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コピー機と私

新しい機種にも関わらず以前のリソグラフより印刷速度が格段に落ちたコピー機を2台動かしながら、蒸れた空気の滞留する狭苦しい印刷室でこうして仕事をするのもあと何回かなあと考えた。事務職新人の仕事は書類整理と印刷作業から始まるので、いつ籠もっても、印刷室は初心に返る場所のような気がする。頼まれたものを規定通りに印刷する、だけ、と言葉では簡単に言えるが、印刷の手際と心配りでその人の能力はある程度透けて見えると思っている。ちなみに私は苦手だ。手際はいいけれど心配りができない。だから余計初心に返る。


ガコガコ、ガシャン、ピー、ピーと鳴るコピー機にハイハイと話し掛けながら、どうしたら一番早く丁寧に仕上げられるかを考える。何十ページもある冊子を1台で印刷しているうちに(両面50ページを50部刷るのに1時間半以上掛かるのだが総務課は安価だからといって性能の悪い機種を選びすぎではと思う)、1、2枚のレジュメをもう1台でどんどん印刷していく。全種を1部ずつ組む必要があるし封入もしなければならないが全部刷り終わるのを待っていると夕方まで掛かりそうだと、刷り終えた5種類から組み始める。封筒に入れるときに残りの3種類を合わせよう。狭すぎる空間に封筒とコンテナを運び込んで、ペーパーを重ねながら砂の惑星の早口に韻を踏む部分をぼそぼそと歌う。ガシャン、ガコガコ、エイエイオーでよーいどんと、ガッシャン、クソ早な驚天動地そんで古今未曾有の電子音は歌えるのにバンバンババンがいつまで経っても言えない、ピーーーーーーー。給紙してください。

自席で事業計画や事業予算を書いているときの苛立ちや虚しさを、私は、この小さな印刷室では感じない。だから本当は、これくらいの仕事がお似合いなのかもなあと思う。私に、なのか、給与に、なのかはわからないけれど。とりあえず、何年経っても印刷や封入といった単純作業を嫌いだと思わないのはいいことだ。もっとやりたいことがある、私はもっとできる、こんなところで印刷しているようなちっぽけな存在じゃない! なんてコピー機を前にして思ったことはないし、秘書をしていたときもそうだったけれど、私には地道な仕事こそを仕事と考えている節があるのかもしれない。コピー機は相棒。マジで遅いけど。ピーピーピーピーピー。フィニッシャートレイから用紙を取り除いてください。ああ、受け皿も小さいけど。



分不相応に学芸員など目指さず、大学院へ進学せず、どんなに時間が掛かっても学部卒業と同時に就職しておけばよかったのではないか。よく考える。誰でもなれる仕事ではないでしょう、すごく確率の低い就職口だってわかるでしょう、進学するか否かで揉めたときの父親の問いかけを忘れたことはないし、非正規雇用を続けながら自問した回数は計り知れない。

だけど、何度考えても、大学4年生の私には進学する以外の選択肢は存在しなかったと思う。学芸員になるのだという一世一代の懸け以外はできなかった。あの頃の自分を、人の反対を押し切って無我夢中で駆け抜けた時間を選ばなかったとしたら。自分の夢に誠実であろうとした私に出会っていなかったとしたら。私はもっと鬱屈として、性格を拗らせて、無能な自尊心だけを肥大化させて、壁があっても(愚痴は言うけども)腐らず堅実に仕事をすること、コピー機は相棒だなんて言える私にはなれなかったと思う。結果だけを見れば懸けに負けたのだし努力が足りなかったのは確かで、失敗したよね、もっと違う何かになれたかもしれなかったのにね、と笑われても仕方がないのだろうけれど。これは意味のある苦労だ、たぶん、たぶんね。


あの日、あの瞬間、あの無謀な情熱のうねりの中で、色づくように変化した私がいる。確かにいるのだ。そしてそれは誰にも奪えず、これからもずっと奪われず永遠に、あの初心こそが、私の生き方を支配するのは私だけだという証明であり続ける。



小さな印刷室で人に頼まれた仕事を淡々と続け、何者になるかではなく私であることを選んだ小さな私を、愚かで愛しいよなと思いながら、ピーと声を上げるコピー機にまた私はハイハイと返事をする。



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