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62| ひかり

 法隆寺修復の体験を通じ、また法輪寺、薬師寺の再建を通じて西岡氏が感じ取ったことは、木の寿命は鉄の寿命より長いということであった。その理由は、樹木は伐られたとき第一の生を断つが、建物に使われるとふたたび第二の生が始まって、その後何百年も生き続ける力を持っているからだという。(後略)

法隆寺を支えた木 西岡常一・小原ニ郎
Ⅳ 木は生きている 1生物材料 より
3月11日 

 わたしは法隆寺の解体修理のとき、樹齢二千年のヒノキが千三百年もの間法隆寺を支えて来て、いまもなおそれぞれの持ち場で役割りを果たしているのを見て、木のいのちの尊厳にうたれました。それは神としか思えません。
 台湾で、二千年のヒノキを立木で見たときもそうでした。ときの流れを枯れた色に変えて、樹齢にふさわしい風格と重味が、枝にも葉にもにじみ出ていました。わたしはこういう木に向かうときは、一心に拝みます。
 「宮大工の良心に誓って、そのいのちを殺すようなことはいたしません」
と。そのあとでわたしはノミやカンナをあてることにしております。(後略)

法隆寺を支えた木 西岡常一・小原ニ郎
Ⅰ 飛鳥と木 木の死因 より
3月7日 蟄虫戸を啓く

 ときは啓蟄。
 植物園を歩くと、“冬ごもりをしていた虫が、姿を現し出すころ” 宛らに、小さな虫が大量発生中!
陽の気にあてられてか大円舞・・・。
文字通り、こちらの瞳の中(正確には眼面)にまでダイブしてくるほどで、一週間後、手には透明フェイスシードを持ってふたたび歩きましたが、虫たちの円舞はやんでいました。

 いのちの芽吹や光彩、開花。淡々と、刻々と。
とまらず、移り変わり、流れてゆく光景に、なんだか励まされるいま、この瞬間。

器 うつわ

 日々の稽古場。−うつわ− 

 お茶盌を選ぶ際に、“あるものを全部みてみたい”と、リクエストあり、予定なく、器を畳にひろげることとなりました。
いま、わたしの手元にあるお茶碗やお道具は、わたし自身に由来するものは数少なく、様々な流れから、

「よかったらつかってください」

とゆずり受け、集っている器がほとんどです。

「宮大工の良心に誓って、
そのいのちを殺すようなことはいたしません」

 道具あり、道具をつかわせいただけることが、どれほどありがたいことか。
 器あり。その器に、注ぐことのできる、そのことと、同じように。

3月19日

 3月、弥生のサイコロは、「すみ(炭)」「すみ」と出て、もう一度振ると、「浄」。

 ゼロへと。空の青はよりあおく澄みわたり、ひかり。ときは春分へ。

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