見出し画像

悲しみを手放すことは忘れることではない

小梅の一歳くらいの頃の写真 まだ少し子猫のあどけなさが残ってる…
お供えスペースに飾って今も毎日思い返しています
ありがとう


先日、20年以上連れ添った愛猫が旅立ち
たくさんの方にメッセージをいただきました。

今も毎日思い返しては、お水をあげたり、花を備えたり、お線香をあげたりしています。

生きていれば大切な存在との別れを経験する私たちではありますが、
大切な存在が旅立ってしまった時、その存在が大切であれば大切であるほど
悲しみという感情を抱くのが人間だと思います。

悲しみを手放すこと=その存在を忘れてしまうこと、のように感じて
無意識で悲しみを手放すことに抵抗を感じてしまう方や
「もっとこうしてあげられたのではないか」と感じて
ご自身を責めてしまう方もいらっしゃるようです。


わたしの中では、あのタイミングで小梅が空へ還ったことは
自分の中では答えあわせができていること
家族がサポートしてくれたおかげで思い切り介護ができたこと

あと、わたしがお別れの覚悟を決めるまで、ちゃんと待ってくれていて
たくさん感謝を伝えながらお見送りができたことで
その時できることのベストは尽くして見送ることができたと感じています。

もちろんもっともっとこうしてあげていれば…という想いもあるし
数日間はたくさん泣きもしましたが
ただただ、感謝で胸がいっぱいなのです。


昔、妹が一緒に暮らしていたジャックラッセルテリアの「ラニ」という女の子がいました。ラニはハワイ語で「天国」という意味。

ラニは体が弱く、病院通いを繰り返していましたが、原因不明でなかなか快方へ向かわず入院をすることに。結局、そのまま病院で旅立ってしまいました。まだ子犬でした。

この時の妹と家族は、みんな悲しんで後悔をしました。
「病院で亡くなるくらいなら、お家で過ごさせてあげたかった。まだ小さかったのに」と。でもそれはどうしてもラニに元気になってほしかったからなんですよね。

名前の通りに天国に逝ってしまったラニの後にやってきた子は
有り余るエネルギーを持つ、ジャックラッセルの女の子、花梨でした🐕(小梅と同年)

花梨は手に負えないほどの強烈なガウガウぶりを発揮し、家族を翻弄しましたが😅
「うちでなかったら捨てられていたかもしれないけど、元気ならそれでいい」
とそのキャラクターのままみんなに愛され、最後はたくさん介護もされて、大往生しました。小梅より数年前に旅立ちましたが、ジャックにしては大往生だったと思います。

介護期間が長かったのもラニと対照的だから、あえて介護させてくれたのかもしれません。めっちゃガウガウではあったけど強烈で笑ってしまうところもあり、愛すべき面白い子だったな…と思います。

そんな訳でラニのおかげで、花梨と小梅は、お家で家族に見守られて、安心して空へ旅立てたと思います。ラニ、ありがとう✨

全ては無駄にならないです。
きっと何か意味があるし
全て循環してゆく。

きっとあなたはあなたなりのベストを尽くしてきたと思います。



動物との出会いにもそれぞれ意味があって、昔、アニマルコミュニケーターの方が “動物はその人を癒すためにやってきている”とお話してくださったことがあり、みんなちゃんとご縁があってきていると聞きましたし、本当のそうだと思います。

ちなみに小梅は「あなたを癒すために来ているから、他の家族には懐かない」と言われ、その通りでしたし、人生での変化やパートナーが現れたことなども関係があると感じています。


悲しみの感情の渦に溺れてしまったままだと、あなたの側にいた大切な存在たちもきっ悲しむと思うから、一緒に過ごせた時間にたくさん感謝をして、新しい自分の人生を歩むことができますように。

大切な存在たちは、いつだって私たちの胸の中にいる


(タイムリーに同じような経験をされた方々もいらっしゃったので書いてみました)

一緒に撮った最後の写真、恥ずかしいけど載せてみました
抱っこをする時、いつもわたしの顔に手を添えてくれていました





あたたかいメッセージをたくさんいただき、ありがとうございました

あたたかい方たちばかりで恵まれているなぁと感じています

この記事が参加している募集

ペットとの暮らし

感じたことをそのまま綴ってゆきます。 面白いなぁと感じたらスキしていただけると、とってもうれしいです。