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想い合っても結婚できるとは限らない時|助け手として生きること


 クリスチャン同士でも結婚に至らないカップルもいれば、クリスチャン-ノンクリスチャンのカップルでも結婚できるカップルもいる。

 片想いが実って結婚するカップルもいれば、両想いでも結婚に至らないカップルもいる。

 昔から、「一番好きな人とは結婚できない」とか「結婚するなら2番目に好きな人」とかいうことばをよく聞いてきたけど、


 …何でこんなに好きなのに、好きになってもらえないんだろう。とか、
 …何でこんなに好きなのに、一緒になれないんだろう。とか、

 …あるよね。あるある。
 そんな失恋チックなあなたに、ちょっとだけ伝えたいこと。


ひとりの人の助け手として造られた私

 創造のはじめ、アダムの助け手として造られた最初の女性、エバ。

 クリスチャンはこの摂理を信じて、自分と一体に造られた相手を探し求めている。

 心注ぎ出しては、祈って祈って、ようやく見つけた「みこころの人」と思える人。
 …と思いきや、振られることもあるし、その逆も然り。
 …と思いきや、想い合える仲だったのに、それぞれ別々の家庭を築くこともある。


 私は今結婚8年目。子どももいる。
 けど、結婚前はまあ普通に恋愛もして、それで今想うことは、

1.私には他の男の人を助ける力はない

 ということと、

2.私は間違いなく今の夫の助け手として造られている

 ということだ。


私には他の男の人を助ける力がない

 なぜ想い合える同士であっても結ばれないのだろう。

 それは、私がその人の助け手として造られていないからだ。

 たとえ好き合っていたとしても、私にその人を助ける力がなかったら。その人を十分に助けてあげられる人が他にいたとしたら…。
 彼にとってどちらを選ぶのが幸せだろう。

 逆に、あなたがその人との結婚を推し進めることで、本来発揮できるはずのあなたの賜物を、土深く埋めることになることだってある

 __男性にとっても然り。「両想いの相手」が助け手とは限らない。あなたを十分に助けることのできない相手だったかもしれないし、あなたのゆえに、彼女の使命と賜物を生かしてあげられなかったかもしれない。

 神は永遠を司るお方だから、それがわかっているのだ。

「彼なら、彼女なら、どんなに苦しくても愛し続けられる」
  それも愛。

「彼のために、彼女のために、身を引こう」
  それも立派な愛。

 
 その人を助ける力を得て、結婚に至ることももちろんありはするので、結局みこころの人は "神のみぞ知る" なのだが。

 私が独身の時は、たとえどんなことがあっても、好きになった人を愛し続けられる自信があった。
 だけど、結婚した今は少し考え方が違う。

 もし他の人と一緒になっていたとしても、私の心は支えられるだろうけど、私がその人を助けることは、きっとできなかっただろう。

 そしてもし、他の人と一緒になっていたとしたら、私がここまで神様に仕えることを許してもらえなかっただろう。


私は間違いなく夫の助け手として造られている

 とは言え、夫と暮らすようになって7年を振り返ると、「私は母親か?それとも家政婦か?」ってぐらい、夫の欠けが見えてくる。笑

 書類系、手続き系、旅行の準備…。今まで独身の時出来てたよね?ってことまで、なぜ出来なくなるのだ、夫よ。

 子どもが生まれて2年は、夫婦喧嘩も多くて、確信を持って結婚したはずなのに、「本当にこの人はみこころの人だったのか」と思うこともしばしばあった。

 それから数年後、2人とも個人事業主となり、この人と結婚したのは間違いではなかったと平安に変わったのは、結婚から5年経った後だった。

使命を果たし合うためのふたり

 私たち夫婦には、それぞれ「輝くクリスチャンを増やす」というビジョンと「クリスチャンの再建」というビジョンがある。

 共通しているのは、「神の栄光を表す若いクリスチャンたちの育成」という想い。

 夫は私と結婚したことで、若いクリスチャンとの交流が増えた。
 そして超絶人見知りで口下手な夫に代わって、私はアロンの役割を担っている。
 しかし私と結婚したことで、夫は教会のダークな一面も知ることとなり、青年層に潜むブラックな課題にも直面。

 こうして夫のビジョンは少しずつ動いている。

 私も私で、夫と結婚したことで自分のビジョンがより明確化しているし、お互いに、より神様への信仰と愛が増えている気がする。

 神様への愛、みことばへの理解、ビジョンの前進。それらが増し加えられている今、夫と結婚したことは間違いではなかったと確信に繋がっている。


 __でも別に、それぞれ他のパートナーでも、同じビジョンを持つ人・ビジョンを補い合える人はいると思う。


 ではなぜ夫でなければならないのか。

 私には結婚するなら絶対に譲れない条件があった。それは、「神様以上に夫を愛することはできない」という条件。

 夫との結婚にいちばん感謝しているのは、みことばをとことん実行することを、許してもらえること。

 全財産を失ってでもみことばを実行することを許してくれる。むしろ一緒に実行してくれる。

 おそらく夫でなければ、私の神様へ対する忠誠心は、理解してもらえなかったと思うし、
 夫にとっても、ここまでみことばを実行しようとする信仰は、きっと私と結婚しなかったら育ってなかったと思う。(自画自賛)


 私も失恋いっぱいしたよ。こっぴどく振られた時もあるし、想い合ってたのに実らなかったこともある。
 でも、おかげさまで神様への愛は、都度増し加えられたと思う。

 夫の過去の恋愛は詳しく知らないけど、夫も夫で、過去の恋愛は然り、私との波瀾万丈な結婚生活を通して、きっと神様への愛が増し加えられているのだと思う。
 …まぁもしかしたら、「こんなはずじゃなかった」って思われてもいそうだけど。笑
 今謝っとこ。ごめんよ、夫。


 「好きな人がみこころの人ではない」と受け入れるのは結構辛いけど、あなたの愛を「キリストの愛」に代えて、それはつまり「最高に美しい愛を超えた愛」で、パートナーも、過去のひとも、主にあって愛していこうぜ!

 こういうわけですからあなたがたは、あらゆる努力をして、
 信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、
 忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、
 あなたがたは…実を結ばない者になることはありません。
  __2ペテロの手紙 1:5-8

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