りる|Nao Nishiguchi

百会|2019-2023の記録

りる|Nao Nishiguchi

百会|2019-2023の記録

マガジン

最近の記事

100|はじまりの一歩

小さな花がみてきた景色。 身をもって、感じ、経験してきたすべて。 それらは常に、その背景および実体そのものにある、多次元宇宙との Communicationに、支えられています。 なので、この5年の記録は、わたしと、わたしを含む多次元宇宙との、小さなCommunication noteでもあります。 膨大で、多量のやりとりを行いながら、いまこの瞬間に、めいっぱい、少しずつ。 諦めずに、ちからづよく。つながりに、創造・顕し出してゆく。 ときに、精度にいまいち難あり、で、間違

    • 99|水瓶座新月

       水瓶座の新月。 わたしがここに、おぎゃー!と生まれ落ちた日の天体配置が、ふたたび巡ります。 生まれ変わりのリズム。  このnoteを、大きくひと括りとして、綴じるいま。 おそらく2017年に、みんなで伊勢・鳥羽を旅した際、移動の車中に流れ、みんなで聴いていた、あるうたを、思い出します。  その後、様々に大きな年だった2018年を経て、わたしが、小さな箱の中から、一歩、踏み出してゆくための、自分なりの練習帖として、このnoteを書き始めたのが、2019年9月9日。  瞬

      • 98|春の訪れ

         朝の陽かりがきれいだなぁ…と、朝ご飯を食べてすぐに、散歩に出掛けました。いつもと違う方向に。  近くにある小さな図書館へ。 学習コーナーの椅子に座って、ぐるりと一望できるフロアを見渡すと、おじいちゃん、おばあちゃん。 お母さんに連れられた小さい子。 問題集を解いてる高校?大学?浪人生かな? わたしとおなじ、勉強か、調べものなどしている中高年…。など、いろいろ…。 なにごともないのに、何だか、風が吹き抜けるように、嬉しくなりました。 もう少し暖かくなったら、お弁当持参で、た

        • 96|六甲・有馬 六甲の森

           行ってみて、ふたりで「プププ・・・」と笑ったのは、一年前の秋に訪れた有馬・六甲の旅〈52|有馬・六甲 Sunlight〉の宿泊場所から、車でわずか5分の場所だったこと。 「こんな近くに来てたの・・・!?!(笑)」  そして、ひとり心のなかで、“プププ・・・”と笑ったのは、会った瞬間から、“君たち兄弟…?(“ノリ”含め、なんだかいろいろ似てないか…?(笑))”と、ツッコミたくなる様々…。 点在するひかりが、ギュッとその中心へ 折りたたまれてゆくように 重なり合ってゆくよう

        100|はじまりの一歩

        マガジン

        • 日々の稽古場
          10本
        • TABIのオト
          31本
        • 風の創造帖
          29本
        • サンドウ庵
          31本

        記事

          94|まほう

             桜の季節に出逢い、はじまりは、桜の木の下でのヘアカットから。 その後、夏の風吹く頃から、自宅(サンドウ庵)にて、出張ヘアカットをお願いするようになったあかりちゃん。そのうち、メイクアップのセッションもお願いするようになり、月一回、ないしは二回、共に過ごすように。    はじめは、近くのヘアサロンでお仕事のある日の仕事終わりに寄っていただいて、セッション前後の時間も含め、ご飯をご一緒したり、ゆっくりお茶したりしながら。    季がすすみ、日の沈む時間が早くなると、「自然

          93|岡山 素直に流れる

            印象的だったのは、旅程の最後に案内いただいた、岡山市立オリエント美術館。  入館して、揃って「ホォォッ・・・・(!!!)」となっている私たちの前に、スタッフの方がスタスタスタと何処からともなくおいでになって、「建築にご興味がおありですか?」と。 かなり細かいマニアックなディテールや、その背景のことなども。 館内隅々まで(時に表からはみえないところも)歩きまわって、ほんとうに尽きることなく、あれこれ丁寧にご説明くださり…。  その姿がなんだかものすごく愛に溢れていて、眩

          93|岡山 素直に流れる

          97|brine blue

           先日、誕生日を迎えました。 隣国の王(笑)より、素敵な贈り物。 王の幼馴染に、suzuki takayukiさんというデザイナーの方がいらっしゃるのですが。 2023-2024 autumn-winter collection “brine” が発表された頃に、一緒にWEBで拝見し、「ぅひゃぁ〜!!!」と、声にもならない歓声をあげた、brine blue色のドレス。 そういえば、随分前、まだ出会って間もない頃に、「いつかプレゼントしたいと思ってるんだけど…。」と、小さく

          95|ツクリカエル

          **  こう、流れて、ふと、「・・・はっ!あの、ツクリカエル国、とは、日本…のことではなくて、私という国のことだったノカ・・・!!」と、ふわっと、明るくとけてゆく。 ***  ここ最近は、他国の王達からの様々なお助けや支援、彼らの治める国々の豊かさからバックアップを受けとるばかりの日々‥で、なんだか御礼参りに行きたくなり、「冬至に、熊野まで会いに行く!」  何もことばにしていないのに、「熊野までは大変だと思うから良ければ私もそっちに行くよ。」と、3時間かけてきてくれて、

          95|ツクリカエル

          88|貴船 ハロー

          ** ***  今朝、ここ名古屋も、屋根に白く、雪が降り積もるくらいの雪。 カーテンをあけて、“雪あかり、明るいな…。” すると、すっと雲間から太陽のひかりが現れて、“うわぁ、もっと明るいな…!” また、暫くして、雪がつよく…。 ゴロンとしながら、そんなことを。

          88|貴船 ハロー

          89|鞍馬 black cat day dream

          □ Isa's friend's Tea ceremony □black cat day dream □鞍馬  夕方、Isabelleとタクシーに乗り、鴨川に出て、そこから歩いて、鞍馬方面を広く散策する。  ほとんど食事が終わる頃、Fosterがふらりと現れて、わたしは幾つか質問をした。“Why photography, for you…? どうしてカメラを選んだの?”…のような。  そのこたえの、ほんの一部。とても繊細でやわらかな表現で、大事なところが、もうほとんど、

          89|鞍馬 black cat day dream

          90|鷺森 散歩道

           言葉で語ることの少ないFosterさんが、言葉を発し伝えてくれたこと。 でも、わたしは、このことばを聞く前も、あとも、ずっと、その信号を受けとり続けているような気がする。 いつも、まっすぐに、送り届けてくれている。  私たちの軌道は交差して、その交差は、大きなひかりを生み、グリッドにまた新たな大きな信号を送る…。 私たちは、いつも、送りあっている。  そして、そう在るときのグリッドのあり様を、私たちはきっと、理由もなく、はじめから知っていたりするのかな…と、思ったりする

          90|鷺森 散歩道

          87|大田 行雲

           最後の夜は、三瓶山のみえる大田市駅近くの施設に宿泊し、翌朝ふたたび、大田の家に戻って、名古屋への帰路に。復路は、全員で、父の運転する車にて。    島根への往路、やくも号車中に忘れたポケットWi-Fiが、鳥取の米子駅に保管されているとの連絡を受けて、父が米子駅に寄ってくれた。   日本海、宍道湖傍を走り、新しくなったばかりの米子駅へ。復路の初ルートだ。 窓からみえる、雄大な伯耆大山と雲としばし併走する。  名古屋に戻り暫くしてから『しろがねの葉』を読む。  物語を描写

          87|大田 行雲

          86|石見銀山 しろがねの森

           朝、温泉津の温泉宿に宿泊した私たちを、父が車で迎えに来る。 この日は母方の実家で過ごす予定で、「お昼の12時までに、大田の家」が、母からの厳命。 父と、私たちに与えられたフリータイムは、3時間半。    まずは、お寺の過去帳で遡れる一番古い方(※父調べ)で、宮大工の棟梁だった又兵衛さん(『63| 祝福と、ひろがり』)が手掛けられた山門を「賢さんに見てほしい」と、車で山手へ10分ほど走って願楽寺へ。 また、「この子らお茶やっているので」と、現在は非公開になっているお寺のお庭『

          86|石見銀山 しろがねの森

          85|温泉津 湯の湧く湊

           大社を後にして、出雲市駅から浜田方面へと下る山陰本線に乗り、母の里の最寄りの大田市駅で、父と落ち合う。    山陰本線は、主に海岸線沿いを走るので、車窓から日本海を見下ろす。父の里は、大田市駅からさらに30分ほど西へと下る、温泉津にある。いつも帰省時に拠点とする、母の生家に顔を出してから、温泉津にある父方のお寺の法要に出席することになっていた。  以前、『8このくにの、祭りの効能』でも、温泉津のことをすこし書いている。  小学校4年生の時に父親を亡くし、それから文字通り家

          85|温泉津 湯の湧く湊

          84|出雲 ヤマタノオロチと白うさぎ

           満月の日の、水の都松江の朝。 宿泊したホテルを出、JR松江駅に向かって、すこし駆け足気味に歩く。 水位は目一杯まで上がり、なみなみと。  午後に両親と合流するまでのわずかな時間に、出雲大社へ。山陰本線で、大社行きバス乗換口の出雲市駅迄。 海と湖とが接近し、川が繋がりを保つ、不思議な地形。 往路に、朝陽を浴びる宍道湖を眺めるのは、はじめてかもしれない。 水は空をうつして、さらに青く、あおくひかる。  瞼を落としていると、声がかかって、顔をあげると、右手に斐伊川がみえた。

          84|出雲 ヤマタノオロチと白うさぎ

          83|松江 八雲号

           岡山から、中国山地を縦断し、日本海側の出雲地方へ抜けるルートのひとつに、特急やくも号が走っている。  普段、あまり山慣れしていない人間が、平坦でない山脈を走り抜けるのは、電車に限らず、乗用車でも楽ではない。とりわけ、身体がまだ成長過程にある幼少期には、車酔いも、電車酔いもしていて、山道に差し掛かると同時に、約束事のように妹とふたり、ゲーゲー合唱をはじめていて、それは大変な帰省だったらしい。 介抱する両親もそうだったかもしれないが、多分、一番しんどかったのは、小さな当人たち

          83|松江 八雲号