見出し画像

こんなに好きでも (後編)

「あなた、もっと自分のこと大事にしなさいよ」
そう彼に窘められても、私はずっと好きだった気持ちを簡単に引っ込められず、
「でも」とか「だって」とかぐずぐず言っていた。
すると彼が、
「じゃあさ、たまにお茶でも飲もうよ。それならいいよ。あなたの連絡先教えて」
と言ってくれ、彼も名刺をくれた。


翌日から、私はどんな顔をして彼に会えばいいのかわからなかったので例のカフェには行かないようにしていた。
3日ぐらい経ってから、彼の会社(経営者だったのだ)に電話をしてみることにした。直通だという番号に掛けると秘書らしき女の人が出たので、
「津田と申しますが、Kさんはいらっしゃいますか」
と聞いたところ、はい少々お待ちくださいませと言われて待っていると、しばらくして、
「申し訳ありません、Kは只今外出致しておりまして‥‥」
と言われてしまった。
あーーー!!これ完全に居留守だな?!と思った。
間がおかしかったもの、間が。
「こちらから折り返すよう申し伝えましょうか?」
と聞かれたので、「はい、お手数ですがお願い致します!」と元気よく答えたが、掛かってくるわけないなと思った。


案の定、1日待っても2日待っても彼からは連絡が無かった。
私は「やっぱりな‥‥」と思ってちょっと淋しく感じたが、不思議なことに彼に嫌われているわけではない気がして、また会ったら話しかけちゃおうと思った。


仕事場が近いというのはこういう時に便利(?)なもので、10日後ぐらいだったか、会社の帰りがけにバッタリ彼に会った。
「Kさん!!」
私が嬉しくなり思わず笑顔で彼を呼ぶと、彼は(やばい、まずい奴に見つかった)みたいな悪戯っぽい顔をして笑い出した。
「私、この前Kさんに電話したんですけど」
と、私も笑いながら抗議するようなていで言うと、
「わかってるわかってる。じゃあちょっとだけ飲みに行くか、今から」
と言ってくれた。
私は、とりあえず彼に気まずく思われないように雰囲気を直しておきたかっただけだったので、彼が誘ってくれたことを心から喜んだ。


しかもなんと、飲みに行った場所が某老舗有名ホテルのバーだったのだ。
ホテル → 泊まり
と連想して、ますます幸せな気持ちになった。
ひょっとしたら本当に抱いてもらえるかも‥‥と思った。


ホテルの玄関でタクシーを降りてバーへ向かう途中、私は気持ちが高まってしまい
「‥‥Kさん、腕組んじゃだめですか‥‥?」
と思わず聞いてしまった。すると、
「こんなとこで腕なんか組んだら誰に見られるかわかんないよ」
と、また窘められてしまった。


彼がもともと喋りやすい人で、しかも2人で話すのが二度目ということもあって、ずいぶん打ち解けた雰囲気でお酒を飲みながらあれこれ楽しく話した。
好きな本や絵画が似ていることもわかり、彼のたどってきた人生の話を聞いていると面白くて面白くて時の経つのも忘れるぐらいだった。


私はますます彼が好きになり、こうして膝がつくぐらいの距離で顔を寄せて喋っている内に、本気でどうしても彼に抱いて欲しくなってしまった。
けれど私もまだ若かったので「抱いて下さい」の一言がなかなか言えない。
何しろ生まれてこの方一度も言ったことのない台詞なのだ。
頭の中で「一度だけでいいから抱いてください」と台詞をシミュレーションするのだが、どうしても言う勇気が出ない。
会話の途中、何度も彼の目を見つめて
「Kさん、あの、」
と言うのだが言葉を続けられず、「‥何でもないです」と言ってしまう。
しかし何度目かに言葉を濁した時、彼は私がそういうことを言おうとしているのを雰囲気で察したようで、その時セックスの話をしていたわけでもないのに、
「おれ、勃たないんだよ」
と言った。
私は直感で(‥これは嘘だな。きっと断るためにこう言っているんだ)と思った。
彼の雰囲気からいって、そんなはずはないと思った。
「‥‥‥‥」
「あなたならもっと若くていいのが周りにいくらでもいるでしょう」
私は首を振って、
「いません」
「いるよ。おれなんかじゃなくてそういう人を探しなさいよ」
「Kさんじゃなきゃイヤなんです」
もう私は切ない気持ちが高まり、この場でキスして欲しいぐらいに思ってしまって、思わず彼の唇と目を交互に見つめた。


その時、バーテンダーの1人が私たちのテーブルに来て、
「お客様、失礼ですがお部屋の方はもうご予約済みでしょうか?」
と聞いてきた。私は、
(ホテルのバーってこんな踏み込んだことを聞いてくるんだ)
と思って驚いたが、同時に、
(こんなに年が離れててもちゃんと恋愛関係に見えてるんだ)
と思って嬉しくなった。
しかもすごくいいタイミングで聞きに来てくれた‥‥!と思った。
私は彼の目を見つめて、
(お部屋取ってください‥‥!)
と心で訴えた。(これも口では言えなかったのだ)
ところが彼は平然と、
「いや、泊まらないよ」
とバーテンダーに答えてしまった。
もう泣きたかった。


だがその後バーを出てエレベーターを待っている時、周りには誰もいなかったのだが、彼が、
「はい、じゃあご希望の」
と言って腕を差し出してくれたのだ。
私は嬉しくて切なくて泣きそうな気持ちで、彼の腕に自分の腕を絡めて、彼の肩に頬を寄せた。
「エレベーター降りるところまでだからな」
「‥‥Kさん、キスは‥‥」
「そういうのは本当に好きな人としなさい」
エレベーターはあっという間に1階に着いてしまった。
私はおとなしく彼から腕を離した。
ホテルの正面玄関で別れる時、私は切なさがピークに達して、
「私、本当にKさんのことが好きなんです」
と言ったら、彼はまたこの頁のトップ画像の男の人みたいに眉根を寄せて、
「わかったわかった」
と言って、私の頭をぽんぽんと軽く叩いた。


彼とはその後も何度も会ったが、本当に本当に片想いだった。
私は、キスぐらいしてくれたっていいのでは‥‥と思って拗ねたが、何度せがんでも絶対にしてくれなかった。
周りに人がいなければその後も腕は組ませてくれたし、昼間で周りに人がいても頭をぽんぽん叩いてくれはしたが、その時彼が言う台詞は決まって、
「早くもっといい人探しなさいよ」
だった。


一度彼にどういうタイプの女の人が好きなのか聞いたら、昔の田中裕子、と言われた。
田中裕子さん‥‥女優の‥‥。
ああ‥‥確かに私と全っっ然違うタイプですね‥‥と思った。
本当に私のことがタイプじゃないんだろうな、と思った。


そんな風にしてだいぶ長い間彼に片想いをしていたが、彼はその後、突然この世からいなくなってしまった。
今思い出しても悲しくなるが、当時の私は相当動揺した。
周りの友達にもだいぶ心配された。


お通夜にも告別式にも行ったが、奥さんは全然田中裕子に似ていなかった。
参列者は驚くほど大人数で、男も女もみんな素敵な感じの人ばかりだった。
彼はこういう人達に囲まれて人生を送ってきたのだなと思った。
特に女の人はきれいな人が多く、この中に彼の子供を育てている人もいるのかもしれないなと思った。
でも誰も田中裕子には似ていなかったので、やきもちは妬かずに済んだ。


遺影はプロのカメラマンが撮ったらしく、素敵なモノクロの写真だった。
眉根を寄せてちょっとだけ笑っている。
「あなた、早くいい人探しなさいよ」と言う時の顔だった。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?