霞 ~36.後ろ盾~

「さて、本日の主役登場ね。」
テイクアウトのメニューを眺めながら、また鼻歌を始めた。
「ジャージーミルクは押さえときたいし…。え、ブルーベリーのソルベ?」
「はい、うちの農園で取れたものを使った、混じりっ気なしの自信作です。」
「農園をお持ちなんですか?じゃあこの近くでブルーベリー狩りできるんだ。」
「いえ、農園は少し離れていて、蘇陽にあります。」
「蘇陽?」
「ほら、さっき外輪山越しに噴煙が見え

もっとみる

霞 ~35.デザート~

会計を済ませ外に出ると、陰り始めた陽の影響か空気がかなり冷たい。急いで車に戻りかけると、
「ちょっと、忘れ物よ!」
緋乃が引き戸を後ろ手に閉めながら叫んだ。
「あ、悪い悪い!」
ジャケットを確認したが、ちゃんと財布は内ポケットに入っている。
「え?」
「え、じゃないよ。あれ!」
指差す先には、例のパン屋。
「まさか⁉」
「まさか…何?『食べるなんて言わないだろうな』、って?」
「だって、まだ満腹で

もっとみる

霞 ~34.強さ~

「仲の良い夫婦に見えるのに、色々あったんだな。ま、こっちもそう見えてるんだろうけど。」
こちらの問いかけに返事をする代わりに湯呑の残りを飲み干し、続けた。
「彼女の話を聞いていると、冷静過ぎて誰か他の人の事話してるんじゃないかとさえ思った。もちろん、怒っているんだなとは分かったけど、それ以上に穏やだった。」
「よっぽど今の自分に自信があるんだろうな。」
「うーん、わかんないけど、怖いくらいの自信と

もっとみる

霞 ~33.呟き~

「おいおい、まさかご主人と一緒だったとか言わないだろうな?」
「ううん、幸いにも違ったらしい。」
注いでやったお茶を飲みもせず続けた。

「…8月になってすぐ、彼女から電話があった。それまでは、ふた月に一回ご機嫌伺いのメールがあるかくらいなかなか連絡を取れずにいたから、驚いた。『話したいことがあるから、今日の午後お邪魔してもいい?』って。 久しぶりだし、一日中子供の面倒見ていて代わり映えのしない毎

もっとみる

霞 ~32.出会い~

「ありていに言うと、浮気相手?かな。私より三つ年上で、主人と同い年。ポニーテールがとても似合ったジムのインストラクター。」
「どうして、彼女のことをそんなに詳しくご存知なんですか?」
「そのジムは主人の会社が契約していて私もやらないかってずっと言われてたの。でも、まだ子供に手がかかってたし、私も出かけるのが億劫になってそのままで聞き流してた。そのうち子供が絵本に興味を持ち始めて、少しくらいだったら

もっとみる

霞 ~31.告白~

「どうも、大変お待たせしました。」
かの奥様とスタッフが料理を運んできたのは、15分ほど経ってからだった。
「こちらが皿そばセット。そばを3つに小分けしておりますので、それぞれの薬味をつけてお召し上がりください。で、そちらがおろしそばの大盛り。量は、きっとご満足いただけると思います。」
緋乃の右手に置かれた皿の中には、3つの小さなそばの山。目の前に置かれた盆には、付け汁・とろろ・おろしがそれぞれに

もっとみる

霞 ~30.苦労~

「それからどうなった?」
「え?」
「ほら、奥さんとの話し。」
「あ、それそれ。」
両の手のひらで包んでいる湯飲みに一旦視線を落としてこちらを見つめ、湯殿での話に戻った。

「結婚されてからも、大変だったんですね。」
「家は同じ敷地の中に建ててもらえて、というか、それが条件で結婚できたみたいなもの。同居じゃなくある程度距離は置いて生活できてたんだけど、結婚して2か月経った頃お母様が突然入院。」

もっとみる

霞 ~29.そば~

442号線を西行し、黒川温泉まであと1㎞ほどのところにその店はある。到着したのは14時を少し回ったころ。
「ふふっ、デザートの心配する必要はないわね。」
「えっ?」
「ほら!」
車のドアを閉めた緋乃がニコニコしながら指差した方向を見ると、同じ敷地内に小さなパン屋が。その入り口には“手作りプリン”、“ジャージーアイスクリーム”の幟が立っている。
「食べる気、満々だな。ま、そばを食べて余裕があったらね

もっとみる

霞 ~28.悪しき風習~

「…だから、お風呂から上がった頃にはちょうど出来上がっているわけ。蒸気で温めているから余計な油は落ちているし、なんかふっくらとしておいしいのよ!」
「いいなあ。話聞いてるだけでお腹鳴り出しそう。ご家族みなさんで温泉を楽しんでいらっしゃるんですね。うらやましい。」
「そういうあなただって、お一人でいらしたわけじゃないわよね?」
「ええ、まあ、友達とです。」
露天風呂で挨拶を交わした後も、彼女との話は

もっとみる

霞 ~27.暖風~

車に乗り込むと、既に1時半を過ぎていた。長話しが過ぎたようだ。車を瀬の本の交差点方面へ走らせ、そば屋へはそのまま直進し黒川温泉方面へ向かう。 快晴の空の下、昼の陽に少し温められた風が開けた窓から車内を通り抜けていく。緋乃は先ほどから体を左に向け、黙ったままだ。
「もう閉めていいかな。湯冷めするよ。」
「え、ああそうね。いいよ。」
「何か考え事?」
「さっきの温泉での話。」
「僕が、浮気は

もっとみる