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何をするかではなく、誰といるか

転職活動を続けている。
気になる企業をいろいろと受けているのだが、まだ内定がもらえない。

落ち込む、落ち込むけど落ち込んでいる場合ではないから、毎日せっせと就活をする。
ちょこちょこと面接を受ける。

昨日も1社の面接を受けた。地域密着型の広告業と人材紹介業のかけあわせみたいな会社。
「人となりを見たいので、緊張しないでリラックスしてくださいね。」
これは罠だと知っている。
リラックスしてぼろを出させる罠である。

しかし私は素直だからこんな罠にはまるのだ。
雑談のような面接のなかで、ついついリラックスしすぎてしまう。そして時折ハッとなり、「今ので落ちたか!?」と疑心暗鬼になるのである。
そんなことを面接中に何度も繰り返すから、終わった後にめちゃくちゃ疲れる。
そんな人間だ。

で、そんな中で、「これは面接にきた方全員に聞いているんですけど…」という前置きで、ある質問をされた。
「お友達と2人でランチに行くとします。あなたはどうしてもパスタが食べたい気分なのに、友達は中華を食べたいといっています。どうしますか?」

急な質問に少し動揺したが、これに対する私の答えは、「中華を食べに行きます」。
理由は「その時間を共有する相手の方にとって、自分と一緒に過ごす時間を少しでも良いものにしてほしい」的な感じ。
こんな感じに答えたんだけど、自分のなかであんまり納得できていない答えだった。なんとなくニュアンスが違う気がして。

思考と発言の狭間に陥っている私をよそに、そのまま次の質問が続いた。
「それって子供の頃からですか?たとえば、中学生のころとか、高校生のころとか。」
「えー、うーーーーん、うーーーーーーん…」
思わずうなる。こういうところがリラックスしすぎなのである。

中学生の頃を思い出す。田舎すぎて友達とランチなんて行ったことがない。
高校生の頃を思い出す。そこで一つのエピソードを思い出した。

野球部のマネージャーをしていた私は、部活が半日で終わる日はよく部員に混ざって昼ごはんを食べに行っていた。
だいたいラーメン。時折ステーキガスト。
ラーメンもステーキガストも好きだけど、私が一番好きなのは自然派食堂「菜々屋」。ごはんを食べるなら菜々屋に行きたい。

だけど私は、みんなと一緒にラーメンを食べた。ステーキガストに入った。別に我慢したわけではなく、喜んで行った。
それはなぜか。
みんなと一緒に過ごす空間が好きだったから。

つまり、最初の質問に対する私の最適解は、
「何を食べるかということは、誰と食べるかということより重要ではないから」
ということになる。

この答えにいたるまで、だらだらとしゃべりながら思考をまとめていた私はどううつったのだろうか。
「私は菜々屋が好きなんです。」とか言いながら。
しかも最初の回答と結論の間にだいぶ距離がある。
口を閉ざせばいいのに。出来上がっていない思考が口から逃げていく。都合の悪い口である。


それは置いといて、面接後にもう一度考えたが、私が導き出した最適解は私にぴったりだったと思う。
食べることだけに限らず、私は誰かに会うとき、何をするかということをあまり重要視しない。
だから、たいていの場合相手に合わせる。

会うことそのものに意味があるというか、同じ空間にいることが目的というか。
だから、「何をするか」は手段であって目的ではないのだ。

そうやって27年間生きてきた。
友達は多い方ではない。だけど、ただただ会いたいと思える友達が何人かいる。

うちに来て寝るだけのウミもそう。
私に何も聞かない幼馴染もそう。

人生うまくいっていない。
だけど、時間を共有することだけを目的として会える友人に出会えたことは、私の人生における最高のラッキーだったと思う。


面接自体は好感触だったと思う。
ただ一つ、「夜遅くなることがあっても大丈夫ですか?」と聞かれたことに対して、「子どもがいるため、可能な限り定時に上がりたいと考えていますが、善処することはできます」と返答するしかなかったことを除いて。
とてもとても、微妙な、複雑な顔をされた。
そんな顔させてしまってすみませんと逆に恐縮してしまった。

「子どもたちはいずれ大きくなります。長く働きたいと考えています。長い目で見てご検討いただけると嬉しいです。」
そう伝えることが精いっぱいだった。

あとは、ご縁の話でしかない。

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