それは甘えと言えるのか?

ほんとうにそれは甘えだと言えるのだろうか?

人間が信じられないと保護される犬がいる。
人間が信じられないと保護される猫がいる。
それは記憶がそうさせるのだ。嫌なことをされた。裏切られた。殴られた。怒鳴られた。ごはんをくれなかった。

殺されそうになった。。。

だから、人間が信じられないと
逃げたり
牙をむけたり
どちらも意味は同じこと。
『触るな!』『近寄るな!』と、意思表示しているのだ。

同じことが人間の行為にある。
「なんで学校に行かないの!」と、家から追い出される。或いは「仕事はしないと生きていけないんだよ!」とごはんを与えてもらえない。どっちも経験したことだ。

一生わからないと思う。

「おまえみたいなばか、見たことない。こんな人間いたんだ。なんでわからないんだ」とか
「あなたのことは嫌いだけど、先生が仲良くしてあげて。って言うから一緒にいるだけ」とか
「こっち見るな」とか
「またポケットティッシュ忘れたのか」とか
「うちは両親が先生だから、公務員なの。公務員って、すごいんだから。だから私は特別なうちだけど、あなたのうちは?」とか
教科書が消えるとか
給食の量が多すぎて完食ができなくて廊下やベランダに机と椅子ごと出されて見世物にされるとか

学校に行きたくない。という心情は極めて普通であり、学校に馴染めないことは悪いこと。というのは

親のジェネレーションギャップで、親の思い込みだったりする場合がほとんどなんじゃないかと思う。学校に馴染める子は親が人並みに子どもに投資していて、安心して生活に余裕があるような子のように思う。

子どもの世界にも大人の世界にも
ハイエナというか
ハゲタカというか
そういう世界は存在する。それが親は学校に行っているわけではないから、わからない。

大人になってもほとんど同じような場面に遭遇する。
「おまえの代わりはいくらでもいるんだからな」とか
「何度教えたらわかるんだ」とか
「おまえなんていらねえよ」とか
「お客が怒ってるから、おまえが謝れよ」とか
「嫌なら辞めろ」とか

そして、これが実は最大の問題だ。家族が仕掛けている。ということが当たり前になっていて、家族全員がわかっていない。という場合がある。
「おまえはママが死んだら地獄だよ」とか
「おまえは何一つできないどうしようもないやつだ」とか
「泣いてばかりいて、悲劇のヒロインぶって、死ぬ勇気もないくせに」とか
「うちの女中さん」とか

身体中に千枚通しのように、ことばが刺さっている。そんな状態で

『引きこもりは甘えである』と世間ではまかり通っているけど

果たしてそうだろうか。
人からことばや暴力を受け続けた結果として引きこもりという巣籠もりをするのは、むしろ
人間が信じられないから、保護というか、人間に殺さられると思ってしまったら、人間から自分を護るために、自室をシェルターのように引きこもることは

意外と普通の行動のように思うのでした。

#創作大賞2024
#エッセイ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?