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きらめきをくれる人とか言葉とか

毎年、地元の水族館が開催しているフォトコンテストに応募している。2019年は見送ろうかと思っていたんだけど、結局、締切間際に撮影へ行って、そのなかから四枚を選んで提出した。本当は五枚まで応募できるところを、ピンと来なくて、とりあえずの四枚。

去年は、そのうちの二枚が入賞して、入選と佳作をもらった。

賞をもらえると水族館内に展示される。応募する都度、何かしら一枚は入賞するけど、未だに一度も展示された写真を見に行ったことはない。今回もやっぱり見に行くことはなく、気がつけば、展示期間は終了した(と思うたぶん)(それすら知らない)。


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たまたま、従姉が子どもと水族館へ行って、展示作品のなかに私の名前を見つけたらしい。よく私だと気づいたな。同姓同名がかぎりなくたくさんいる名前なのに。

親族に身バレするくらいだから、いったいどういうキャプションで展示されているのかは気になった。名前だけでなく市町村と年齢でも書いてあるんだろうか。

とにかく、その話を聞いたらしい伯母が褒めてくれた。

「仕事なの? 趣味なの?」

いや、趣味に決まっているだろう。提出時は無加工が原則なので、補正していない写真はどれも、初心者に毛が生えたようなレベルだ(RAW撮影の場合のみ現像提出が許されているけど、RAWをたくさん保存できるほど大容量のメモリーカードは持っていない)。

そもそも基本は、ディズニーランドで写真を撮るためだけのカメラだし。思い出を撮るのが好きなだけ。

「写真家になるの?」

ならないよ。

「じゃあカメラを使った仕事をするとか」

する予定もない。

これは「一年に一度必ずなにかにチャレンジする」という自分との決まり事を果たすために、応募しているコンテストなのだ。入賞すればもちろん嬉しいけど、私にとっては行動と過程のほうが大事なイベントだったりする。
たいしたことないんですよ、本当に、好きで撮ってるだけ、と言うと、伯母はきょとんとした顔をしたあと、ほほ笑んだ。

「自分ではたいしたことないと思ってても、他人から見たらそうじゃないかもしれないでしょ」


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昨年度末に信頼している職員が異動するときに、似たようなことを言われた。けいさんにはお世話になって、と頭を下げられたので、データの突合と受付と雑務以外なにもしてませんけどね、と首を傾げたときだ。

「だってそういうのが仕事で一番大事じゃない?」

毎日の必要な作業を的確に片付けられるってすごいことだよ、謙遜することじゃないんだよ、そんなふうにお礼を言ってくれた。あなたが「たいしたことじゃない」と淡々とこなしている仕事に助けられました、と。

「大きい仕事を成し遂げるのは確かにすごいことだけど、それは日々の小さな積み重ねがないとできないことなんだよ。けいさん自分の仕事もあるのにおれが頼んだ仕事もすぐ片付けてくれるでしょ」

不覚にも泣きそうになったので、曖昧に笑った。
むしろ、「一緒に仕事をさせてくれてありがとうございました」というきもちでいっぱいになった。


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この話題にどう決着をつけようか散々悩んで、やっぱり私がすごいわけじゃないと思うけど、と書いてしまう。卑下や謙遜ではなく、私自身の技術や能力なんて、同好の士のなかでは、あるいはその環境のなかでは、本当にたいしたことないのだ。撮ることも、仕事をすることも、あるいはこうして書くことも。見てのとおり。

だから、なんていうか、日常にあふれる小さな才能や努力に対して「それ、いいね」って、言葉や態度で、その人に、その人だけの特別なかがやきを与えられるのがすごいんだろうな、と思う。これは。

うまくまとめられないけど。
うまく言えないんだけど!

心のなかの通知表が、相対評価から絶対評価へ書き換えられて、たいしたことなくてもきらきらしているような気がしてくる。


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「私は好きだよ」って言ってもらえるのが、やっぱり一番嬉しい。(ただ書きたいだけの一般人のnoteに、スキを押してくれる人たちありがとうね。見つけてくれてありがとう。いつも本当に嬉しいです)

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