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86|石見銀山 しろがねの森

 朝、温泉津の温泉宿に宿泊した私たちを、父が車で迎えに来る。
この日は母方の実家で過ごす予定で、「お昼の12時までに、大田の家」が、母からの厳命。
父と、私たちに与えられたフリータイムは、3時間半。
 
 まずは、お寺の過去帳で遡れる一番古い方(※父調べ)で、宮大工の棟梁だった又兵衛さん(『63| 祝福と、ひろがり』)が手掛けられた山門を「賢さんに見てほしい」と、車で山手へ10分ほど走って願楽寺へ。
また、「この子らお茶やっているので」と、現在は非公開になっているお寺のお庭『紫白庭』を、少し無理を言って、見せていただく。

 次いで、さらに山手の大江高山ふもと大代町にある、父方祖母の実家へ。家人は酒造を閉じて別の場所に移住されていて、挨拶することもなく、山中の墓参りへ。

 なかでも古い福光石たちは、もうそのほとんどが溶けていて、なんとか、一部の塊が土上にとどまっている。
文字などもう疾に読むことのできない石の前で、「これはどこの誰で」など呟きながら、なんまんだぶと手を合わせて、次の石前に移動していく。
何度も聞いていても、わたしには覚わらない。数も多い。石のことを憶えて手を合わす人は、父が最後だ。

 どちらかというと険のある、ピリッとした顔の父なのに、小さな孫たちと、石たちを前にするときだけは、柔らかく、安らいだやさしい顔になる。

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 残り約1時間。
大田へ折り返す道中、石に興味のある賢さんを、福光石の石切り場へ案内しようとするも、入口を見あやまり、通過。それなら銀山へ、と予定なく。
爆速で、しろがねの森と大久保間歩を、歩き抜ける。

 車に乗ると、母から「こっち向かってるね?」と、確認の着電。急いで車を走らせて30分。

 大田の家に着くと、
「もう、このあっついのに、(父に付き合わされて)大変だったねぇ!かわいそうに、、、。はあー!信じられん!あんた達、はよぅシャワー浴びんさい!」
と、大きな声で、叔母さん。
でも前日に、大量の花を融通してくれたのも叔母さん。
これも、よく知った光景だ。

 補聴器を付けていない父には聞こえず、満ち足りたいい顔をしている。

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