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【デイドリームスイーパー】#1


#1-1

 夕焼け、蝉の声、お囃子。俺は人混みの合間を縫って進む。道の左右には屋台が立ち並び、呼び込みと、行き交う人々の話し声がやかましい。

「甘酸っぱいりんご飴、美味しいよ!」
「僕、金魚掬いやるんだ」
「さっきお面を買ってあげたじゃない」

 夏祭り。だが、眼前の光景は、およそこの世のものではない。浴衣を着た人々も屋台のおやじも皆、光沢のある金属質の肌をして、夕日をきらきらと反射させていた。マネキンのような無表情に、まばたきのないレンズの目。口を口角から垂直に開閉させ、電子音で会話している。機械人間とでも言えば良いか。

 屋台もそうだ。黒いオイルがてらてら光るりんご飴、ケミカルな極彩色の綿あめ、ぜんまい式金魚、吊り下げられた機械義手義足。お面売りは胴体から伸びる4本のマニピュレータを器用に動かし、客の首ごとすげ替えている。

 デイドリーム。現実を侵食する白昼夢。

 俺が今いるここは、日本有数の重工業メーカー「笠井重工」の会長の白昼夢。自社プロダクトと幼少期の夏祭りの想い出を、ミキサーでかき混ぜたような夢。クソみたいな出来栄えだ。

 俺は視線だけ動かし、周囲の様子を観察しながら進む。すれ違う連中が、屋台のおやじが、その目のフォーカスを俺に合わせるのが分かる。徐々に警戒されつつある。といっても、俺の見た目や仕草が怪しまれているのではない。デイドリームの内の存在は本能的に異物を感知し、排除しようとする。

 諸星の奴は、上手く侵入できただろうか。

 その時、前方から、人混みの頭上を越えて飛来するものがあった。それは、クロームの翼に硝子の瞳をした一羽の鴉。機械鴉は俺の肩に止まると、人の声で囁いた。

「奥に神社がありました。蛭田先輩の読み通りです。たぶん、〈核〉はそこです」
「諸星、ジャケットの肩に、穴は空けるなよ」

 俺は歩きながら喋り続ける。戦闘の前に、簡単に段取りを合わせたい。

「もう相当警戒されている。包囲される前にひと暴れして、神社まで走るぞ」
「つまり、いつも通りということですね」
「こういう機械系の夢は、どんなメカが出てきてもおかしくない。まして笠井重工は、医療器具から銃火器まで何でもござれの会社だ。先手を取って、こっちのペースを押し付ける」
「じゃあ、一旦離れます。仕掛けるタイミングは先輩にお任せしますね」

 諸星はそう言うと、空高く飛び去って行った。
 俺は落ち着き払って歩き続ける。背後で、砂利を踏みしめる複数の足音。屋台の店主が一人、また一人と、店を離れて俺の後を追う気配を感じる。同時に、道を埋める人混みが、徐々に俺から離れていく。

 しばらく歩き続けるうちに俺の周囲から人影は消え、いつの間にか道の前方の屋台も無人になっていた。そして背後から聞こえるのは、何らかのモーター回転音、関節の軋み。複数の。

 俺はジャケットの胸に手を入れ……
 振り返りながら〈銃〉を抜き、トリガーを引く!

 三連射。一発は四本腕に刀を構えたお面売りの胸に、一発は胸・肩・太もものミサイルハッチを展開した綿菓子売りの頭部に、最後の一発は手首から先をドリルに置換した金魚すくい屋の腕に、それぞれ命中した。

 着弾した瞬間、三人の体は命中部位から風船が破裂するように弾けて、霧散して消えた。だが、その後ろからさらに複数の機械人間が歩み出る。両腕がマシンガンだったり、肩からバズーカが生えたりしている奴らが、一斉に撃ち始める!

 俺は屋台の影に転がり込み、隠れて移動しながら銃火を凌ぐ。手の中の〈銃〉を見る。シルエットこそ黒い拳銃だが、撃っても薬莢は出てこないし、派手な銃声も鳴らない。そもそも弾を込めたことがない。拳銃なら撃鉄がある場所に赤い目盛りがあり、これが残弾数を示す。残弾は時間経過で回復する。

 およそまともな拳銃ではないが、俺たち捜査員はこれに命を預けるしかない。その理由は、こいつの弾がデイドリームに由来するすべてを打ち消す、銀の弾丸だからだ。俺は屋台の陰から陰へ移動し、残弾が十まで回復するのを待つ。

 隠れる前に見えた機械人間は十人ほど。弾幕の程度から推測して、遠距離攻撃できるのはおそらく二、三人。まずこれを排除する。銃撃の雨が途切れた瞬間、俺は屋台の影から飛び出す!

 両腕マシンガンと肩バズーカ、そして腹からミニガンをせり出させた奴を、それぞれ一発で仕留める。ひとまず厄介な飛び道具持ちを一掃した。だが、間髪入れず二人の機械人間が襲いかかってくる。

 一人目は両手首から細長いブレードを展開させ、俺に切りつけようと右腕を振りかぶる。さらにその後ろの機械人間は、腹部で回転ノコギリの刃を回転させている。ブレード機械人間が倒されても、続く丸鋸で両断しようという二段構え。

 そこに割って入ったのは、急降下してきた諸星だ。矢のように、一直線に丸鋸機械人間に迫る。衝突の直前、クロームの鴉は輪郭をぐにゃりと歪ませ、次の瞬間、黒いスーツにサングラスの女性へと姿を変えていた。

 諸星は着地せず、そのままスピードを乗せて、丸鋸を激しく回転させる機械人間の顎を蹴り上げる。凄まじい衝撃にその頭部は千切れ、ピンポン玉のように飛んでいく! 首から下は力を失い、蹴られたはずみで、後ろへどうと倒れた

 諸星は蹴りの勢いのまま宙返りし、着地と同時に裏拳を繰り出す。鋭い一撃はブレード機械人間が振り向くより早く側頭部にめり込み、その場で横向きに転倒させる! 地面に倒れる前に、俺が撃って止めを刺した。

 機械人間はあと五人。うち三人が諸星に向う。俺は諸星の肩越しに、その中で最もリーチが長そうな、多腕に刀や槍を構えた機械人間の眉間を撃ち抜く。二人が諸星を挟撃、飛びかかったその瞬間!

 何かがヒュッと風を切る音と共に、二人の機械人間の体は胴から横にずれて、空中で両断され地面に転がった。見ると、諸星の右手は光沢のある金属質の肌になり、手首から細長いブレードが伸びている。一瞬のうちに右腕を変化させ、素早い回転で胴を薙ぎ払ったのだ。

 残る二人は踵を返し、この場から離脱しようとする。応援を呼ばれると厄介だ。

「逃しません!」

 そう言って諸星は、伸ばした左腕を右手で支え、逃走する機械人間に掌を向ける。まるで狙いを付けるかのように。左上腕がスーツの袖ごと展開して、スリットが生じる。これは。訝しむ暇こそあれ、左腕のスリットから強烈な光が放たれる。不穏なヴーンという音。明らかに何らかの……エネルギーを溜めている!

「よせ! 止めろ!」
「さん、に、いち!」

 諸星は躊躇なくぶっぱなした。ビーム。凄まじい閃光が世界をホワイトアウトさせる。視界が戻ると、ビームは……大きく左にずれていた。お面屋、金魚すくい、射的の屋台の上半分が完全に消滅し、その先の地面までも抉れていた。そしてその数メートル右を、二人の機械人間が走っている。

 俺は黙って二発撃ち、機械人間を始末した。

「すみません」
「俺に当てなかったことは褒めてやる」
「えーと、この前アニメで見て、格好良くて……」
「二度とやるな」

 さしあたり視界内から動くものは消え、辺りは一時、水を打ったように静かになる。俺は〈銃〉を脇のホルスターに戻す。諸星が右腕を振ると、手首のブレードは霧散して消えた。左腕も元に戻る。少し遅れて、掛けていたサングラスも消えた。

 この変身能力こそ諸星の強さだ。無制限ではない。変身した姿を彼女がはっきりイメージできることが必要で、黒ずくめにサングラスのキャラクターは、諸星が映画だか漫画だかをベースに想像した、“最強の自分”だそうだ。岩を粉砕し、壁を駆け、銃弾を避ける。

 あとは、“いかにもそのデイドリームにありそうな物”にも変身できる。機械鴉になれたり、ブレードやビーム砲を使えたりしたのは、今いるこのデイドリーム“らしい”物だから。機械鴉の諸星が怪しまれなかったのも、ここの世界観に近いからだ。

 言うなれば、諸星はデイドリームの明晰夢を見ている。

「すぐ追加が来る。走るぞ」
「ちょっと待ってください……そこ、屋台の所に何か……」

 諸星が歩み寄る先には、りんご飴の屋台。俺が止める間もなく、諸星は屋台の裏に回り込む。

「先輩! 人がいますよ! ……坊や、おいで」
「人、ね」

 諸星に手を引かれ出てきたのは、小学生くらいの男の子。浴衣にサンダル、いかにもお祭りに来た子供といった風で、怯えた目に涙を湛えている。つまり、生身の人間の外見をしている。

 俺が〈銃〉を抜くより、諸星が早かった。
 子供の隣にしゃがみ、優しく語り掛ける。

「こんにちは、私は諸星。ボク、お名前は?」
「あっ、あの、僕、源一郎、です……」
「源一郎くん、怖かったね。ここは危ないから、お姉さんたちと一緒に行こう?」
「うん……」

 あっという間に落ち着かせてしまった。諸星の人懐っこい大きな瞳や、柔らかい声音に、警戒心を解いたのだろう。

 俺はタイミングを逃した。

 遠くから、走って接近する複数の足音が聞こえてくる。諸星は源一郎を背負う。俺たちは走りだす。
 俺は諸星にだけ聞こえるよう、囁く。

「何でもいいが、結果は変わらないぞ。俺たちは夢を終わらせに来たんだ」
「……すみません」

 そう言うものの、さほど悪びれる様子はない。こいつは子供を見るといつもこうだ。勘弁してくれ。

 道の先には鳥居があり、石段が続く。子どもを背負い、階段を登っているというのに、諸星の走る速度は俺と変わらない。
 石段の左右には木々が鬱蒼と茂り、そのわずかな隙間から西日が射し込み、肌を刺す。反響する蝉の声。

 俺の息があがりかけた頃、神社の境内にたどり着いた。手水舎の先に大きな社がある。深い森を背景に、社は、いかにも“ここにボスがいます”という雰囲気を湛えている。

 一般に、デイドリームには夢を維持する源、〈核〉がある。〈核〉は物体であったり生き物であったり様々だが、何であれ、〈銃〉で撃つか、物理的に破壊するかすれば、それで終わる。

「源一郎くん、これから危なくなるから、ここに隠れていてね」

 諸星は源一郎を手水舎の陰に座らせる。そして、かがんで目の高さを合わせ、静かに告げる。

「大丈夫、怖いことはすぐ終わるから」

 立ち上がった諸星は、いつの間にか再びサングラスを掛けている。俺は〈銃〉を抜き、社に向かって歩く。
 夕日を受けて社は朱く染まる。鳴り響く蝉の声が、少しずつ小さくなっていき……やがて消えた。

 わずかな静寂の後、突如としてバキバキと何かが壊れる音。社の観音開きの扉が、内側から外に向かって膨れ、歪む。びしり、びしりと亀裂が入り、今にも突き破って外に出ようとする何者かの存在を感じさせる。

 次の瞬間、観音開きの扉は弾け飛び、巨大な影が夕日に直立する。社よりさらに高い身の丈、十の顔を持ち、六本腕に刀や刺叉を握る。人間よりふた周りは大きな頭を、九つの小さな顔が囲んでおり、そのすべてが苦悶し泣き叫ぶ老人、笠井重工会長その人の顔だ。

「嫌じゃァ! 儂、儂は、もっと遊ぶんじゃ!」

 阿修羅像じみた化物は叫びながら跳躍し、六本の腕を俺たち目がけ叩きつける。俺と諸星はそれぞれ反対方向にステップ回避。阿修羅のジャンプ攻撃は空を切り、地面を粉砕する!

 俺は顔を腕でガードし、地面に転がって避ける。衝撃で飛んだ石か何かが体に当たるが、痛みに気をやる暇はない。諸星はそれら飛来物よりもさらに速く走り、回避しながら阿修羅の左側面に回る。

 俺は阿修羅の正面、距離を取って両手で〈銃〉を構える。相手の攻撃は届かず、かつ、俺の有効射程圏内。おそらく急所であろう中心の顔を狙い、トリガーを二度引く。

 だが、反応速度は予想以上。右の下段・中段の腕が、握った武器を素早く構えて射撃を防ぐ。弾が当たった刀と刺叉は消滅したものの、すぐさまそれぞれの手の中に、新たな刀と刺叉が現れる。

 阿修羅は右上段の腕に持つ槍を逆手に構えなおし、振りかぶる。俺は咄嗟に横へダイブし、地面を転がる。0コンマ一秒後、一瞬前まで俺がいた位置に、放たれた槍が深々と突き刺さる!

 同時に諸星が仕掛けていた。阿修羅の足元まで接近し、左膝に痛烈なジャンプパンチを浴びせる。関節を破壊し、機動力を削ぐ狙いだ。

「痛いよォー!!」 

 十の顔が一斉に叫びをあげる。うるさくて仕方がない。だが、叫びながら左足は踏ん張り……耐え切った! 一撃では破壊できない! さらに足元の諸星目がけ、左の三本腕が、順に振り下ろされる!

「儂をッ! いじめるッ! 悪いヤツめッ!」

 襲い来る金棒、刺叉、刀! だが、諸星は少しも慌てない。諸星の右腕が残像を伴うほど素早く動き、鋭い金属音が三度! 阿修羅の攻撃はすべて弾かれた! 右腕を再び変化させ、手首のブレードで防いだのだ。諸星は距離を取って仕切り直しを試みる。だが、阿修羅は右上段の手に新たな槍を出現させ、振りかぶる! 早い!

 選択肢を吟味する時間はない! 俺は全力で駆けた。

「こっち向けクソボケジジイ!」

 走りながら〈銃〉を構え、撃つ、撃つ、撃つ!
 阿修羅は瞬時に俺の方へ顔を向けて――ターゲットを取ることは成功だ――さっきと同じように右の刺叉、刀で弾丸を防ぐ。だが3発目は右中段の手に命中し……その腕だけが消滅した。やはりこれだけの巨体、存在の強固さでは、末端部分に一発当てても倒せない。

「うがぁーッ!」

 雄叫びと共に、阿修羅は俺めがけて槍を投擲せんとする。そこへ急接近する黒い影――諸星は力強く跳躍し、右下段の腕を蹴ってさらに勢いをつけて宙返り。槍を離す直前の腕を真下から、天地逆さに蹴り上げる! サマーソルトキック!

 右上段の腕は途中で九十度上に折れ曲がり、槍はあらぬ方向にすっ飛んでいった。

「ひぃー、ひぃー!」

 阿修羅は狂ったように残りの腕を振り回す。アトランダムな軌跡を描く腕の一つが、空中の諸星を捉える。諸星は咄嗟に両腕をクロスさせ盾にするが、当然受け切れるものではない。まるで卓球の玉のように、軽々と殴り飛ばされる。

 地面に激突する寸前、諸星は辛うじて姿勢制御。一度バウンドした後、なんとか着地した。額から出血し、右手首のブレードは付け根から折れてなくなっていた。見ると、諸星の両手が金属に変化している。咄嗟に左手も変化させ、硬化した両腕でガードしたのだ。しかし、無傷ではない。

「無茶するな、慎重にやれ」
「先輩にだけは言われたくないですね」

 残弾は五。奴から二人とも離れていると、また飛びかかってくる可能性がある。よって距離を取って弾の回復を待つことはできない。さりとて負傷した諸星を危険に晒すわけにもいかない。

「俺が隙を作る。キツいのをお見舞いしてやれ」
「了解!」

 俺は〈銃〉を握り直し、小走りに近づく。こちらを見据える二十の目。阿修羅はひとしきり暴れて落ち着いたらしく、残る腕で得物を構える。

 あえて、相手の攻撃がぎりぎり届く距離まで踏み込む。阿修羅は左下段の腕で金棒を叩きつける。予期していた攻撃を、俺は最小限の動きで避ける。風圧。数ミリ脇を通過する、致命的な一撃。ビビッてられるか。さらに接近する。

 このタイミング、攻撃後で硬直している左下段の腕を撃ってはならない。なぜなら、右下段・左中段の腕がその時を狙っているからだ。俺は瞬間的に走る速度を上げ、勢いをつけて仰向けにスライディングする。

 逆手持ちの刺叉が、一秒前に俺がいた地面を穿つ。仰向けに滑りながら、阿修羅の左半身めがけ〈銃〉を撃つ。防がれる前提の攻撃。左上段の刀が弾丸を受ける。武器は消滅した瞬間から再構成を開始するが、俺が次の一発を撃つ方が先だ。それは振り下ろす瞬間を逃して構えたままになっていた、右下段の腕を撃ち抜く。

 阿修羅はもはや声もない。皺だらけの十の顔すべてを真っ赤に上気させ、怒りに任せ左の刀と刺叉を再度振り下ろす。俺は仰向けの姿勢から横に転がり、刀を紙一重でかわす。ネックスプリングで起き上がる俺をかすめて刺叉が通過する。

 そこへ横薙ぎに金棒が襲いかかる。文字通り渾身の一撃、当たれば木っ端微塵だろう。だが俺はこれを読んでいた。既に照準は合っている。金棒はヒットする直前に〈銃〉で撃たれ消滅!

 大振りな攻撃の、その途中で重い金棒が消滅した。バランスを欠き、阿修羅は大きくよろめく。

 そして、もはやすべての腕を失った阿修羅の右側へ、急降下突撃をしかける一羽の鴉。クロームの翼、硝子の瞳。

 阿修羅はよろめきながらも、左の三本腕を必死に振り回す。悪あがき。機械鴉は翼を閉じ、錐もみ回転して、腕と腕の間を容易くすり抜ける。

 諸星は瞬時に黒衣のエージェントへ姿を変え、阿修羅の懐へ潜り込む。その左腕は既にスリットが展開し、そしてチャージ完了を示すまばゆい閃光! 諸星は左掌を、阿修羅の右脇腹に密着させていた。

「私でも外さないやり方があります」

 ビームが阿修羅を貫き、彼方へと消えて行った。紅の空を裂く一筋の光。流れ星のようだった。

「ひぃ……」

 阿修羅の右脇腹は、ごっそりと円形にくり抜かれていた。巨体が、ゆっくりと膝をつく。

「いい加減、目ぇ覚ませ。おはようの時間だ」

 その顔に向けて、俺は残るすべての弾を撃ち込む。それは中央の大きな顔の、眉間と両目に着弾した。阿修羅は一度、びくんと痙攣し、それから塵が風に吹かれて飛んでいくように、ゆっくりと消滅した。

 終わりか。

 振り返ると、諸星が手水舎に歩いていくところだった。俺は念のため周囲を警戒しながら、その後に続く。手水舎の影から、少年が恐る恐るこちらを覗いていた。

「終わったよ、源一郎くん」
「……お姉ちゃん!」

 源一郎は諸星の膝に取りすがる。諸星はその頭を優しく撫でた。
 俺は、しかし冷ややかな気持ちだ。
 やがて落ち着いたのか、源一郎は諸星から離れ、阿修羅が出てきた社の残骸を見つめて言う。

「あいつ、あの怪物は何だったの?」
「お前だよ」

 源一郎はぽかんとしている。
 俺は隠したりなどしない。優しい嘘の用意はない。
 夢を見ている当人が、夢だと自覚してないケースは珍しくない。

「蛭田さん!」
「お前は本当は百歳のクソジジイで、ここはガキの頃の想い出をベースにしたお前の夢なんだよ。はた迷惑な夢を見やがって」

 呆然とする源一郎。その顔は急速に歳を取りつつあった。快活な青年、脂ぎった中年、そして皺だらけの老人。阿修羅と同じ顔。その目に涙。

「儂……儂は……」

 同時に周囲の景色がゆらぎ、色あせ、かすみ始めた。夢が終わる。
 夕日も神社も何もかも白くフェードアウトしたかと思うと、次の瞬間、俺たちは……殺風景な部屋の中にいた。広さは十畳ほどか。白いリノリウムの床、壁沿いに謎の計器、それらからチューブが床を這い、部屋中央のベッドへ伸びる。その他には一切の家具はない。窓もない。

 床が何箇所か砕けているのはフィードバックだ。デイドリームは現実を夢に変え、空間も時間もねじ曲げる。そしてデイドリームでの破壊は、ある程度、夢から覚めた後も残る。物は壊れるし、人は傷付く。

 ベッドに横たわるのは、笠井源一郎。酸素マスクや点滴、その他用途不明な管が体中に繋がり、死を先延ばしにしている。半開きの目は、何を見ているのか、見ていないのか、それすら分からない。

 諸星は俺を真っすぐに見て、言った。

「先輩、さっきのはやり過ぎです。決着はついていました」
「いいや、自分のしでかしたことは、自覚するのが筋だ。お前が子どもに甘いだけだ」

 俺は諸星の視線を正面から受け止めた。俺たちはしばし、そのまま固まった。
 しばらくして諸星は顔をそらし、ベッドの上の笠井源一郎を見る。源一郎の皺の寄った目じりで、何かが蛍光灯の明かりを反射し、微かに光っていた。

「帰るぞ」
「……はい」

 部屋を出るまでの間、諸星の視線は、ずっとその光に注がれていた。

# # # # # # # # # #

#1-2

 月曜日、朝の九時半。捜査課のオフィス。六つのデスクからなる島が二つと、それらとは別に一番奥に課長のデスク。デイドリーム対策の実働部隊がわずか十数名というのは、どう考えても、少数精鋭にしたって少なすぎる。慢性的な人手不足。目下の課題は適した人材が少ないことと、離職率の高さだ。

 俺は自分のデスクでPCに向かい、先週片付けた「夏祭りの夢」の報告書に取り掛かっていた。そのデイドリームが誰の夢で、どんな被害が出て、それが如何に避けがたいコラテラル・ダメージだったかを、もっともらしい文章にする。

《――笠井源一郎のデイドリームは攻撃性が高く、迷い込んだ看護師・介護士の計四名に重軽傷を負わせていた。被害の拡大を防ぐためには可及的速やかな直接介入を行う必要があり――》

 俺のやり方だと、捜査の過程でどうしても色んな物が壊れる。だから、始末書を避けるために報告書はちゃんと仕上げる必要がある。とはいえ、もうすっかり慣れきった俺は、過去の報告書から持ってきた使い回しの文句を適当に並べて、さくさくと書き進める。脳みその二割くらいを働かせれば十分だ。

 残る八割は別の事を……右隣の席の、“新人”の事を考えていた。

 諸星と組んで、早三か月。いくつか案件をこなしたが、俺の射撃と諸星の能力があって、解決できなかった案件はない。だが、捜査において重視するものが諸星は俺と違っていて、意見が合わない。俺はそれをどうすれば良いか分からずにいた。

 そのうえ、諸星は得手不得手が極端だ。射撃も悲惨だが、それ以外にもデスクワーク全般、特に報告書が酷い。配属当初に試しにやらせてみたら、諸星は一時間ウンウン唸った挙句「戦った、勝った」しか書けなかった。それ以降は俺が書くようにしている。

 認めざるを得なかった。俺は初めての後輩を、すっかり持て余している。

 視線はモニタに向けたまま、視界の右端で諸星の様子を観察する。ストライプのパンツスーツ、大きな瞳、涼しげなツーブロック。右手をスムーズに動かしているから、怪我はもう良いのだろう。驚くべき頑丈さだ。

 少なくとも表面上はいつも通り。先週の事を引きずる様子はない。これまでの捜査でも、どれだけ意見が食い違っても、翌日になると、諸星は何事もなかったかのようにフラットに振る舞う。それがまた俺を困惑させる。

 内心では気にしているのか? であれば、俺から一言何かあった方が良いのか? それとも本当に気にしないタイプなのか? 話しかけた方が良いのか、そっとしておくのが良いのか……

《――さっきのはやり過ぎです、やり過ぎです、やり過ぎです、やり過ぎです――》

 我に返り、俺は慌ててモニタの意味不明な文章を消す。
 同時に、俺のデスクへ近づいてくる人物に気づいた。

「蛭田、次の案件だ。先週の報告書は後回しでいい」

 そう言って俺のデスクにファイルを置いたのは村松さんだ。小柄で小太り、口髭がトレードマーク、一見するとただの優しそうなオジサン。だが、丸眼鏡の奥の小さな目は、ベテランらしい鋭い眼光を放つ。捜査課の発足当初からいる叩き上げで、現在は課長。つまり、俺たちのボス。

 俺は視線をモニタに、キーボードを叩きながら尋ねる。

「急ぐ理由は何スか。規模ですか危険性ですか。死人が出ているとか?」
「頻度と、強さだ。ファイルを読んだら、諸星と情報共有して、行ってきてくれ」

 言うだけ言って、村松さんは自席に戻って行った。いつも忙しい人だ。
 俺に回ってくるのは、他の捜査員では手に負えない案件だけ。しかも今度のは報告書を後回しにさせるほど、切羽詰まった状況らしい。

 書きかけの文章を保存せずに閉じる。意味不明な文章は一か所だけではなく、無意識に所々に書いてしまっていた。後でイチから仕切り直そう。
 ファイルを手に取り、中身を開く。同時に、視界右端で、諸星が俺の方を向いたのが見える。俺も諸星の方へ向き直り、要点を音読する。

「被害者は一般人五名と、ウチの捜査員一名。いずれも刃物による全治一か月以上の怪我。この一般人五名は同じ会社の同僚」
「明確にターゲットを定めていますね」
「そうだ。発症者は自分が夢を見ていることを自覚して、悪意を持って利用していると考えられる。極めて悪質かつ危険だ」
「ウチの捜査員って、病欠の妹尾さんですか? 心配です……」

 諸星はちらりと、隣の島にある妹尾さんの席を見た。視線を戻し、俺に尋ねる。

「デイドリームはどんな内容なんですか?」
「複数の証言を総合すると、こうだ。いつの間にか、一人で、土砂降りの雨の中、ビルに囲まれた路地に迷い込んでいる。進んでも、戻っても、脇道に曲がっても、ずっと似たような景色のまま。どこへも行けない」

 諸星はじっとこちらを見ている。読むのも書くのも苦手な諸星は、メモを取るということをほとんどしない。その分、一度聞いたことは大体覚えている。俺は話を続ける。

「いつの間にか、視界の端、遠くに人影がちらつくことに気づく。だがその方を向くと人影は消えて、姿を捉えることはできない。そして、最初は遠くに見えた人影は、徐々に近づいてくる。やがて被害者の疲労と不安がピークになった頃、その人影がごく至近距離に現れて、刃物でザックリ、だ」

 迷路の夢も、通り魔の夢も、それ単体であれば珍しくはない。だが、その両方の要素を持つデイドリームはあまりない。イレギュラー。嫌いな言葉だ。

「被害者五名は、あっという間のことで切った奴のことはよく見てないそうだ。だが、妹尾さんが“人影”の外見情報を残している。レインコートを着た二メートルくらいの大男で、〈銃〉の弾を避けるくらい俊敏だそうだ。相当手強いな」

 とはいえ、妹尾さんはデスクワークの方が得意なタイプ。俺と諸星であれば、少なくとも、勝負にならないということはなかろう。

「妹尾さんが狙われた原因は何なのでしょうか?」
「被害者五名が所属していた部署では、十日ほど前から行方不明になっている社員が二名いるそうだ。この十日前というのは、最初の被害者が出た時期と一致する。そして妹尾さんは、行方不明の二人を調べようとした矢先、襲われたそうだ」
「調査に感づいて、妨害するために妹尾さんを襲撃した」
「それで間違いないだろう。相手がこれだけヤル気に溢れているとなると、戦闘は避けられないな。だが、裏を返せば、デイドリームの方から現れてくれるということでもある」
「それには、まず私たちの存在を認知してもらう必要があります」

 俺はファイルを閉じた。俺を見る諸星の目は、俺の答えを半ば分かっている目だった。その通り。俺は最短距離が見えているなら躊躇はしない。俺の案件に石橋を叩いている時間はない。

「簡単だ。行方不明の二人を調べれば良い。住所も分かっている。五分で支度するぞ」


【つづく】

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