の話、車の話、有名人の話・・・。 東京時代ばかりじゃなく、子供時代、学生時代、兄弟との話、饒舌ではないが、結婚するま

        • 親父とお袋 1

          物心ついた頃からのこと、書き出してみる。 お袋は四姉妹の末っ子。 上から順番に自営業をしていた嫁いで実家出ていったため最後に残ったお袋に店を継がせるべく取引先の方の弟さんとお見合い結婚(お袋談)。 その夫婦の長男として産まれたのが私。 お袋は自分と結婚してくれた親父には感謝しているがそれ以上に実家を離れたい気持ちが強かったようであまり親父にプラスの感心はなかったように私の目には映っていた。 男子の内孫が生まれた祖父は私を養子にと懇願したそうだが、特に親父が断固拒否した

        親父とお袋 4

          葛藤 1

          ”どうしてそんなヤツになっちまったんだろう?” 零細小売業の経営者をしている私、はなにまめ。 接客対応はいろはのい、お客さんと接することで商売が成立っている。 もちろん1000%理解している、わかっている。 しかし、最近つとにお客さんと接することが苦痛でならない。 商品の説明を細かく求めてくるお客さんと接しながら、 ”いちいちウルサイ客だな!説明したってどうせ理解できないだろうに” 黙って品定めしているお客さんを見ながら、 ”さっさと選んでくれよ!何迷ってんだよ”