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弥生

薄暗い家の中で、猫の静かな寝息が響いている。雨だ。
ひとりの時間が、今日も私の視線を感傷的にさせる。

久しぶりに、図書館で本を借りて読んでいる。

小川糸さんのライオンのおやつ

糸さんの小説は数冊、エッセイも一冊読んだが、よほど念入りに現地調査をしてその土地を描いているように感じる。物語とは直接関係のない土地性を豊かに、とにかく豊かに描写し、読者にああこの場所へ行ってみたいと思わせる。時代をずらしたり遠くの土地を描いたりせず、読者の想像を掻き立てる隙のないほど身近な土地でそれができるのはすごいことだと思う。感情描写には糸さんの人柄が出すぎていて、時々入り込めない気もするが。彼女のような心底柔らかで丁寧な発想や暮らしが私の芯には根付いていない。垣間見える作者の「丁寧な暮らし」感が、少し私と物語の距離を遠のかせる。それでも、この物語はするすると私の心の真ん中にすべりこんできて、きっとこの先もそばにいてくれるような気がする。偶然にも手に取り、瀬戸内に行く(月末に旅行の予定があるのだ)前にこの本に出会えてよかった。

その本の間に、伊勢のお菓子に同封されていそうな、説明書きのカードが挟まっていた。なんてすばらしいんだと、泣いてしまった。図書館で誰かが先にこの本を借りて、読んだ。きっとこのおやつを食べながら読んだのだろう。後半の最後50ページほどを残した場所に挟まれたカードは、最後にしおりがわりに挟んで、ここからは一気に読んだのかな、と想像させる。おやつをテーマにした本をおやつを食べながら読んだ誰かのことを想うと、幸せでたまらなくなった。ひとりのためじゃない本のなんと素晴らしいことか。所有権から少し離れた不思議な存在を抱えている気分。なんてったっていかにもご当地なおかしの地域柄がいい。三重県に住んでいる、ああ、この人も、そして自分もまた、この土地に住んでいるのだ、と強く思った。

本を借りた図書館は、地域の区役所に内設されている。今月の頭に、住民票をこの土地へ置く手続きをするために出向いている時に知った。ここに拠点をおいて2年目だが、この春の卒業と入籍予定を機に、こちらへ住所をうつしたのだ。

書き換えが多すぎて住所の変更欄がパンクしそうなマイナンバーカードと、新しい国保の保険証、まるで新生活がはじまるかのような書類たち。これを機に何かが大きく変わることはないが、新鮮な気持ちになるのは悪くなかった。

それにしても、「属する」というのはなぜこんなにも安心感があるのだろう。属するたびに、その中のルールが自分のルールに仲間入りし、自由度は下がるというのに。学校を卒業し、個人事業主として生きていく私は、会社や通勤や研修やそのための引越しなんかがない分、ある意味では自由に、ある意味ではやんわりと、新卒としての1年が始まる。新社会人にさえ属していないように思う。どこにも属したくない、なんて欲が昔はあったけど、今はそこまでの尖りはない。だが属する楽さに負けないよう、できるかぎりをひとりで生き抜いていく選択をする覚悟は決めている。それは「きちんとしていない」とは違う。きちんとしてるね、と言われたくてやるのではないが、自分が頼るべき人やシステム以外に頼りたくないのだ。無知でむだなお金を使いたくないし、頼るより、頼ってもらえる人になりたい。もちろんぜんぶひとりでは無理だから、その時々で頼る人にゆだねて、その分、ひとりでできることを増やす。それが自立だと、昔大切な人に教えてもらった。

だから「ひとりでしっかり生きていく」ためのシステムたちに属した。
車の免許を取り、親の扶養を抜け、国の税金も保険も自分で払う、確定申告をし、母から引き継いだ仕事の事務を覚え、、。したいことばかりにまっすぐ突き進んできてないがしろにしてきたことを取り返すように、身の回りの体制を整えていく期間にこの数か月を費やした。少なくとも今の自分には、最も相性のいい属し方をしたのではないだろうか。足踏みをした分、これで4月からまた、思い切りやりたいことだけに時間と頭を使えそうだ。

この数か月に新しくはじめられたことがなかったが、動画をつくることや本を読むことはたくさんたくさんできたように思う。それに付随してお菓子や料理もたくさん。生きていて意味のない時間なんて、本当はひとつもないのかもしれない。

それではきっとまた桜の咲くころにお会いしましょう。
私は元気です。病気をしてた猫のよいくんも、奇跡的に今は寛解して元気になりました。
元気であればなんだってよい。
みなさまも、どうか、お元気で。

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